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【特集:新春対談】
新春対談:ポストコロナへ向けた大学のあり方

2021/01/08

コロナ対策への慶應の貢献

長谷山 今、慶應の卒業生の話が出ましたが、渦中で頑張っておられる慶應の卒業生と言えば、葛西健(かさいたけし)さんがちょうどこの時期にWHO西太平洋地域事務局長の任にあって、奮闘されていますね。その様子をお聞きになることはありますか。

中谷 葛西さんとはよく話をします。WHOには6つの地域があるのですが、西太平洋地域というのは人口が19億人いるにもかかわらず、コロナによる死亡者数が一番少ないのです。

葛西さんは、ずっと感染症対策に取り組んでいまして私が厚生省の結核感染症課長になった時、課長補佐でした。その時、香港で鳥インフルエンザが起こったのです。後にWHO本部の事務局長となり私もお仕えしたマーガレット・チャンさんが香港の衛生局長でした。彼女に電話をかけて、うちの若い技官を送るから現場を見せてくれないかということで彼が行きました。それから葛西さんはWHOに転職して、様々なポジションを経て今に至っていますが、感染症対策のプロ中のプロで、21世紀のアジアの主だった感染症流行対策の陣頭指揮をとってきました。「タケシがいて良かった」と海外の政府高官に言われるたびに誇らしく思います。

また、私と同じ志木高の卒業でもあり、お嬢さんが昨年、インターナショナルスクールから慶應の医学部に無事入られました。

長谷山 そうですか。親子二代で慶應医学部なんですね。医学部で今、北里博士のあだ名「ドンネル(=ドイツ語で雷の意)」からとった「慶應ドンネルプロジェクト」というものがあり、これも大変大きなプロジェクトに発展していますね。

中谷 私は今、慶應でアジア環太平洋大学協会(APRU)の仕事をしていますが、そこのインターナショナルセミナーで「ドンネルプロジェクト」の一端を発表させていただきました。「ファクターX」と言われる、なぜ日本人の死亡率が低いのかの究明を始め、まさに基礎・臨床医学が一緒になって研究を進められているのは素晴らしいことだと思います。

長谷山 「ドンネルプロジェクト」の概要を拝見しますと、1つのプロジェクトがウイルスを解明しようとする一方で、少し違った観点から違った専門の研究者が、こちらはこちらでつくってみようとやっている。それらが今度は一緒にやろうじゃないかと研究者・医師の皆さんが頑張っていることを支援していく。そういった複合的で大変大きなプロジェクトになっている。

このように、一部の専門の研究者だけが取り組むのではなくて、周辺のいろいろな研究者が参加して、大きなプロジェクトに成長していくというところが慶應義塾らしいなと思うのです。

中谷 総合的な課題解決について、慶應は、特別な伝統と潜在能力を持っていると思います。それぞれの時代の課題を解決する。これは文明を開くという福澤精神、我々のDNAだと思います。コロナに対しては、まさにそういう総合力といいますか、違う分野の力を融合することが非常に重要になってくると思うので、社会が慶應に期待するところは大きいのではないでしょうか。

また、慶應の影響力は国際的にも大きなものがあります。韓国が非常に上手な対策を行い、さらに情報、感染症対策と研究開発を統合するような組織改革をしようとしていす。このようなお話を聞きに行くと、スピーカーが慶應と長い交流を持っている延世大学卒業生で、「あなたは慶應ですか」といってすぐに打ち解けた関係を築けたことが1度ならずあります。WHOの韓国選出の執行理事の方もそうですし、在京韓国大使館保健担当公使は、慶應に留学した時の話を懐かしくされていました。

長谷山 それはうれしい話ですね。

中谷 また、葛西さんが西太平洋地域事務局長になる時、太平洋の島嶼国に選挙活動の一環として一緒に訪したことがあります。すると、小さな南の島の大使館にも塾員の女性がいて大いに助けていただきました。なぜここにいるのかと聞くと、自分は外資系の銀行で生き馬の目を抜くような仕事をしていたけれど、そうではなくて、人間の価値とは何なのかを見つめ直すためにここに来ているんですと目を輝かせて言うのです。伝統に加えて、多くの仲間が世界中にいるということに何度も感動しています。

