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【特集:新春対談】
新春対談:歴史が教えるコロナ後の社会

2022/01/11

  • 磯田 道史(いそだ みちふみ)

    国際日本文化研究センター教授。1970年生まれ。96年慶應義塾大学文学部史学科日本史学専攻卒業。99年同大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学准教授等を経て現職。専門は日本近世史・日本社会経済史。著書に『近世大名家臣団の社会構造』『感染症の日本史』等多数。NHK BS「英雄たちの選択」で司会を務める。

  • 伊藤 公平(いとう こうへい)

    1965年生まれ。1989年慶應義塾大学理工学部計測工学科卒業。94年カリフォルニア大学バークレー校工学部Ph.D取得。助手、専任講師、助教授を経て2007年慶應義塾大学理工学部教授。17年~19年同理工学部長・理工学研究科委員長。日本学術会議会員。2021年5月慶應義塾長に就任。専門は固体物理、量子コンピュータ等。

歴史学者の物差し

伊藤 明けましておめでとうございます。今日は宜しくお願い致します。磯田さんとの対談を楽しみにしてまいりました。

磯田 こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します。

伊藤 さて、2020年3月以降、慶應義塾も新型コロナウイルスのパンデミックへの対応に終始してきました。慶應病院においても、対応に苦慮してきたわけですが、その中で、初代医学部長北里柴三郎博士が「雷親父」と言われたことから名付けられた「慶應ドンネルプロジェクト」(ドンネル=ドイツ語で雷)により、2020年4月からCOVID‑19の研究を始め、高い評価を得ています。

また、2021年6月から三田キャンパスにおいて、慶應義塾は5万人を対象にした職域集団ワクチン接種を行ってきました。今回、新型コロナウイルスに対するワクチンがこんなにも早く、発生から1年余りでできたということは、「現代医学はすごい」の一言に尽きると思うのです。

ただその一方で、京都大学の歴史学者、藤原辰史さんが2020年4月の時点で「長期戦に備えよ」と言われました(2020年4月26日付「朝日新聞」)。ここまで医学が進歩して、公衆衛生に対する知識も意識も進んでいる中において、「歴史はウイルスとの戦いは長期戦になると教えている」とおっしゃったことに、私は衝撃を受けました。私が新聞でそれを知ったのは藤原さんの記事が初めてですが、磯田さんもその前から新聞紙上などで、同じような趣旨のご発言をされていたということですね。

磯田さんはご著書『感染症の日本史』(2020年9月、文春新書)等でも、この感染症は第一波、第二波、第三波と波状攻撃が来ると初期の段階から言われていた。2年近くが経ち、第五波まで経験して初めて「ああ、こういうことだったんだ」とわれわれはわかったわけです。例えばレストランでメニューを選ぶ際、個人的な経験に基づいて選ぶわけですが、歴史学者の方々は、人類の経験というものを歴史として、それを基に判断されている。このすごさに私は圧倒され、歴史というものが1つの指針になることを実感しました。

まず歴史学者として、これからの社会で生きていく上で、磯田さんの考える「歴史」の位置付けというものを教えていただけますか。

磯田 今回のパンデミックについて言及するにあたっては、正直なところ躊躇もありました。しかし過去の感染症の歴史に触れたことのある歴史家としては、この先、この感染症がどういう経緯を辿りやすいのか、歴史的知識から、イメージがあったのです。

私は2020年3月6日付『朝日新聞』「耕論」に、取材を受け、記事を載せました。取材自体は2月だったと思います。その時点で世間が思っているよりも、この事態が長引く可能性がある、と警鐘を鳴らしました。ウイルスは変異して波状的にわれわれを襲ってくるのが過去のパターンでした。また、コロナウイルスの場合は、はしかのように一生持続する強い免疫持続性はないと見るべきで、安易に集団免疫戦略をとるのは危ないと、訴えることにしました。

このようなパンデミックは100年に一度起きるかどうかなので、やはり歴史学者しか見ていない遠い視野で眺めていないと言えないこともあると思ったのです。そこで私や藤原先生などが、「このウイルスは思ったより長く暴れる」という警鐘を鳴らしたのです。だから移動の自由を一時我慢する必要があるのだとも発信しました。

その時に背中を押してくれたのは、実は福澤先生の言葉でした。『民間雑誌』第三編に明治7年に書いた「学者は国の奴雁(どがん)なり」という言葉です。福澤先生に興味のある方には有名な言葉ですね。

