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【特集:SFC創設30年】
全員当事者キャンパス──学生として、職員として見たSFC

2020/10/06

「仲間」という意識

学部生の頃は、第1回、第2回の秋祭実行委員(以下、秋実)を務め、また、外部からのゲストや受験生などにキャンパスを案内する「SFCガイド」という活動も行っていた。これらの活動を通じて、恐らく学生としては普通よりも多くの職員との接点があった。

秋実としては、特に学生生活担当の職員の方々に大変お世話になった。とりわけ、学生と一緒に花火師の資格まで取得してくださった高野仁さん(現塾監局長)には、何度も企画書に愛あるダメ出しをいただき、こちらもめげずに何度も提出し、いろいろと突飛なアイディアを実現させていただいた。今、自分自身が学生生活の担当職員として秋実の企画書を受け取る側になったことは非常に感慨深く、あの頃の職員の方々もさぞや大変だったろう…、と思いを馳せている。

また、当時は連日のように全国津々浦々から多くの大学関係者の訪問があった。SFCガイドとしてキャンパスを案内しながら、SFCが「大学改革」の最前線として注目されていることを実感していたし、こんな素晴らしいキャンパス環境で学べる自分たちはなんて恵まれているんだろうと誇らしく思っていた。この活動を通じて知り合った職員の富山優一さんや故小林啓樹さんにも、SFCができるまでの苦労話、思い出話などをたくさん聞かせていただき、「職員」にもいろいろな役割の方々がいる、ということを知ることができた。

他にも、忘れられないのは、「鴨おじさん」として親しまれていた故安斎文夫さんだ。薄いブルーの長袖シャツに、腰元にはタオル。いつも軽トラでキャンパス内を走り回っておられ、多くの学生の人気者だった。卒業後も交流は続き、ご自宅の梨園に卒業生たちが押しかけ、梨狩りをさせていただいていた。SFCの管理運営業務を請け負う湘南コミュニティの方々とも交流があり、顔馴染みの北門警備室のおじさん(確か大野さんとおっしゃった)が退職される際には、友人たちと寄書きをお渡ししたこともあった。他にも生協の職員、食堂の方々、たくさんの顔馴染みがいた。

つまり、何が言いたいのかというと、SFC生であった当時から、教職員学生問わず、また、委託業者の方々をも含め、キャンパスに関わる皆が互いを「仲間」と認識していたように思うのだ。当時学生であった私自身もそう感じていたし、接していた教員も職員も、お互いを、また学生を、「仲間」として扱ってくださっていたように思う。学生と教職員がこんなにも近しく、また、ある種の戦友というか、苦楽を共にした仲間のような意識を共有できたことは、キャンパス創設期の特権だったのだろう。

17年ぶりの「帰郷」

政策・メディア研究科修士課程を修了し、1998年に入職。三田教務部での仮配属を経て、まずはSFCに配属された。AO入試などを4年担当し、2001年から三田キャンパスに異動した。根っからのSFCっ子であった私にとって三田はあまりに別世界で、鴨池で呑気に暮らす鯉が、いきなり東京湾に放り込まれたようなものだった。そこから、国際畑を中心に、三田でいろいろな部署を経験し、2019年6月、17年ぶりにSFCに出戻り異動となった。

三田在職中も何度かSFCを訪れてはいたが、やはり配属され、毎日通うとなるとまったく心持ちが違う。恩師である故井上輝夫先生が「SFCはポストモダンなんだ! だから、建物も左右非対称(Ω館のこと)だったり、正面の階段も歩幅がわざと歩きにくくしてあるんだよ」と悪戯っぽく仰っていたことを思い出しながら、正面カスケード脇の階段を上った出戻り初日。素直に「SFCに〝帰ってきた〟!」と嬉しくなり、キャンパスの樹木が驚くほど成長し、緑が深くなっていることに感動した(慶緑産業の皆様のご尽力の賜物!)。

とはいえ、17年ぶりということで、当然のことながら見知らぬ教職員が多く、また、同級生や後輩が教授になっていたりというのもなんとなく緊張感があったのだが、学生時代から馴染みの村井純先生に、「俺の定年前に間に合って良かったな」と、変わらぬ村井節で迎えていただきホッとした。

久しぶりのSFCでまず感じたのは、野性味溢れるライブ感だ。いろいろ変わったところはあるものの、良くも悪くも常に変化を求めて、バタバタしているところは変わっていない。特に会議での、喧々諤々、教職員が一体となって「どうすればもっとSFCが良くなるか」という観点で議論している様子が懐かしかった。

常に発展途上のキャンパス

初期のSFCで日常的に感じていたのは、教職員学生のいずれもが「自分たちがSFCをつくっている」という強い自負を持ち、深い愛着を持っていることだった。教職員も学生も、すでにできあがったキャンパスで「ただ享受する存在」ではなく、発展途上のキャンパスを「共につくる存在」としての仲間であり、皆が当事者だった。

では、30年経った今はどうか? 驚くべきことに、今なおSFCは完成しておらず、現在進行形で発展途上のキャンパスなのだ。滞在型教育研究施設の建物や什器、そして施設の使い方をもつくり続けるプロジェクト、SBC(Student Built Campus)が進行中だし、数年内にはキャンパス内に寮がつくられる予定だ。カリキュラムも常に進化し続けている。もちろん初期同様とは言わないけれども、皆がキャンパスをつくり続ける当事者、という伝統は確かに今のSFCにも根付いているように感じる。

奇しくもSFCが創設30年を迎えた今年、世界は未曾有の事態を迎えている。1990年のSFC創設時はインターネット黎明期で、情報技術が社会のあり方を変えていく、新しい時代の始まりでもあった。そして、SFCはその最先端にあった。2020年の現在は、治療法の確立していない感染症と共存しながら、温暖化をはじめとする環境問題や、社会の分断と多様化に直面し、持続可能な新しい社会のあり方をグローバルな規模で模索している。

今年度の春学期、SFCの授業はすべてオンラインで実施され、教職員も学生も、皆が試行錯誤でチャレンジの連続だった。そうした困難な中でも、学生が自らバーチャルSFCをつくったり、オンライン七夕祭を実施したり、また、教職員も新しい授業運営や研究プロジェクトに取り組みながら、新しい大学のあり方を模索している。特に私たち職員は、ここ何カ月も、学生や教員のいない静まりかえったキャンパスで、これからのSFCの教育・研究を支えるためには、どのようなキャンパス環境や制度、体制が必要になるのか、必死で考え取り組んでいる。SFCの創設理念のひとつは「問題発見・解決」であるが、これはなにも学生の専売特許ではない。職員だって、日々の業務の中で「問題発見・解決」に取り組んでいる。SFCは昔も今も、そしてきっとこれからも、最先端で、発展途上で、みんなで問題発見・解決をしながらつくり続けるキャンパスなのだ。

ところで、職員として出戻った私には、SFCの一卒業生としての側面もあるわけで、あらゆる思い出が詰まったキャンパスの風景には懐かしさや思い入れが強く、日々つい写真を撮ってしまう。折に触れ個人のSNSにあげている緑美しいキャンパスの写真は学生時代の友人たちにとても好評だ。SFCが身近になった、是非また訪ねたい、とコメントをもらうことが増え、SFCと卒業生の橋渡しができるようで嬉しい。コロナ禍が落ち着き、学生や教員が戻って活気のあるキャンパスが復活したら、たくさんの卒業生たちを迎えて、常に進化し続けるSFCを案内し、羨ましがらせたい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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