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【特集:SFC創設30年】
はじまりの終わり、終わりのはじまり

2020/10/05

精神を解放せよ

3つ目の解釈は少し煙に巻く所があるのだが、ご容赦いただきたい。例えば、こういう解釈も可能であろう。「はじまりの終わり」と「終わりのはじまり」は連続するものではない。それらは分け難く存在しているかもしれない。「はじまりの終わり」なのか「終わりのはじまり」なのか曖昧とした感覚の中に身を置くのだ。

巻き戻される未来。リワインドするシステム。そのような在り方を生み出すことができれば、SFCは引き続きSFCらしく生きていくことができるだろう。折しも現在は、新型コロナウイルス感染症のために、未来が見えなくなった時代である。未来が過去に消えていった時代である。未来を巻き戻すシステムを自己生成することは可能か? もしくは、過去と未来が複雑に分岐・結合を繰り返している時空間をSFCの中に作り出すことは可能か?

我々はどの程度まで精神を解放し、フローの存在として自分を見つめられるか?

「この世界を変貌させるものは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ」(三島由紀夫『金閣寺』)

認識こそが世界を普遍のまま、世界を永遠に変え続けることができる。

過去の文脈に囚われず、即物的な時間や空間の概念から自由になれるか。精神を解放し、自分の専門から自由になれるか。学者という概念、大学という概念から自由になれるか。

わかる人にはわかるだろうが、わからない人には全くわからない話である。しかし、SFCを開設したメンバーはそんなことを考えていたように思うのだ。

以上、1990年代に学生としてSFCに学び、2020年代には環境情報学部長としてSFCで大学運営をしている立場から、「SFCのこれまで、SFCのこれから」というテーマで私見を述べた。40代の若造が上から目線で批評しているように捉えうる部分もあるが、その点はこの場でお詫びするとともに、読者の皆様には著者の未熟さをご容赦いただければ幸いである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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