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【特集:新春対談】
新春対談:歴史が教えるコロナ後の社会

2022/01/11

先導者としての使命

伊藤 なるほど、面白いですね。私なども量子の研究が好きで、基礎研究として没頭しているうちに、量子コンピュータというものが、ものすごい勢いで現実化してきたわけです。この好奇心に基づく現代科学の発展は破竹の勢いです。がん治療でも、患者さん個体のがんのゲノム情報を取って、このゲノム情報だったらこの薬だと決められるようになっている。普通の計算機ではできない計算が量子コンピュータでできるようになり、それによって不治のがんが治るようになるかもしれない。

これは素晴らしいことですが、その一方で、ゲノム編集によって、例えば背の高い人、鼻が高い、見栄えのいい人が自在につくれるようになると、やはりわれわれ慶應義塾としても、やっていいことといけないことを、人文知、総合知を併せて考えなければならなくなる。哲学、倫理学の出番とも言えるでしょう。さらにその上で、「名古屋城のしゃちほこは見事!」と楽しめるような豊かな感性を大切にする世界をつくっていかないと、逆に文化が死んでしまう可能性があると思うのです。

磯田 そうですね。目標さえ決めてしまえばその山は登れてしまうんだけれど、それを達成した状態が誰の幸せか、どのような意味を持つのかということ自体を考えないといけなくなりつつありますよね。

伊藤 そのようなことを含めて、これから10年、30年、50年後の全社会の先導者をつくっていくことが慶應義塾の使命です。平和で健全な社会の発展のためには、やはり過去を教訓として気を付けていかなければいけないということが多々あると思います。どのようにすればよいとお考えになりますか。

磯田 僕は日本の役割、ひいては慶應義塾の役割は、やはり、これからも大きい気がします。この21世紀の半ばという時代は、昔は、西洋キャッチアップ型で済んでいたのが、そうではないところにわれわれ人類は入っています。しかも、体制や価値観の相違が世界でも露わになり始めている。昔は西洋の民主主義や自由主義、人権尊重といった考え方がないと経済発展はないと無邪気に信じていたのですが、今や必ずしもそうでなくとも経済発展をして大国化する国々が現れています。この地球上で、さまざまな相違がある中、われわれはどう生きていくべきかを論じて、モデルや仮説を提示すべき時代になっていると思うのです。

私は、日本社会は、あらゆる面でどっぷり西洋でもないし、どっぷり東洋の古代文明からつながる社会でもない。そして、文明文化の激突や混じり合いを先行的に経験させられてきた「モルモット的」社会だと思うのです。例えばナショナリズムが行きすぎて失敗するとか、工業化を進めすぎて環境問題、公害を経験するとか、西洋化を推し進めすぎて自己のアイデンティティについて悩みを深めるといったことを真っ先に経験してきた。

こういう国家こそがはっきりした答えがない時代に、世界に対して何か現実的な対応の範になるのではないか。そして慶應義塾は、体制や価値観の相違があったとしても、「現実的な対応とは何か」ということをひたすら模索していくのに非常に優れた面を持った学風を持っているのだと思います。それが、われわれ塾員の役割ではないかと思いますし、変化する時代に、変わっていくものに対応するというよりも、情報を発信しながら変えていく主体になれると思うのです。

演説館がそうですよね。時代が変わっていくことを受け身になるのではなく、変わっていく世の中であるならば、こっちに行ったほうがいいよ、と変える主体をつくったという点で、やはり大事な場所だと思っています。

学びの場をつくるために

伊藤 慶應讃歌の2番に、「意気と力と熱情の 血潮に燃ゆる男(お)の子(こ)等が」という歌詞があります。現代的には「男の子」ではなく「若人」とでも読み替えるべきでしょうが(笑)。私たちは、これからの社会を生きていく若人たちが、自分たちの社会をつくっていくんだという場をつくらなければいけない。それが今、日本で失われつつあるところだと思うのです。

