三田評論ONLINE

【特集:SFC創設30年】
これまでのSFC、これからのSFC

2020/10/05

キャンパスライフは、どこにあるのか

SFCは、30年前、土地を拓いてつくられた。現在のようすを当時の写真と比べると、大きく変わったことがわかる。とはいえ、多くの人が想い描くイメージも、そして実態としても、相変わらず「遠い」のである。大学を選ぶ、キャンパスを選ぶさいに、たとえば交通の便がよいこと、繁華街に近いことは現実的な条件として重要視されるかもしれない。だが、SFCに通っていると、そのような条件はもはや意味がないように思えてくる。私たちがこの「遠い」キャンパスに集うのは、場所としての魅力を感じているからだ。郊外型キャンパスをつくりながら「都心回帰」を決めた大学もあるなか、SFCは、依然として不思議な力で私たちを惹きつける。

創設当初は、まさにインターネットが世の中へと広がろうという黎明期で、SFCこそが世界へとつながる結節点だった。私たちは、キャンパスに足をはこぶことで、つながりを実感することができた。建物自体の整備もすすんでいたので、日ごとに変わりゆくキャンパスを眺めつつ、高揚感につつまれて過ごしていたと聞く。いまでは、スマートフォンで自在にやりとりするのがあたりまえになったが、情報ネットワークを前提とする暮らしのありようは、いち早くSFCで体験することができたのだ。

当然のことながら、時代とともに場所の性格は変容する。それでもなお、SFCは「実験する精神」から生まれた発想を、目に見える形で体現する場所になっている。最近では、ドローンや自動運転といった技術が、私たちの生活にどのような影響をあたえうるのかを考えるための「実験室(実験場)」として、キャンパスが活用されている。机上の思考実験にとどまることなく、のびやかに試行錯誤を続けることができるのは、SFCの立地のおかげだ。

2020年の春学期は、新型コロナウイルスの感染拡大によって、すべての授業がオンラインで開講されることになった。結局のところ、学生たちは、キャンパスに立ち入ることができないまま夏休みをむかえた。その間、学生たちは、自宅の部屋を教室や研究室として活用できるように、環境を整えた。授業内容や学問領域によって事情はちがうが、制限を受けながらもデータのやりとりやコミュニケーションの方法を工夫しながら春学期を過ごした。七夕祭やオープンキャンパスといったイベントもオンラインで開催され、多くの「来訪者」を記録している。春学期の試行錯誤の体験をとおして、学生も教職員も、それぞれがリモートでSFCをとらえなおすことになった。キャンパスの代替として、あるいは緊急事態における一時的なものとしてオンライン環境があるのではなく、もうひとつのキャンパスの姿が見えてきた。

こうした背景をふまえて、「これから」のキャンパスのありようを考えていくことが重要だ。それは、時間割や学事日程といった時間と空間の調整方法そのものが、見直されてゆくことを示唆している。オンライン化によって、SFCがいくつものちいさな細片となって、1人ひとりの自宅に入り込んでゆく。私たちは、物理的に距離を隔てられていても、SFCというコミュニティのメンバーであることを自覚しながら活動することができる。いっぽうで、立地の特性を活かした、リアルな「実験室」としてのキャンパスがある。オフラインとオンラインのキャンパスが協調的に併存しながら、私たちの学び方をより多様なものに変えていくはずだ。

「らしさ」の源泉

私たちは、しばしば「SFCらしさ」について語る。学問に向き合う態度や方法について、私たちのユニークさを意識しながら(誇りに感じながら)、30年を過ごした。慶應義塾のなかで、SFCはどのような存在なのか。さらに広い文脈で、数ある世界中のキャンパスのなかで、私たちは、どのような個性をアピールできるのか。私たちの「これから」を考える上で、この「らしさ」をどう理解するかが鍵となる

「らしさ」を理解する手がかりは、たくさんある。たとえば入試制度やカリキュラムの構成が、SFCの特色として語られることは多い。学術的な調査・研究の成果は、論文や書籍、さまざまな社会実践や提言などをとおして公開されている。また、卒業生たちの社会人としての業績は、実際に多様なモノやサービスとなって、私たちの日常生活に浸透しはじめている。いずれも、自らの問題意識をもとに、現場と直接かかわりながら、つねに思考と行動を一体化させようとする姿勢によって性格づけることができるだろう。

では、この「らしさ」を継承してゆくためにはどうすればよいのか。変化を続けながらも、キャンパスに根づいている気風を未来につなぐためには何が必要なのだろうか。まず象徴的なのは、30年という節目をむかえるタイミングで選出された2人の学部長が、SFCの卒業生だということだ。これは、創設時からSFCにかかわってきた先輩たちにとって、まさに、SFCの「成果」を世に問うタイミングをむかえたことを意味する。

SFCは、学際的・複合的な領域を扱う学部として誕生したが、「これまで」の教育を担ってきた教員たちの多くは、既存の学問領域のなかで経験を積んできた。「これから」は、そのSFCで学問を修めた教員たちが、「らしさ」を自問しながらキャンパスづくりを担ってゆくことになる。30年を経たいま、SFCの真価が試されているのだ。

両学部長のみならず、多くの卒業生が、教員としてふたたびキャンパスに戻っている。現在、2学部を併せて120名ほどの教員が「研究会」を担当しているが、そのおよそ2割がSFC出身である。実際にSFCで学び、育ったという体験があればこそ、キャンパスへの想いは強い。「これまで」を継承するという意味では、喜ばしいことだといえるだろう。

だが、そのこと自体が、「これから」のSFCにどのような影響をあたえうるのか。当然のことながら、SFCの事情を知っていれば、おのずと一体感が生まれる。自らの経験にもとづいて語られる「らしさ」は、説得力をもつ。しかしながら、注意が必要なのは、目指すのは〈声〉を1つにすることではないという点だ。唯一の「らしさ」を求めると、かえって私たちの個性を損なうことになるはずだ。あたらしい「実験」は、〈多声〉を尊ぶことによって実現する。30年の歴史に感謝しつつも、必要以上に「これまで」を参照することは避けたほうがよいだろう。

SFCの「らしさ」の源泉は、自己の再編成である。「これまで」を培ってきた「問題発見・問題解決」というキーワードさえも真摯に批評し、「これから」に向けて再編成してゆくことが大切だ。私たちは、つねに自らを批評し、失敗を怖れることなく実験に挑戦する。SFCを創造的に破壊することができるのは、他ならぬSFCなのである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事