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【特集:新春対談】
新春対談:ポストコロナへ向けた大学のあり方

2021/01/08

  • 中谷 比呂樹(なかたに ひろき)

    慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)特任教授。前WHO(世界保健機関)執行理事会議長。1952年生まれ。77年慶應義塾大学医学部卒業。医学博士。大学卒業後厚生省(現厚生労働省)入職、医系技官として医政、公衆衛生、科学技術、国際保健分野のポジションを歴任。2007~2015年WHO本部事務局長補として感染症対策部門を牽引。グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)代表理事。

  • 長谷山 彰(はせやま あきら)

    1952年生まれ。75年慶應義塾大学法学部卒業。79年同文学部卒業。84年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。法学博士。97年慶應義塾大学文学部教授。2001年慶應義塾大学学生総合センター長兼学生部長。07年文学部長・附属研究所斯道文庫長。09年慶應義塾常任理事。2017年慶應義塾長に就任。現在、日本私立大学連盟会長などを兼務。専門は法制史、日本古代史。

新型コロナへの日本の対応

長谷山 新年おめでとうございます。昨年の三田評論新春対談は映画監督の福澤克雄さんに来ていただいて、今年(2020年)は東京オリンピック・パラリンピックの年なので楽しみだ、という話をしたのですが、蓋を開けてみますと、2020年はCOVID-19に席巻され、世界中が鎖国状況に陥るというグローバル化の裏返しの状況になってしまいました。日本でも緊急事態宣言が出たり、大学も非常に大きな影響を受けて、オンライン授業に切り替えたり、キャンパスを閉鎖せざるを得ないということもありました。

また信濃町の病院では本当に命がけで、医療関係者が感染症との闘いを続けました。慶應の特徴である「人間交際(じんかんこうさい)」が影響を受け、「社中協力」の象徴である各地の三田会が1年間まったく開けず、秋の連合三田会大会もとうとう中止になってしまいました。

コロナの終息にはほど遠い状況が続いているのですけれども、中谷さんは医学部をご卒業になって、厚労省からWHOに行かれて、現在は慶應義塾のKGRI(慶應義塾大学グローバルインスティテュート)で特任教授としてご活躍いただいている。そして何といっても、WHOで長年事務局長補として感染症と闘ってこられ、昨年は執行理事会の議長を務められました。日本、また世界のCOVID-19流行状況はどうなっていくのか、ということをご専門のお立場から最初に少しお話しいただければと思います。

中谷 新型コロナウイルスについて、よく言われることは、非常に狡猾なウイルスで人の弱みを突いてくるということです。ただ日本の対応はどうかというと、これは結構驚かれるのですが、先進工業国の死亡率を比較すると断トツで低いのです。人口10万人対死亡者数で見ると一番高いのはベルギー、G7諸国で一番高いのは現在フランスです。だいたい日本の80倍ぐらい亡くなっています。また、今回のコロナは先進国やBRICs諸国が大きく影響を受けて、逆にアフリカは人口構成年齢が若いので影響が大きくないのが特徴です。

さらに、治療がだんだん進化してきて、6月以降の全国登録者データを見ると、日本では70歳以上の方が重症となって入院されると、今でも10%ぐらいの確率で亡くなるのですが、以前と比べると死亡率は半減しています。入院時軽症あるいは中等症であれば70歳以下の方はほとんど亡くならないということもわかってきたわけです。

今までグローバルヘルスというのは途上国を助ける仕組みを一生懸命つくってきたわけですが、今回のコロナで明らかになったのは、先進国と言われるところでも効く薬がない、あるいは医療が逼迫して入院できないという途上国と同じ事態になりうるということです。日本は、高齢化が進んでいますので、そうなりかねないという懸念を持たざるを得ない状況となりました。そうなると今まで「地球の裏側のハナシ」と思ってきたグローバルヘルスへの見方が劇的に変わったと言えるのではないでしょうか。チャリティーとして可哀想な人を助けるのではなく、「私たち自身の問題なんだ」と多くの人が感じたことが大きな変化だと思います。

これは非常に大きなことで、今、私たちは、途上国、先進国にかかわらず、全世界で困っている人を助けるという仕組みを一生懸命つくっているところなのです。

長谷山 高齢化が進んでいる先進国ほどリスクが高いということですね。

中谷 そうです。ただ興味深いのは、日本は、ミラクルと呼ばれる程、不思議なアウトカムを示してきました。ロックダウンも非常にソフトに行ったので、経済の落ち込みも他のG7諸国と比べて低い。ですからコロナ対策で、日本は緩いとか甘いとか酷評されるのですが、客観的に見れば悪くはない。ただ、これは今までの話で、この冬がどうなるか、楽観は戒むべきと考えます。

近頃出た民間の臨調(「新型コロナ対応・民間臨時調査会」)がまとめた報告書がありますが、政府高官の言葉を引用して、「泥縄だったけど結果オーライだった」と非常におもしろい書き方をしているのです。つまり結果はよかったのですが、体系的、政策的な意思が明確でないので、次にこのような幸運がまた訪れるかどうかが私たちの心配の1つです。

さらに世界を見渡せば、人口100万人単位の死亡率で見ると、ゼロという国があるのです。モンゴル、台湾、ベトナムなどです。韓国も日本の死亡率の半分ぐらいです。

やはり福澤先生の言われる「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」というか、自分の地頭で考えて対策を一生懸命やった国というのはいい成果を出していると考えます。