とりあえず今が平和で不満が少ないと、私たちにはその先を考えない傾向があります。今回の選挙での投票率の低さもそれを表している。ただ、今の若者たちの一部はすごい能力を持っています。AIにしても、若者たちのほうがよほどできるのです。ツールの使いこなしや情報に対する感度といったものは若者たちのほうが優れている。また、サステナビリティ・ネイティブと言われているような子供たちは、地球環境保護と経済発展は不可分なものだと心から感じている。

よって、今こそ「半学半教」の緒方洪庵の適塾に戻るべきなのではないかとも思うのです。今は教育改革にしても、国が入学試験のあり方や大学のガバナンスを全て考えるとか、国が考える方向に行くわけですが、本来、20歳の人間が考えたほうがよほど責任感が出るわけです。例えば、模擬国会を演説館で福澤諭吉たちが開いたようなことをこれからやりたいと思っているのです。

磯田 幕末、明治の力はたぶん学びを求める側と、学びを与える側の幸せな関係があったのだと思うのですね。学びを求める側には、とにかく知識に対する渇望がある。どんな山奥でも字を読んで知識を得たいと思っている若者がいたわけです。一方、先生と呼ばれるようになった人は、無料か安い値段で、学びを求めてくる若者たちに、親切に応接するわけです。適塾だったら洪庵先生は多くの若者を家に置いて世話をする。洪庵の奥さんが一番偉い。子沢山さんだったのに。

夏目漱石に「私の個人主義」という文章がありますね。あれは学習院の子供たちを前に漱石が講演しているのですが、最後に、「私の話を聞いて、よくわからないところがあると思った人は、ぜひ私のうちに来てください」とあるのです。ちょっと反省するのですが、今の私は「講演後にわからないことがあったら、私の家に来てください」とは言えていません。

今、渋沢栄一の大河ドラマをやっていますが、渋沢も京都に来た浪人の状態でうろうろしている時に、西郷隆盛のところへ名刺だけ持って会いにいくわけです。西郷は、何者でもない渋沢栄一を何度も豚鍋でもてなして話をしている。それは渋沢だったからやっているのではなく、あの忙しい西郷が、諸国諸藩の若者一人ずつに丁寧に会うのを続けていたわけです。

だから、コロナで対面が阻害されている中、対面でもリモートでもいいけれど、やはり学びを求める人と求められる人が、本当に真剣なまなざしで語り合う場というのは大事です。生きものである以上、何かを解決するには面談が基本になる気がします。

しかし、その場がだんだん壊れてきている。大学の先生の家に学生が上がらなくなって、もう何十年も経ちましたね。「あの先生と話してみたい」という若者が、明治の頃のように、どのぐらいいるのか。それに応じてくれる先生はどのくらいいるのか。先生と呼ばれるようになったら、損でもつらくても、それをするのが先生の義務という、いい時代がかつてありました。慶應義塾も、そういう先生が若者に丁寧に接した時代に、福澤先生がまかれた一粒の種が成長していったものに他なりません。

伊藤 慶應義塾の教員は学生に対する責任感が非常に強いので、一人一人の教員が専門性を高めながら、塾生たちを横につないでくれる可能性は非常に高い。ですから、そういう仕組み、環境をつくっていくのが、今、私の大きな目標の1つになっています。

つまり、ある社会課題を解決したい、自分たちはこういう社会をつくっていくんだ、こういう社会で生きていくんだと想像力豊かに思っている塾生たちが、慶應義塾で、磯田さんが速水さんについたように、どのような学びができるのか。そのような環境をつくっていきたいというのが、今私の一番強い思いです。

磯田 思い起こしてみると、学生時代、商学部の労働経済学の清家篤先生に「文学部なんですけど、取らせてください」と言って、講義でわからないところなど、授業後に教卓の横まで行って、教えてもらった覚えがあります。後年、私が茨城大学の助教授になってから常磐線の中で清家先生を見かけて、「実は先生の授業を取らせていただきました」と言ったら喜んでくださいました。

文学部の先生方には、三田の居酒屋つるの屋でお話を聞きました。僕は指導教授が田代和生先生で、お世話になり、もちろんつるの屋にも連れていっていただきました。当時福澤研究センター所長の坂井達朗先生からも福澤先生についての逸話などをつるの屋で聞いたことも心に残っています。

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