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【特集:SFC創設30年】
座談会:グローバル社会を牽引するSFCへ

2020/10/08

自分の価値観を見直す体験

土屋 すごい体験をされていますね。林さんも就職された後に放浪もされたと伺っていますけれども。

 放浪は会社を2回ぐらい変わった後で、その前に卒業してすぐにアメリカのシアトルに留学しています。根拠のない自信で、アメリカから帰ってくれば自分がさらに磨かれるんだと思って行ったんですが、見事に挫折して帰ってくるんですね。

1つは語学の面でTOEFLが最初の半年は急激に伸びたんですが、その先が伸びなかった。その時に人間は頑張ってもできないことがあるんだと初めて知った気がしました。

また、留学で一緒に日本から行った30人ぐらいの仲間も、様々な人たちがいたわけです。一緒にカリキュラムを過ごすと、日本から来た留学生同士でもそもそも意識や価値観が違うなと思い知らされました。

さらに、現地ではホストファミリーと暮らしていたのですが、生活習慣や家族観が大きく異なるのもショックでした。日本では祖父母と暮らしていて、規律正しい古き良き日本の生活をしていたのですが、最初の半年の家族は、自分の恋愛に一生懸命で子育てそっちのけのホストマザーや、荒れた家で心が満たされず薬を吸い始める息子など、衝撃的な事態を経験しました。

対照的に後半暮らした家族は、薬物中毒の親に幼児虐待を受けて重度障害を負った女の子を養子として受け入れ、家族の深い愛でその彼女は奇跡的に自立して生活できるようになったような家族でした。想定外のアメリカの懐の深さと荒廃している様の両面を見せつけられ、自分の価値観・先入観が激しく揺さぶられました。

そのように挫折と葛藤を繰り返して日本に帰ってきた後に就職しました。最初は外資コンサルに3年いて、その後、ソニーのインハウスコンサルファームに3年ほどいました。相当忙しくて友達の結婚式にも参加できず、祖父の死に目にも会えなかった。こんなふうに仕事をやっていていいのかなと思い、また、日本に生きる台湾人としての意義を探し、自分の価値観をもう1回見つめ直そうと思ってピースボートに乗ったんです。

ここにも、それこそ映画監督や大学教授、看護師、水商売のお姉さん、投資銀行マン、パチンコ店員といろいろな方がいらっしゃった。そういう中で3カ月、船の中で一緒に生活したり、友達付き合いをして、世代を超えて、職業を超えて付き合いました。

そうやって各国を回り、リビアではカダフィ大佐の家まで行きました。自分の家が米軍に爆撃されたのを外国人に見せて何か訴えようとしていたので、来訪帳に「独立自尊」と書いたり、リビアの外交官の人たちとディベートしたりしましたね。

いろいろな人たちに会えたし、宗教観や歴史観が異なる、いろいろな立場や仕組みの国もあって、その中でそれぞれが選択を行い、生きている人がいるんだということを多面的・複眼的に考えさせられた旅でした。

グローバル人材を生む土壌

土屋 一昔前に日本人が留学しなくなったようなことをよく言われました。でも今、実際に学生を見てみると、2、30年前と比べて海外にはかなり行きやすくなっていて、短期で行く子たちはたくさんいます。

そのような中で、よくグローバル人材という言い方もされるのですが、私はグローバル人材とは何だろう、ともやもやしているんですね。そんなものが本当にあるのかなと思うのです。

ここにいる4人の方を見てもそれぞれまったく違う歩みをしてこられていて、まとめて「グローバル人材です」とは言えないと思うんです。1人1人がいろいろな経験を積んで、キャリアにつなげていくのだと思うのですが、今の学生に対して皆さんはどのようなアドバイスをされるでしょうか。

グローバルな世界で生きる時、皆さんのSFCでの経験はどのように役に立っているのか、あるいは立たなかったのか。これからたくさんの人たちが日本にも入ってくるわけで、新しい形のグローバル化が始まると思いますが、そのあたりを皆さんはどのように思っていらっしゃいますか。