ネットワークの強み

長谷山 塾員のネットワークがあるだけではなく、塾員それぞれが、慶應の卒業生ではなくても、いろいろな方とつながりをつくり、そこでまた周辺に新しいネットワークができて新しいことを実現しているのが慶應の強みだなと思います。

中谷 そうですね。私の祖父は東大の法学部を出たキャリア官僚だったのですが、ものすごく福澤思想に影響を受けているのです。上司が慶應の普通部から帝大の法学部を卒業した方だったので、その影響ではないかと思います。ですから私の家には「福澤全集・著作集」が3セットもあります。祖父のライブラリーから遺産として引き継いだ『大正版福澤全集』、私の母親(中谷瑾子元塾法学部教授)が購入した昭和版の『福澤諭吉全集』、それから私の買った『福澤諭吉著作集』です。

今、コロナでできるだけ公共交通機関を使わないようにして車で動いているのですが、運動不足にならないよう、毎晩散歩しています。ただ散歩をするだけではつまらないので、オーディオブックになっている『学問のすゝめ』や『文明論之概略』を聞きながら歩くと福澤先生のお考えというのは、今日的価値を持って21世紀に生きる私たちに語り掛けてくれるとつくづく感じます。

長谷山 慶應出身ではない方の中にも慶應ファンがいるという話は随所で聞きますね。いろいろな方にご挨拶をしたりすると、実は子どもが慶應でお世話になりましたという方も多いですね。

例えば、現在の駐日中国大使孔鉉佑さんの就任時にお会いしたら、お嬢さんはSFCへの留学経験があり、慶應のことはよく知っていますと。

このたび海上自衛隊の海将だった大塚海夫さんという方が、退官されたあとに駐ジブチ共和国特命全権大使になられた。自衛官出身で初めての大使だそうです。その方が慶應に表敬訪問に来られたんです。以前、海賊対策で自衛艦が派遣されたことはニュースでみていましたが、義塾とどういうご関係があるのかなと思ったら、ジブチには1995年に日本の援助でつくられた「フクザワ中学校」という学校があるので赴任前に慶應義塾を訪問したいということでした。

「フクザワ」の名前の由来は、中学校の着工前、ジブチの教育大臣が来日した際に、「日本の近代化は我が国の手本だ、ぜひ学校名に日本の教育者の名前をいただきたい」と、大臣自らが福澤諭吉の名前を挙げたことに由来しているそうです。また、ジブチで話されているアラビア語方言の、「Fouko-Sawa(ともに開く)」という語にも由来しているとのこと。ではフクザワ中学校にぜひ何か慶應から図書をお送りしましょうかと話をしたら、最後に、実は子どもは慶應ですとおっしゃる。

皆さん、本当にうれしそうに自分のご家族の誰かが慶應の関係者だと言い、慶應には親近感を持って下さる。そこでまた新しい人間のネットワークが広がる。これは慶應義塾にとって貴重な財産だなと思います。

中谷 今おっしゃったアフリカで言えば、故・岩男寿美子名誉教授が中心となって、タンザニアのアルーシャにつくった「さくら女子中学校」という学校があります。ちょうど岩男先生が亡くなる前の夏に、そこで学校保健のモデル的なことをやりたいのだが一緒に行かないかと誘われたのです。

その時は、WHO緊急援助プログラムの監査の出張が入ったので行けなくなりました。アルーシャには、昔の同僚のタンザニア人が2人リタイアしているので、どちらかを校医さんになってもらうよう交渉してあげると言いましたが、岩男先生が亡くなってしまいそれが果たせぬ約束となっています。ですから国境が開かれたら、アルーシャに行って約束を果たさなければと思っています。

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