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【特集:新春対談】
新春対談:慶應義塾での学びと 戦後80年──無知を知ること

2026/01/06

戦争を体験した世代が退場した後

伊藤 戦争からある期間が空き、日露戦争を経験した者もいなくなり、戦争というものの実感と体験を持つ人がいなくなったところで、また次の戦争という局面に入っていく。その時に政治家がどういう判断をするか、ということが問われていたと思います。そのあたりについては何か佳子さんはありますか。

石破(佳) 私の父親は戦争に行っていませんが、大勢の友人が行っていました。母からは疎開の体験などを聞かせてもらって育ちました。鳥取に行きましてからも、戦争を直接経験されていない方でも、戦後の困難な時に生まれたり、いろいろな体験をされている方が多かったので、様々なことを聞かせていただきました。

今、そのあたりの経験がまったくない世代の人たちが働き盛りです。企業、役所、メディアもそういう人たちが中心でいらっしゃる、そのことを政治家の妻としてとても不安に思っています。

伊藤 石破さんが責任の所在が明らかでない場合には、情緒的に勇ましい、非論理的な判断に導かれがちだとおっしゃっています。まさにそういう不安ということですね。

石破(佳) はい、その不安を持っています。戦後80年ということで、「NHKスペシャル」では、当時の新聞が真実でない情報を書いたことが、大衆の気持ちを煽ってしまった様子が報じられ、また「シミュレーション〜昭和16年夏の敗戦〜」も放映されました。当時、真実を知らない大衆、真実を受け入れられない政治家が悲惨な状態を引き起こしてしまった。

また、現在はネット環境というのがあります。主観的な思いがあっという間に配信されて、考える間もなくそれがメジャーになってしまうという恐ろしさをすごく感じています。福澤先生の時代よりもスピード感があり、大変かなと、ある意味で心配しております。

「自由と独立」の追求

伊藤 そうですね。福澤先生の時代も、『民情一新』で書かれているように、郵便と蒸気船、それから電信ができて一気に情報が伝わる。当時もそのことが恐れられたそうです。

『三田評論』2025年11月号に欧州委員会委員長のフォン・デア・ライエンさんが三田演説館にいらっしゃった際のスピーチの翻訳が出ています。その中でフォン・デア・ライエンさんは、「福澤諭吉が生きた19世紀末は今の時代と通じるところが明瞭にある」とおっしゃっています。私たちの周りの不安定な世界情勢を見渡す中で、福澤諭吉の教えの中にこそ答えがあると確信している。それは「自由と独立」の追求だと。自由と独立の追求というのは、過去の時代の言葉だと捉えられることがあるけれど、私は熟慮の上でこれらの言葉を使っているのだとおっしゃっています。

今、その「自由と独立」という言葉は、昔に戻るための言葉ではなく、今の現実の世界に向き合うための言葉になる。そして厳しい現実世界に向き合った時、今のこの嵐が過ぎれば──例えばこの地域の戦争が終わりさえすれば、この関税交渉が終わりさえすれば、次の選挙で何か方向が変われば──元に戻るわけではないと彼女は言っているのです。つまり地政学的な逆流があまりにも強過ぎる。だからこそ21世紀のための新しい「自由と独立」の形をつくるということが必要だと。独立というものは内向きのものではなく、広がりを持って仲間をつくっていくものだとおっしゃっていました。

このあたりは、恐らく石破さんがライフワークでお考えになっていることに通じるものがあるのではないかと思ったのですが、現代はこの19世紀末の福澤の時代に似ているかどうか、石破さんにもお伺いしたいのですが。

石破(茂) 似ているのでしょうね。今の時代を称して「新しい戦前」という人もいますね。おっしゃるように、日露戦争を知らない人たちが太平洋戦争を立案したわけです。頭でっかちというのか、秀才ではあるけれど、現実を知らない、あるいは想像力に欠ける人たちが理屈や精神論だけで太平洋戦争というものを企画立案した。そして、大日本帝国憲法というのは、わざと責任の所在がわからないような憲法になっているのですよね。

伊藤 そうおっしゃっていましたね。

石破(茂) 我々法律学科の人間でも、大日本帝国憲法についてはきちんと勉強してこなかった面がある。今回、よく勉強し直してみて、本来、責任の所在を曖昧にしている憲法だと感じました。理由はいろいろあるのでしょうが、それを埋めていたのが元老という存在だった。西園寺公望が亡くなって元老もいなくなると、責任の所在がますますわからなくなってきて、勇ましい声、大きな声が通るようになる。

「たまには清水の舞台から飛び降りることが人間は必要だ」とか、「戦うも亡国、戦わざるも亡国としても、戦わずして滅びるは日本人の魂まで滅ぼす真の亡国なり」などという勇ましくて、情緒的で、大きな声が通っていく。それで300万人以上が死んだわけですよね。その検証をしないと同じことが起こりますよ、と。

もう1つ、ここ20年ほど考えているのは、やはり日本の国というのは、インディペンデントで、サステナブルな国であるべきだと思う。逆に言えば、今の日本国はインディペンデントでもないし、サステナブルでもない。

伊藤 独立していないし、持続可能性も低いと。

石破(茂) そう思います。食糧もエネルギーも人口構成もそうです。自衛力だって、はっきり言ってしまえばそうですね。もちろん日米同盟は大切です。日中の信頼関係も大切です。しかし、その前提として、インディペンデントな日本とは何かということを突き詰めて考えたことがない、というのは恐いことだと思う。福澤先生がおっしゃるところの「独立自尊」というのは何なんだというのは、常に塾員、あるいは塾に学ぶ者が問いかけねばならんことなのでしょうね。

伊藤 そうですね。尊厳、そして独立、この2つがやはり、自由も含めて1つの柱になるわけです。

昨年3月の卒業式の卒業生の答辞は法学部法律学科の塾生でしたがこのような話をされていました。慶應では本当にいろいろな授業が揃っていて、好きな授業を楽しんで取らせてもらえた。1年生の時のある授業をきっかけに、自分はすべての国の国歌を歌うことを目標に据えて、150くらい歌えるようになった。その時、様々な国の国歌の中で一番出てくる単語を調べたのですが、それは何だと思いますかと、我々に問いかけたのです。それは「王様」ですか、「神」ですか、「独立」ですかと。

この答えは「自由」だということです。この「自由」というものは、それほど大切な、そして勝ち得ていくもの、守るべきものであると。日本においても、例えば袴田事件の例があったり、また、優生保護法によって子供を持つ自由が奪われた人もいると、彼は法律的な側面から、日本でもまだ自由が奪われている人がいるという話をした。だからこれからも私たちはやはり慶應義塾の精神で「自由」というものを尊んでいこうと言っていました。先ほどの石破さんの話を伺っても、やはり「正しく自由を教える」ということは、とても大切なのだと感じます。

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