吉浦 SFCはできた当初から帰国生、いわゆる「キコク」と「オタク」の活躍が目立つ場所だったと思うんですね。そういった人たちが社会に出ていった時に異端として扱われることがありましたが、少なくともSFCにいた時はそれほど異端だとは本人も周りも感じていなかった。それが30年たつと、そうした人たちは今の日本の社会の中で異端に見えなくなって、むしろ有用な人材だと認識されるようになっているのではないでしょうか。

少数派の時には異端と言われますが、それが評価されてマジョリティになったら、変革者や革命家と呼ばれる。そういう意味では、30年前からSFCの中にあった雰囲気や人間関係が社会の中に浸透していって、静かなる革命みたいなものが、今、進んでいるのではないかという気がします。

一方で私が日々報道の現場にいて思うことは、価値観が多様化していて、「これが正解だ」となかなか言えなくなっているということです。その中で、これが今日最も大事なニュースなのだとか、この出来事はこういう見方で見てほしいという切り口を示したり、新しい選択肢を示すことが、今の私たちメディアの大きな役割の1つかなと考えて意識的にやっています。

多様な価値観がある中で「これが価値である」と人に教えられるのではなく、自分の頭で何が価値であるかを考えて、それを人に伝えたり、何かを実現することで、誰かの幸せのために貢献する人が、グローバル化が進む社会に求められているのだと思います。

だから、ぜひ日本から海外にも出ていってほしいけれども、SFC自体がグローバルなソサイエティなのだということがより価値があることなのかなと、30年前を振り返って思います。

土屋 霞が関の省庁に行くと、SFCの子はすごくおもしろくて役に立つんだよね、と言われます。確かに世の中が追いついてきたというか、こっちのほうがおもしろいし正しいよね、という雰囲気が出てきたような気がします。

 私はSFCに入って、学問の枠を取り払ったカリキュラムで、それを自己責任で選べと迫られることは、実は厳しい環境だなと思っていたのです。自由を与えられた上で自分の軸であったり、自分の学問をつくらなければいけない。そうしないと、卒業した時に何者でもなくなってしまうという危機感が学生時代にはありました。

そういう体験はよかったのかなとも思います。その過程で副作用もあるのかもしれませんが、だからこそ自分は何に興味があるのかとか、自分は何者なのかを考えることになる。SFC時代はそういうことを、すごく頭を使わせられて考えさせられたと思います。勉強という意味だけではなくて、何が大事なことなのかを自分に問われる。国境を越えて未来を創れる人は皆、他者とのつながりのなかで、この自分軸を持っている気がします。

台湾に幼稚舎から慶應で、中等部を経てSFCの高校を卒業し、経済学研究科の博士課程を単位取得退学した小佐野彈君という実業家がいるんです。歌人・小説家としても知られている多才な方ですが、彼はSFCこそが福澤の遺した慶應義塾の精神を体現しているのだと言っていました。

彼が言うには、慶應では実学すなわちサイエンス、独立自尊、そして半学半教。この3つのことを言われていたけれど、実はこれを完全な形で実践したのがSFCだと。

独立自尊なんてまさにその通りで、SFCは自分でなんとかして学問をつくらなければいけないところです。それも学問の枠を取り払っただけではなく、国の枠だったり、世代の枠も取り払ってやるところに私は期待をしています。

コロナ時代の「人間交際」

土屋 廣瀬さんは湘南藤沢メディアセンター長で、加藤さんは体育の責任者みたいな立場におられ、このコロナには大変苦労された。体育の授業はオンラインでできるのかとか、廣瀬さんは海外のフィールドワークがしにくくなってしまっている。

グローバル化を進めてきた時代に、コロナ禍で手足が縛られつつあるような感じですが、教育の現場でどんなことを考えていらっしゃいますか。

廣瀬 私も従来から国際的な研究をするには現地に行かないと駄目だという考えを持っていました。やはり現地に行ったからこそ体験できることがいろいろとあると思うんです。現地のものを食べたり、空気を感じたり、スーパーマーケットに生活水準を感じたり。

