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【特集:SFC創設30年】
SFCとわたし:鴨池のワイルドサイドを歩け!

2020/10/07

  • 金子 遊(かねこ ゆう)

    批評家、映像作家・1999環

湘南藤沢キャンパスを1999年に卒業し、年齢的には40代半ばだが、このところ半生を振り返るエッセイを頼まれることが多い。先日は書籍でインタビューまでして頂き、20代後半から30代前半の修業時代について振り返ったが、今度は雑誌に学生時代のことを書いてほしいという。来年早々にも病気か事故で命が尽きる前兆かもしれないので、湘南藤沢キャンパスにおけるわが青春の黒歴史をここに書いて残そう。輝かしいキャリアを歩む同窓生たちは誰も共感しないだろうが、あの人工的な構内に血も涙も通う人間がいたことの証左くらいにはなるはずだ。

他に入試で受かった大学もなく、創立4年目の湘南藤沢キャンパスに入学したとき、そこには学生生活に必要なあらゆるものが欠けており、教室とコンピュータと先生しかいない場所だった。授業では来るべき情報化社会やC言語について学び、仲間たち(後年の哲学者の西川アサキ、経済学者の井上智洋、生命科学者の高橋恒一、舞踊批評家の吉田悠樹彦ら)と学術文芸サークル「ユニオン会」をつくり、同人誌を印刷して手でホッチキス止めする日々だった。公認団体になるには専任教員が顧問になる必要があり、じゃんけんで負けた牧野壽永が文芸評論家の江藤淳先生に承認印をもらいにいった。こわい保守の論客で、謝恩会で酒がまわると学生に「一緒に朝日新聞を襲撃にいこう」とアジるという噂だった。夏目漱石の『こゝろ』を英訳で精読する江藤ゼミに入ったとき、先生はきちっとした背広とネクタイ姿でイオタの教室に登場した。わたしは猫背で姿勢が悪かったが、「君はお腹の具合でも悪いのかね」と注意され、ゼミでは座り方に気をつけるようになった。

元全共闘の父親は授業料を払うたびに、「お前の学校は右の先生ばっかりだな」と嫌みをいった。江藤先生が退職したので、評論家の福田和也先生のゼミに入って初日の飲み会に参加した。酒を飲みすぎて福田先生の面前で昭和天皇の戦争犯罪について力説したら、他の学生たちは凍りついていた。先生は新保守の論客と名乗るだけあり、戦後民主主義の虚妄について反論し、コテンパにやっつけられて泣いて帰った。その後は福田ゼミにまじめに通い、葛西善蔵、嘉村磯多、近松秋江といった私小説家の作品を読みふけった。

詩人の井上輝夫先生のゼミでは、どんな研究発表やレポートでも許されるので、芸術表現をしたい学生のアジール(避難所)になっていた。ゼミで学生が暗黒舞踏を踊っても、自作の詩を朗読しても、わたしが実験映画を上映しても、先生はニコニコして教室内でキャスターマイルドを吸いながら、うまいこと解説をつけてくれるのだった。

90年代半ばのメディアセンターには、ベータカムの編集卓とヴィデオ編集ができるMacがあったが、レンダリングに何日もかかり使い物にならなかった。映像サークルがなかったので映画研究会を結成し、バイトして16ミリフィルムの機材を自前でそろえた。実験映画を撮ろうと思い、メディアセンターの地下スタジオにベニヤ板でセットを組み立てた。裸になったわたしが吐瀉物を吐き、豚の内臓がコマ撮りアニメでセット内をうごめく『わが埋葬』という短編を撮った。撮影後に内臓の腐った臭いがスタジオにこびりつき、あえなく出入り禁止になった。友人の名前を騙ってスタジオを借りようとしたが、AVコンサルタントの学生が職員に通報した。その短編がヨーロッパの映画祭で上映され、映像の世界でやっていく自信をつけたので、汚した甲斐もあったというものだ。

後年、SFCで映像表現の講師をしないかと誘ってもらったとき、2年留年した上に裏街道を歩いてきた自分に声がかかったことが不思議で、政治家とちがい大学の人事ではスクリーニング作業がないのだと悟った。十数年ぶりにキャンパスへいくと、外の世界で生き残るために努力してきたことの方が嘘のようで、素直でまじめな学生たちがすくすくと成長する場になっていた。アートフィルムやドキュメンタリーを材料にして映像づくりのおもしろさを伝えようとしたが、YouTube世代を相手にうまくいったかどうか。まちがってもテレビ局や広告代理店に入って、番組やCMをつくる「クリエイター」にだけはならないように諭すので精一杯だった。

学生時代に6年、講師時代に8年、合計14年もSFCに通ったのだから腐れ縁というしかない。どれだけ気があうと思えた異性とも、それだけ長いあいだ関係が続いたことがなかった。若い頃は胸を高鳴らせて歩いたキャンパスも、開設30年をむかえたコンクリートの建物も古さびたが、人工的な鴨池と芝生は相変わらずなじんでいない。学生たちは横文字の用語を賢そうにしゃべり、文系の人間は単位をとれずにエグッている。次の30年も、この場所だけは平穏なままであってほしいと願うばかりだ。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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