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【特集:SFC創設30年】
SFCとわたし:未来と過去の意味を編むこと

2020/10/07

  • 渡邉 康太郎(わたなべ こうたろう)

    Takram コンテクストデザイナー、環境情報学部特別招聘教授・2007環

2003年、私は環境情報学部に入学し、翌年SFCに着任した脇田玲先生(現環境情報学部長)が立ち上げた「情報デザインゼミ」の1期生となった。私は先生からいろいろな刺激をいただいた。在学中は厳しい指導と「D」の成績を。卒業後は先生の著書へ短いエッセーを寄稿する機会を(成績を考慮するといささか意外な展開だったが)。その後、先生が次第にアーティストとしての活動を本格化するなか、最近では、FMラジオ局で私がパーソナリティを務めている番組に、先生にゲスト出演していただいた。

そこで先生は、論文執筆を音楽制作のように捉えていると語っていた。

なるほど、論文を世に問うとき音楽アルバムのメタファーに重ねるのはなんともおもしろそうだ。たとえば「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」というアルバムに収めるつもりで論文を書いていこう、と決める。執筆者はこれから世に放つ複数の論文を、単体としてではなく、あるコンセプトのもと統一感を帯びた作品群として捉える。今執筆しているひとつの論文は、その冒頭の曲なのだ、というように。それは一度に全曲をリリースする行為というよりも、これから始まる一連の制作に向けて、世に、そして自らに趣意を宣言することだ。仕事を進めれば、自ずと、アルバムはこんな曲で締めくくろうという心算もできる。

しかもこのメタファーは、この「ネクストアルバム」という未来志向の思考の枠組みを超えて展開できそうだ。たとえば3、4枚分のアルバム(に相当する複数の論文なり、何らかの仕事)が世に放たれた後、過去に制作したあらゆる曲のうち「ジョージ・ハリソンによる曲」とか「ライブ録音した曲」といった切り口で曲を選別し、別個のアルバムを編み直すことができる。すると、これまで投影してきた意味とは全く異質のコンセプトアルバムが浮上する。自らの道程を振り返るとき、過去の意味づけが複層化するのだ。

これまで通りの過去の解釈を一度カッコに入れ、複数の事象を新たな視点で見つめ直すことは、大きな労力を要する。無意識的な思考の枠組みを相対化することは、すなわち自らが親しんできた認識様式から離れることだ。自らの積み重ねを一度崩すことですらある。

「こいぬ座」という星座を思い返す。狩人の勇者オリオンを見上げる猟犬として、イラストではしばしばオリオンを見上げる姿勢で描かれる。しかしよく見ると星座を構成する星はプロキオンとゴメイサのふたつのみ。線で結んでもひとつの直線を成すだけだ。ここから「こいぬ」の絵を見出すのは難しい。でも人はかつて、ここに確かに「こいぬ」を見出したのだった。

星々を、つまり点同士を単に結びつけるのは容易だ。線を結んだのちに、そこにこいぬの絵を結像できるか。過去を振り返ったとき、新たな意味を抽出する仕事は、まさにこの「こいぬ」を心に描くことだ。

内モンゴルのトゥバ族が用いるトゥバ語は、日本語や英語とは、時間と方向の対応関係が逆転しているという。日本語や英語では「未来」は前に、「過去」は後ろにある。「あさって」はthe day “after” tomorrowと向こう側に位置し、過去は常にlook “back” する、「振り返る」ものだ。一方トゥバ語の世界では、過去は「目の前」に、未来は「後方に」広がっている。直観に反するようだが、よく考えるとこれも筋が通っている。人は未来に背を向けながら、後ろ向きに歩いているのだ。視界に入るのは過去のみ。過ぎ去った過去だけが目に移り、未来はいつまでも視界に入らない。

これは日本語(や英語)の世界で暮らす我々の感覚とも符合する。さらには、社会学者のマーシャル・マクルーハンが提唱した「社会のバックミラー視」とも重なる。私たちは未来に向かってクルマを運転している。でもフロントガラスの向こうには未来の社会は見えない。社会は、バックミラーのなかに過ぎ去った像としてのみ見えてくる。

歴史は起こる瞬間は偶然として見えるが、振り返ると必然となる。私たちは、バックミラーに映った過去に事後的に意味を見出す。でも、しばらくしてから今一度ミラーを覗き、増えた材料をもってまた考えつづけることもできる。意味は何度も姿を変える。だから別の視点でアルバムを編める。そしてまた、ネクストアルバムの構想を練る。

私は脇田先生と、何かのアルバムを編んでみたい──と、ここで勝手に宣言しよう。在学中の「D」から始まり、卒業後はなんとか対話することができるような関係になった。ここから先にさらに、予期しなかった偶然を重ねて、何かの仕事をできたら、それが新たな星座を浮かび上がらせるような気がするのだ。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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