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【特集:新春対談】
新春対談:伝統と革新を備えた学塾を目指して

2019/01/10

中国での国際交流

坂井 私は日中国交正常化30周年(2002年)のときから5年おきに中国で公演をしているのですが、30周年は、釣魚台国賓館と故宮の太廟で能を舞っております。そのときにお話しして、文化のことがよく分かる方だなと思った方が国務委員・新聞弁公室長の趙啓正さんです。彼はそのとき党常務中央委員の重要職でした。中国では珍しいくらいバランスの取れている方で、びっくりしたんですが、中国科学技術大学で核物理学を専攻した原子物理学者なんです。

長谷山 そうですか。では、理系の人なんですね。

坂井 そうなんですね。意外と理系の方が文化的なものに強い関心を持つ傾向がありますね。

長谷山 昨年の8月末、日中平和友好条約締結40周年記念で、北京で日中大学生1000人交流会という会がありました。中国の大学生500人と、日本の大学生500人が北京大学を舞台にいろいろな交流をして最終日に式典があり、李克強首相、安倍晋三首相のメッセージが代読され、日本から当時の林芳正文部科学大臣、それに私が日本の学長を代表し、中国側は陳宝生教育部長と北京大学の林建華学長が祝辞を述べられました。慶應義塾からも20人ほどの学生が参加しました。程永華駐日特命全権大使が大変力を入れて実現されたものでした。

北京大学には、5月の北京大学の創立120年の式典にもお招きいただいたんですが、30年ぶりに訪れた機会でした。30数年前の北京大学というのは、広大なキャンパスの中で、学生ものんびりしていて、学食へ行きますと、伝統的なお椀で、お箸で食べていたのです。ところが、昨年行きましたら、カフェテリアはメニューもiPadで注文して、決済は全部スマホで、IT化されている。北京大学は魯迅が教授を務めたりしていて、もともと文系の強い大学ですが、今は医学部も充実しているし、キャンパス内にはコンピューター科学センターなど理系の大きな研究棟も次々とできているのでびっくりしました。義塾の医学部も北京大学の医学部と本格的な交流を始めています。

昨年の、友好条約締結40周年記念で、能の公演も企画されていたと伺いましたけれど。

坂井 ええ、20年来、親しくしている程永華大使からのお話で、2017年、日中国交正常化45周年のフィナーレを能と上海の崑劇と京劇の競演で12月19日、20日両日、同じ演目で日本の国立能楽堂で開催いたしました。そして2018年9月26日、日中平和友好条約締結40周年記念公演を是非中国で演能してください、というお話で西安に向かったんです。

公演前には5月28、29、30日、公演劇場の決定、関係者との話し合いなどで西安へ向かい大忙しでした。西安市党書記ともよく話し合い、歓迎の宴を催していただき、専用特別車両を3日間用意してくれました。歓迎の宴から帰国までの宴会の会食は、いつものことながら体力もいるものだと思いましたが、人と人との親しい信頼関係は互いにこうして生まれるのだとも思いました。

長谷山 古の唐の都長安ですね。

坂井 そうです。そこで「楊貴妃」を舞いました。西安国際大学という大学で、日本語を勉強していらっしゃる方が結構いるので、そこでは2時間くらい講義しました。向こうの副学長さんがご熱心で、講演は立ち見が出るほどだったんです。

長谷山 今回の西安では京劇の上演もあったということですが、能楽と京劇とが同じ場で共演したときの観客の反応はいかがでしたか。

坂井 京劇は清朝の時に盛んになりました。つまり首都北京で根付きましたが、元来安徽省で発展したとも聞いています。明朝の頃は叙情豊かな美しい、静かに鑑賞するような崑劇(崑曲とも言われる)が主流でした。時代的には能が生まれた時期と同じで、世界無形遺産第1号に能楽とともに崑曲も認定されたのです。

そこに騎馬民族が入ってきて動きの激しい京劇が出来上がってくる。時代は歌舞伎とほぼ同じなのです。ですから、歌舞伎と同じように「ハオ」って掛け声をかけるんです。

長谷山 中国の観客が、静の代表である能楽と動の代表の京劇を両方1度に観られるとなると、いろいろ感ずるところは多かったのではないでしょうかね。

坂井 私は崑劇・京劇と必ず一緒に競演をいたしてまいりました。京劇も観るというより歌が重きをなしています。京劇のほうは「貴妃酔酒」、主人公は楊貴妃。いつも競演しましたのは京劇界の第一人者の梅葆玖さん、お父様は、かの高名な梅蘭芳さんです。梅派は貴婦人役の演目が見事で有名でした。梅葆玖さんとは北京ではステーキとワインで互いに心からの交友が続きました。そしてCCTV1チャンネルで約30分、2人で芸のお話をしました。東京にみえるときは、まず私に会いたいと言い、そして赤ワインとステーキのお定まりの会食です。私より少し年上で82で亡くなりました。まだあの歌声が耳に残り、胸が痛みます。

お客さんは最初は面食らったと思います。うちの長男(坂井音雅氏)が飛び上り安座といってジャンプし、腰から舞台に落ちるのが上手いので、2、3メートル飛んでパッと着地したら、そこで万雷の拍手がくる。ここは拍手する場所じゃないんだけど(笑)。

長谷山 歌舞伎と違って「何々屋」なんて掛け声がかかることは能楽ではありませんものね。

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