伊藤 そうですね。清家篤元塾長がよく使われました。

磯田 私もこの言葉が非常に好きなのです。雁の群れが野にいて餌をついばんでいる時、その中に必ず一羽だけ首をぴょんと上げて四方の様子をうかがって、不意に難が降りかからないか番をするものがいる。これを「奴雁」というのであると。一羽だけは、目先の餌の御馳走を我慢して、ひたすら遠くを眺めて警戒している。そういう一羽の雁が大切であり、学者の役割もまたこういうものなんだと。

天下の人が目先のことに夢中になって、危険に気付かない場合があると、福澤先生は言いたかったのでしょう。「あれは言っておいてくれてよかった」というような、後日役立つ話を学者はするべきだと言った。俗に「親の説教と冷や酒は後になって効いてくる」と言います。そういう後で後ろ姿を拝まれるような早めの警告を学者は発すべきだ、という福澤先生の実学思想に勇気付けられ、「今言わなかったらいつ言うんだ」と思ったのです。

速水融先生の言葉

伊藤 なるほど。また、磯田さんは、学生時代より速水融先生のもとに通われていたのですよね。

磯田 私は経済学部ではないのですが、学生時代から私淑する形で速水融先生を追いかけ回しました。速水先生が最後に取り組んだ大きな仕事にスペイン風邪の研究があります(『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』、2006年、藤原書店)。速水先生は「磯田君、パンデミックは必ず来る」と言うのです。今でも耳底にそのイントネーションまで残っています。慶應の東門の横の建物に部屋を借りて、当時の新聞をひたすら集め、スペイン・インフルエンザの研究をされていたのです。

その時、ウイルスは波で襲って来るのだともよく語っておられた。しかも、その襲い方は、最初は先ぶれのような弱毒のウイルスが来る。そのうちに変異してすごい感染力になり毒性も強まって、これまで流行がなかった郡部に住む人や、丈夫な若者まで罹患する。速水先生は茶飲み話でもそんな話をされた。でも、そうなると、国民の大多数が免疫や抗体をもち、パンデミックは終息に向かっていくわけです。

速水先生が2019年の12月にお亡くなりになった直後にこのパンデミックが来たものですから、余計に福澤先生の言葉と併せて、差し出がましいとは思いつつも発言しようと思いました。

伊藤 磯田さんが出席された速水先生の文化勲章受章時の12年前の『三田評論』座談会(2010年2月号)でも、磯田さんは、「冷静に考えると、この日本列島で何十万もの単位で人が死ぬ可能性があるのがインフルエンザです」と言及されていますね。

速水先生の仕事は、数値を入力したり、ものすごい数の人が動員される巨大実験室だったということですね。

磯田 もう膨大な労力で、舞台裏は本当に大変でした。まず江戸時代の住民台帳に当たる宗門人別帳(宗門帳)を撮影してくる。この帳簿を解読して何歳で死んだとか奉公に出たとかその情報を電子データ化する。古文書を解読して情報シートに記入し、それをデータ入力してデータ・ベースをつくる。それができたら、しっかりデータクリーニングをやって分析する。江戸人の生存曲線を描き、平均寿命や乳幼児死亡率をはじき出す。男女や階層別の結婚年齢なども出します。何万何十万という数字を集計した結果、ようやく必要な数表が一枚得られるというような研究です。もう本当に砂を嚙むような作業から生まれてくるのですね。

伊藤 それは結果に意義を見出せないとできないですね。

磯田 ええ、やれないですね。私は、やはり江戸社会を見る時に、何歳で江戸人は死んで、何歳で結婚して、何歳で働きに出てという基礎データを重視していました。基礎データもなしに、その社会についてわかった顔をしてはいけない。だから江戸社会の分析の基礎工事に意義を見出していて携わりたかった。それが私が速水研の「下働き」に耐えられた理由でした。

伊藤 でも、その過程で、「何歳でこの人たちは死んで、このぐらいの人たちがこんなに生きてたんだ」とか小さな発見があると、私たち技術者にとっての「探していた部品が見つかった!」みたいな喜びがあるわけですね。

磯田 そうですね。滅多にありませんが、双子が生まれている事例があったりして、育つのかどうかがわかります。そういったことが生のデータを見ているとちらほら見えるのが楽しみでした。

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