三田評論ONLINE

【特集:新春対談】
新春対談:伝統と革新を備えた学塾を目指して

2019/01/10

  • 坂井 音重(さかい おとしげ)

    能楽師。

    重要無形文化財総合指定者。観世流坂井職分家当主。白翔會主宰。1939年生まれ。64年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。72年フランスでの公演以来、世界各地で演能。2002年、日中国交正常化30 周年行事にて、釣魚台国賓館、故宮にて演能、10年ロシア連邦大統領よりロシア連邦友好勲章授与。13年慶應義塾大学名誉博士。社団法人観世会顧問。

  • 長谷山 彰(はせやま あきら)

    1952年生まれ。75年慶應義塾大学法学部卒業。79年同文学部卒業。84年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。法学博士。97年慶應義塾大学文学部教授。2001年慶應義塾大学学生総合センター長兼学生部長。07年文学部長・附属研究所斯道文庫長。09年慶應義塾常任理事。2017年慶應義塾長に就任。専門は法制史、日本古代史。

義塾150年記念の薪能

長谷山 明けましておめでとうございます。

坂井 おめでとうございます。

長谷山 年頭にあたって、重要無形文化財総合指定者の能楽師である坂井音重さんをお迎えしています。私が初めて坂井さんの舞台を拝見したのは、義塾創立150年記念の祝賀薪能が2008年11月7日に三田キャンパスで行われたときです。演目は「土蜘蛛」でした。当時、私は文学部長を務めており、夕やみ迫る中、工藤教和常任理事(当時)が松明で薪に火を点けたところから拝見しておりました。翌日に150年記念式典を控え、海外から様々な大学の学長がゲストで来られており、地域の住民の方もお招きして大変賑やかな、また印象深い会だったと記憶しています。

また、能楽協会の理事長を務められたお父上の音次郎氏が義塾の創立90年(1947年)のときに、学生の要望に応えて、戦後の復興期に文化で日本を盛り上げたい、慶應の学問や文化を発信したいと、同じ「土蜘蛛」を上演して学生を支援してくださったと後から伺いました。何か深いご縁を感じるのですが、義塾150年のときの祝賀能は、今から振り返っていかがでしたか。

坂井 歴史ある建物が並ぶ三田キャンパスで薪能が行われたわけです。薪能というのは、自然の空気の中で、観られる方がその能に浸って、悠久のひと時を過ごしていただくものです。三田の丘の上は、様々な鉄筋コンクリートの建物がある一方、大銀杏を中心とした、背の高い木々には、やはり伝統と自然の美しさを感じ取ることができます。演じている間、舞台の上で大変心地よく、また有り難く思っていました。

日本の伝統文化を大学のキャンパスの中から発信するということは、大変大きな意義があるのではないか。なぜなら、室町時代に生まれた能というのは650年もの歴史を持っていて、それが今までずっと継承され、今日に息吹いている。そのような文化的な価値を海外の方に観ていただくことはとても素晴らしいことです。塾の150年の歩みの中で、日本の伝統を考えてみようという理念が、私は大変素晴らしいと思いました。

長谷山 まさにその通りですね。

坂井 「土蜘蛛」という曲は、観ていて比較的分かりやすいんですね。平安朝のお話ですが、(源)頼光に虐げられた部族の方たちが、頼光への恨みを晴らさんがために土蜘蛛の精となって出てくる。でも、土蜘蛛の精は不思議なことに能の世界では僧侶の形で出てくるんです。僧侶の形をしていた土蜘蛛の精が、頼光に土蜘蛛の糸の千筋を投げながら亡き者にしようとするんですね。

土蜘蛛というのは、もともと葛城山で大和朝廷に反発している、ある部族だったわけですが、部族自体がなくなってしまってその恨みが残っているわけです。ただ、壊しても、壊したままではなく、精神的なアフターケアみたいなことが行われるのが日本のいいところです。「葛城」という曲がありますが、これは葛城の神を祀って、これ以上、祟(たた)りをしないでくださいよ、という日本人の鎮魂と救済の精神構造を表している能なのです。ヨーロッパでは負けると徹底的に虐げられる。日本は敗れたものであっても神として、どこか崇めようという心のやさしさがあるのだと思います。

先ほど塾長が言われたように、日本が戦争に負けた後、昭和22年に塾創立90年があり、戦災で焼け残った帝国劇場でいろいろな学生の催しをやろうということになり、伝統ある歌舞伎や能もやろうということになったのです。実は妹がその直前に亡くなっているのですが、しかし、父はそのことを学生や職員には伏せて、朝から晩まで稽古したのです。

そういう思い出の曲を、150年の記念に三田の山で、海外の方たちがいらっしゃる中で、演じさせていただいたということは身に余る光栄でした。上演後、時計の針は翌日にならんとしているような頃、海外の学長の方々とお話しする機会がありましたが、皆さまよかった、よかったと言ってくださったので、私も1つの責任は果たせたなと思いました。

長谷山 本当に印象深い行事でした、今おっしゃったように、怨念を持ったものが、勧善懲悪で征伐されるだけの存在ではなく、鎮魂の対象になっていくというやり方は、やはり日本特有なのだと思います。

坂井さんがシテをお務めになって、まず怨念を動きの少ない静の型で示して、後半では華やかな見栄えもする動きもある。静から動へという日本の芸の、そして能の1つの神髄に海外からのお客さまも感銘を受けたのではないか。西洋のオペラなどとは違う日本の精神的な世界を感じ取っていただけたのではないかと思います。

また三田の山というのは、「慶應讃歌」の中に「第二の故郷三田の山」という歌詞があるくらいで、義塾関係者にとって精神的な故郷と言える三田の山で祝賀の能を演じてくださったということは、義塾の歴史に残る貴重な行事であったと思います。

坂井さんはそれ以前にも、日吉における教養研究センター主催の新入生歓迎能とか、慶應観世会への指導で、直接塾生の教育にも携わっていただいている。そうしたことを含めて長年のご貢献に対して、2013年に慶應義塾から名誉博士称号を差し上げております。実は慶應義塾から名誉博士称号を授与した日本人としては、長い歴史の中で坂井さんは6人目なんですね。

坂井 恐れ多い話です。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事