【特集:SFC創設30年】
全員当事者キャンパス──学生として、職員として見たSFC
2020/10/06

SFC3期生から義塾職員へ
学部3年生の時に、当時の常任理事でSFC創設の立役者の1人、故高橋潤二郎先生の「立地・空間分析」という授業を履修した。この授業のグループワークの課題は、SFC創設に関わるあらゆるステークホルダーの証言を記録することだった。私はインタビュー班の1人として、当時のSFCの教職員に留まらず、三田の義塾関係者、藤沢市の方々、そして、地元の地権者の方々などにもお話を伺いにまわった。
故関口一郎先生や故清水和夫さんが、連日夜討ち朝駆けで一升瓶を持ってご近所を説得にまわったなどの武勇伝から、時には灰皿が飛び交う熱いカリキュラム議論のお話など、「大学を新しくつくる」ために、これほど多くの方々が情熱を持って、いろいろな立場で関わるのか、と非常に感銘を受けた。この体験が、私が大学職員になったきっかけのひとつとなった。あの頃お話を伺った方々の多くは、高橋先生を含め鬼籍に入られ、「これは今やらねばならないプロジェクトだ」と授業で仰っていたことが鮮明に思い出される(しかし、あの時の膨大なデータはどこに行ってしまったのだろうか…)。
その後、当時SFCの事務長であった故孫福弘さんを修士論文の相談で訪ねた際、「君、大学に興味があるなら慶應に来なさい」とご助言いただいた。その瞬間まで、大学職員という就職先の選択肢は私の中にはなかったが、上記の「立地・空間分析」の経験もあり、フィールドワークのようでおもしろそう、と義塾職員に応募することにした。当時、「SFC生は就職しても長続きしない」などとメディアで叩かれていたが、私自身、ひとつところで長く働けるのだろうか? と懐疑的であったので、よもや義塾で勤続20年を迎えることになろうとは予想だにしていなかった。
私は1992年にSFCの3期生として総合政策学部に入学した。高校2年生の時、SFCの存在をまったく知らなかった私は、友人に連れられてオープンキャンパスに参加した。まだすべてが完成していない僻地のキャンパス(確かΩ館の教室)で初代総合政策学部長の故加藤寛先生が、「ここは今は何もありませんが、SFCが地域を変えます。いずれ、新幹線も来る、飛行場もできます」と仰っていて、なんだかよくわからないけれども新しいことを始めようと皆がワクワクしている様子に私も心が浮き立った( 加藤先生、30年経ちましたが残念ながらまだ新幹線も飛行場もありません…)。「未来からの留学生」というフレーズも、この時初めて耳にしたように思う。
2020年10月号
【特集:SFC創設30年】
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上田 千尋(うえだ ちひろ)
慶應義塾職員、湘南藤沢事務室学事(国際・学生支援)担当・1996総、98政メ修