【特集:新春対談】
新春対談:慶應義塾での学びと 戦後80年──無知を知ること
2026/01/06
慶應義塾と自由と独立の精神
伊藤 この新春対談は、「これから私たちがどのように次世代に何を託していくのか」ということがテーマになるわけですが、私たち慶應義塾に対する要望など何でも結構ですが、どういうことがありますか。
石破(茂) 慶應高校に入る時、外から受験する者は必ず『福翁自伝』を読めと言われて、よくわからないなと思いながら読みました。『学問のすゝめ』も読んだのです。面接で聞かれるので、知らないと大変なことになりますからね。この歳になって、もう一度我々は、『福翁自伝』や『学問のすゝめ』とか、ああいうものを読み直さんといかん、と思います。
福澤先生のみならず、『海軍主計大尉 小泉信吉』を小泉信三先生が書いていらっしゃいますが、学徒出陣で特攻隊として出撃する前夜に「今日、一人の自由主義者が死んでいきます」と書いた上原良司も慶應でしたね。よくあんなことが書けたと思います。
伊藤 そうですね。あの文章は本当にレベルが高い。
石破(茂) まさしく慶應義塾だと思いましたね。また『自由と規律』の池田潔先生も慶應ではなかったですか。
伊藤 そうですね。
石破(茂) やはり慶應の先人たちが自由というものをどう考え、国家というものをどう考えていたかということは、同じ慶應義塾社中の者として、まだまだ学びたいと思いますね。
伊藤 佳子さんは「慶應義塾に望むこと」はいかがですか。
石破(佳) 私は大学から慶應に入りました。そこで福澤先生の教えも勉強させていただき、自分なりに、やはり自分の行動は自分で判断して責任を持つといった基本的なことは心がけてきました。今、「自由と独立」というお話をされていましたが、慶應で学ぶということは、小学校から来られる方、中学、高校、大学、そしてまた大学院から入られる方があります。特に大学院から来られる方は、目的がはっきりされているのだと思います。
その中で、これからの教育について私が望んでいきたいと思っているのは、私たちの子供たちにも本を多く読ませてきましたが、まずは本を読んでもらう教育。もう1つは、いろいろな考え方の人の話を聞かせていただきたいと思います。私の高校では外部からいろいろな方が講演に来られて、学校の勉強とは違う話、時には自分の考えとは真反対の話を聞かせてもらう経験をさせていただいたことが、とても勉強になりました。そういう機会をどんどん与えていただき、慶應義塾らしい先端の教育をしていただけたらと思います。
そして、大いに留学をさせてほしいです。今は2つの学校の学位が取れるようなものもあると伺っていますので。
伊藤 ダブルディグリーですね。
石破(佳) 素晴らしいですね。私たちのように、女性の就職が限られていた時代と違って、これからの日本は、ますます女性の活躍が必要になってまいります。そういう中で、様々なことを切り拓いていけるための教育を期待しています。
一例を挙げさせていただきます。私が夫の公務に付いてフィリピンに行かせていただいた時、義足の会社を見学しました。フィリピンは糖尿病の人が多く、世界初の3Dプリンタを使った義足を開発し、安価で提供している会社です。経営者は日本人で、かつて日本でものづくりをしていましたが、人の役に立つ仕事をしたいとJICAでフィリピンに行き、ここの人たちの役に立ちたいと思い、帰国後、慶應義塾の大学院で学びました。その後、会社を設立し、現在たくさんの方を救っています。そういう方にお目にかかりました。やはり義塾は素晴らしい教育をしていただいていると思っています。
「生涯学び続ける」大切さ
伊藤 私は昨年11月に同志社大学の150周年記念式典に招待されました。同志社創立者の新島襄は20歳近くで日本の法律を破ってアメリカに渡り、そこで高校に入り直して大学に進みます。要は30歳を超えるまでずっと自分探しをしていたようなものです。それから日本に帰り、京都で山本覚馬と意気投合して同志社を始める。人生短い中において、相当の期間、学びと自分がやるべきことは何かを探している。
福澤諭吉も実はそうだと思うのです。随分長い時間、人生の半分くらいは自分探しをしている。それに対して、今人生100年の時代であるのに、あまりにも皆焦り過ぎているのではないかと思います。150年前と比べ、人間はそれほど進化していないので、そんなに効率よく学ぶこともできないし、自分がやるべきことをすぐに発見することもできない。実は石破さんも、恐らく一緒にずっと過ごされている佳子さんも日々の仕事をされながらも「何をするべきか」という志を常に高めてこられたのではないか、という印象を持っているのですが、そのあたりはいかがでしょうか。
石破(茂) 私も大臣などを務めるようになってから、慶應の新入生歓迎講演会みたいなものに時々呼ばれて「新入生に望むこと」みたいな偉そうな題をもらって話すのですが、この学校って、何でも勉強できるのですね。
最高レベルの学問に接することができるということは素晴らしいことです。一方で慶應に入ったことを1つのステータスだなんて思ったら、そこで成長は止まってしまう。やはり慶應の本質というのは、最高レベルの学問に接する──「学ぶ」とは言いません、接することができるということだと思うのです。
伊藤 機会を使い倒すということですね。
石破(茂) そうです。そうしないともったいないよね、という感じなのです。だから「自由と規律」とか、「自由と責任」とか、それは「独立自尊」とつながるものだろうけれど、それって何なんだろうというのは、私は永遠のテーマの1つなのだろうと思っています。
伊藤 「生涯学び続ける」ということですね。そこで福澤の教えは間違いなく必要だろうと。
石破(茂) そうだと思います。生涯学び続けることは大事です。国会議員は国会図書館を自由に使えるのですが、塾員も慶應の図書館は、お金を払うと使えますよね(編集部注:塾員入館券などで利用できる)。
生涯学び続けられるのも、慶應のすごいところだなと思います。勉強すればするほど「なんて自分はものを知らないんだ」ということに打ちのめされるところがあって、でもそこでくじけてはいかんのだと思います。世の中に知らなければいけないことが1000あるとしたら、多分自分が知ってることは100もないなと思うからこそ、日々学びなのだと。
2025年1月号
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