例えばオンラインで海外の人と会話をしても、オンラインの範囲でしか見えない世界では、見えるものが限られます。グローバル人材の話ともつながりますが、やはりグローバルに活動するとなると現地に行くことがとても大事なのではないかと私は思います。

私が海外に行く時のモットーは緒方貞子さんの言葉の受け売りですが、「Understand」です。Understandは「理解すること」ですが、理解するには相手よりも下の目線で見ないといけない。例えば私がアゼルバイジャンに行って、ここは生活レベルが低いと言って、上から目線で見てしまうと見えるものが見えなくなってしまう。下から見てこそ初めて分かることがたくさんあると思うのです。

加えて、「郷に入ったら郷に従え」という柔軟性、そして相手にどっぷりつかるだけでなくて、日本人としての自分軸を失わない強さの両面をバランスよく持ってこそ初めてグローバルに活躍できるのではないかと思います。コロナの問題もそうですが、想定外のことが起きた時にも危機管理ができるような柔軟性やしなやかさを備えていくことも大事で、その点はSFCの学生は割と備わっていると思うんです。

私の研究会でも休学して世界を1周してしまう子ですとか、ボスニア・ヘルツェゴビナに長期で行っていた子などがいて、いろいろなところでたくましく生きている。そういう経験をしてグローバルな素養がだんだん身に付いてくるのではないかと思うので、オンラインが強いられる現在は、今後のグローバル人材を育てていく上でも、非常に難しい時代になったと思います。

まずはコロナが早く収束して、自由に海外にも行ける環境が再び戻ってくるのを祈るばかりですが、今の状況が何年続くかも見えない中では、オンラインを駆使しながら会話の行間を読んでいくような、かつての「クレムリノロジー」のようなことをしつつ、相手の懐に入りながら自分の知らない世界を理解していく貪欲な姿勢が求められていくのかなと思います。

土屋 加藤さんはSFC体操を学生につくらせたり、大変苦労されたと思いますけれども、いかがですか。

加藤 振り返ってみると、アメリカに行った時に日本代表みたいな感覚になって、自分は典型的な日本人じゃないけれど、日本人らしいことを言わなければいけないのかなとか、箸の持ち方を教えてあげたりすることから、だんだん世界が広がっていく感覚があったように思います。

それはSFCにいた時に自分とは何だろうと、アイデンティティについて考えたことがよかったのかなと、今から考えると思います。

今、研究している視覚の研究にもつながるのですが、単なる空間的な視野だけではなくて時間的な視野というか、今、自分はここにいるけれど、その先は何をやるべきかみたいなことを考えることはとても大事だと思うんですね。そこはSFCが設立当初から考えていた「今ではなくて未来を考える」ところに通じていて、未来からの留学生という言葉そのままなのかなと感じています。

SFCの理念の1つに「問題発見」「問題解決」というものがあります。誰かから問題を与えられたり、正解を教わるのではなく、まさに自分で問題を見つけ、自分で解決方法も考える。そのための知識や技術を学んでいくのが当たり前なんだということがSFCでは求められる。それに対して学生がすごく応えていたと思うんです。そういう意味でもSFCにはグローバルな志向が自然にあったのかなと思いますね。

コロナの状況になって改めて、体を動かすことや心の大事さを本当に感じています。福澤先生は「身体健康精神活溌」という書を残されています。身体は健康で精神は活発であるべきだということ。SFCに心身ウェルネスセンターがつくられた際の理念にも、それは一番大事なものとして残っているのですが、コロナの状況でもどうやって体を動かし、心の健康を保つのかを今も探っています。

やはり一番大事なのは「人間(じんかん)交際」だと思うんですね。独立自尊の一方で、福澤先生は、1人だけれども他人と交際することの重要性は同じぐらい大事だと言われた。では、どうやってオンライン授業でコミュニケーションを図るのかをすごく考えました。

春学期は、先ほどおっしゃっていただいたような体操を皆でつくるとか、アプリでつながるとか、いろいろなことを試したのですが、根本的なところは、こういう状況だからこそ人間交際をどうやって実現していくのか、ということなのだと思います。

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