長谷山 よくわかりました。中谷さんはいろいろなタイプの感染症の拡がりがどのように人間社会に影響を与えているかを見てこられたわけですが、そういったご経験からすると、今回のCOVID-19 は、どうも完全な終息というのは難しく、ポストコロナではなく、ウィズコロナの状態がしばらく続いていくのでしょうか。

中谷 まさにおっしゃるとおりだと思います。このCOVID-19は人間のビヘイビア(行動)に密接に結び付いて感染していくところが厄介です。人と会いたい、話したい。交流をしたい。こういう基本的な欲求と結びついているのでなかなか感染制圧が難しい。ですからコロナと折り合いをつけて生きていく必要があります。

例えば若い方は軽症で済む方が多いし、無症状の方も多い一方、高齢者は重症化リスクも高い。その中で経済と感染症対策とをどうバランスをとって進めていくかが難しいのです。

それからもう1つ出てきた課題が、国の情報管理のあり方です。例えば中国は典型で、感染者が出たら徹底的に封じ込めをして、接触をモニタリングするわけですよね。街の至るところにカメラがあって、接触者が外出すると当局に通報されて注意される。またドローンが飛んでいたり、GPSで個人の動きがわかってしまう。韓国もGPSを使って感染者がどのように行動していたかを把握しています。

このように、経済と公衆衛生との両立の他に、ある意味で自由や人権の制限をどのように考えるのかということが問われる軸が出てきてしまった。ここが、先進諸国がコロナの制圧に苦労する1つの理由でもあるのではないかと思います。

「人間交際」の回復という課題

長谷山 今、お話があったように人間の行動に根ざして感染が拡がっている。ところが慶應義塾は、創立者・福澤諭吉が「人間交際」を重視し、「世の中で最も大切なものは人と人との交わり付き合いなり。これすなわち1つの学問なり」という言葉を残している。そういう発想が慶應義塾の発展の基礎にもなっていると思うのです。学問を修め、独立した個人が、主体性を持って、世の中の流行とかデマに惑わされずに進むべき方向を考えていく。そして自律した個人が「人間交際」でつながって、自由で平等な社会をつくっていくという発想が慶應義塾の根本だと思います。

その「人間交際」の部分がコロナによって大きな影響を受けている。そこで独立自尊というもう1つの慶應義塾の軸、つまり、自律的な精神や行動が重要になってくると思います。要は感染症に対しても、究極には個人の自覚と良識ある行動の2つが対策の基本になると思いますので、これを徹底した上で、人間交際という部分を新しい形でどう回復していくかということが社中にとって課題になっていくのではないかという気がしています。

中谷 極めて大切な問題です。

長谷山 ご承知の通り、もともと慶應義塾の歴史というのは感染症ととても関係が深い。幕末に大坂の緒方洪庵の適塾で福澤諭吉が学んでいた頃に、コレラが流行り、恩師洪庵が一生懸命治療に奔走します。また福澤先生が江戸に出てきた慶應義塾創立の1858年という年は江戸でもコレラが流行りましたが、この年はいわゆる不平等条約と呼ばれた安政の5ヶ国条約が結ばれた年でもあり、外国からコレラが持ち込まれたのではないかと攘夷運動が盛んになる一因になったりしました。

それから福澤先生自身も2度腸チフスにかかったりして、何とか医師の養成をしたいということで明治6年には慶應義塾医学所をつくる(明治13年閉鎖)。

その遺志を大正時代になって、北里柴三郎が受け継いで、慶應が医学部・病院をつくりたいというときに手弁当で馳せ参じ、初代の学部長として病院をつくった。北里博士自身、破傷風菌の特定と治療法の開発、ペスト菌の発見などの業績から「日本細菌学の父」と呼ばれていますし、生涯感染症と闘ってきたような人ですね。

やはり慶應義塾というのは、感染症との闘いと非常に関係の深い大学であると思うのです。中谷さんも医学部をご卒業になって、やがてWHOに行かれて感染症対策に奮闘される。慶應の歴史と何か重なっている感じがします。

中谷 ちょうど60年前の1961年は、私たちの間では、国民皆保険ができた年ということで記憶されています。今回コロナが日本で死亡率が低かったのは、クラスターアプローチや3密回避というシンプルなメッセージで国民の自発的行動変容を求めたというユニークな公衆衛生対策の他に、国民全てが医療を安心して受けられる国民皆保険があったことも非常に大きかったと思います。

もう1つ、私は60年前のことで忘れてはならないと思っているのはポリオ(小児麻痺)の流行です。1960年からポリオが北海道を中心に流行ってきて翌年全国的な流行となりました。ワクチンも日本では十分につくれず、今と同じような状況になったのです。そのため、ロシアから生ワクチンの緊急輸入を超法規的に認めて接種したことで急速に制圧したのです。そのときの厚生大臣が古井喜実さん。そして公衆衛生局長が尾村偉久さんという慶應の卒業生でした。その2人のコンビでポリオを制圧したのです。

ですから、私はコロナに対しても、治療もかなり進化してきましたし、ワクチン開発についても素晴らしい進展が見られますので、ぜひ今年はウィズコロナであっても安心して生活ができるようになればと期待しています。

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