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【特集:新春対談】
新春対談:グローバル・シチズンを育てる学塾へ

2023/01/10

  • グレン・S・フクシマ(GLEN S. FUKUSHIMA)

    1949年生まれ。米国投資者保護公社(SIPC)副理事長。1971~72年慶應義塾大学留学。2012年特選塾員。74~78年ハーバード大学大学院。85~90年米国大統領府通商代表部にて日本担当部長等を務める。日本AT&T副社長、エアバス本社上級副社長等を歴任。在日米国商工会議所会頭等も務める。2022年フルブライト─グレン・S・フクシマ基金を設立。

  • 伊藤 公平(いとう こうへい)

    1965年生まれ。1989年慶應義塾大学理工学部計測工学科卒業。94年カリフォルニア大学バークレー校工学部 Ph.D取得。助手、専任講師、助教授を経て2007年慶應義塾大学理工学部教授。17~19年同理工学部長・理工学研究科委員長。日本学術会議会員。2021年5月慶應義塾長に就任。専門は固体物理、量子コンピュータ等。

慶應義塾留学の思い出

伊藤 明けましておめでとうございます。本日はグレン・S・フクシマさんにお越しいただきました。フクシマさんは1985年から1990年というバブル景気の時期に、米国大統領府通商代表部においてアメリカの対日・対中通商政策の立案、調整、実施を担当され、そのご経験をまとめた『日米経済摩擦の政治学』は第9回大平正芳記念賞を受賞されています。

その後、米国AT&Tに入社され、日本AT&T株式会社副社長、アーサー・D・リトル・ジャパン株式会社代表取締役社長、日本ケイデンス・デザイン・システムズ社社長・会長、日本NCR株式会社代表取締役共同社長、エアバス本社の上級副社長、さらに日本法人エアバス・ジャパン(株)の代表取締役社長兼CEOなどの要職を歴任されてきました。

この間、在日米国商工会議所会頭の他、日米友好基金副理事長、日米文化教育交流会議米国副委員長、日米協会副会長、米日カウンシル評議員、経済同友会幹事など、たくさんの日米関係、そして様々な文化団体の幹事などを歴任され、2012年から慶應義塾の特選塾員になっていただいています。

また最近では、2022年、フクシマさんからフルブライト奨学金への100万ドルの寄付によって「フルブライト―グレン・S・フクシマ基金」が設立され、日米フルブライト交流事業を支援されていらっしゃいます。このフルブライトへの寄付は、米国人による単独寄付としては過去最大規模とのことです。

ということで、本日はフクシマさんを三田キャンパスに「お帰りなさい」ということでお迎えし、お話をしていきたいと思います。フクシマさんは日系三世アメリカ人としてアメリカで育ち、スタンフォード大学で学ばれたわけですが、この間、2回にわたり日本に来られ、慶應義塾で学ばれました。1969年には短期交換留学生として夏休みを慶應で過ごされ、さらにその2年後には2年間交換留学生として神谷不二教授、石川忠雄教授らから学ばれました。まずはこの頃の思い出をお話しいただけますでしょうか。

フクシマ 今日はお招きいただき、有り難うございます。おっしゃったように私はスタンフォード大学の学部生の時、慶應義塾大学に二度来る機会がありました。1969年の夏は私がスタンフォード大学の2年生を修了した時でした。当時は毎年スタンフォードから慶應に夏の間、12名の学生が来て、慶應からスタンフォードヘは春休みに12名の学生が行っていました。

私が69年の7月に日本に来た時は、上大崎の花田さんというホストファミリーにお世話になりました。花田ファミリーはお父さんが大手企業の幹部の方で、戦前アメリカのUCLAとハーバード・ビジネススクールに留学されていて、非常に国際的な家庭でした。

息子さんが3人いまして、3人とも慶應です。下の2人は当時まだ慶應の学生でしたが、その一人は花田光世さんで、その後、湘南藤沢キャンパスで教授になられました(現名誉教授)。2カ月間、非常に温かく迎えてくださり、いい経験をしました。

伊藤 その時、日本語はどのぐらいできたのですか?

フクシマ スタンフォード大学に入って初めて日本語を正式に1年程度勉強してから来たので、聴くほうはある程度わかりました。私の父はアメリカ陸軍の仕事をしていて、日本の米軍基地に住む機会がありました。教育は全部英語でしたが、テレビから相撲や野球などスポーツ経由で日本語を聴く機会がありました。

伊藤 今はもうこんなに日本語がパーフェクトでいらっしゃる。

フクシマ いえいえ。最初に来た時は日本語はあまり話せなかったです。69年の夏、慶應で大変良い経験をしたので、71年~72年、また慶應に留学しました。当時は一年間の交換留学プログラムがありました。私がスタンフォードにいた時は北島信一さんという方が慶應からスタンフォードに留学していました。彼は後に外務省で外交官として活躍され、私も親しくさせていただきました。

私の前に慶應に留学したスタンフォードの学生は、卒業してから慶應に来たのですが、ベトナム戦争中だったのでキャンプ座間で徴兵のための身体検査を受けることになったのです。彼の慶應でのホストファミリーは医師で、血圧を上げる薬をもらって身体検査はパスしなかったそうですが(笑)。そういうことがあったので、卒業のための必須科目を残し、学部の学生として慶應に留学したほうがいいと言われ、4年生のまま71年4月から慶應で学びました。

その時は主に国際センターで日本語の勉強をしました。ちょうどコロンビア大学のジェラルド・カーティス先生が、慶應の法学部に客員教授として来られていました。先生は神谷先生と一緒に4年生のゼミで日米関係論を教えられていました。私は日本語を聴くことは大体わかったので、聴講生としてそのゼミに入れてもらい、そこでジェラルド・カーティス先生と神谷先生にお世話になったのです。

もう1つ、私はスタンフォードで近代中国史や中国の政治について勉強していたので、石川忠雄先生が法学部長で山田辰雄先生が助手でしたが、大学院の中国政治のゼミにも聴講生として入れていただきました。

また曽根泰教さんが当時、大学院生で、彼に誘われて週に1回東工大へ行って、永井陽之助先生の国際関係論のゼミにも出ることができました。基本的には日本語の勉強をしながら、神谷先生、石川先生、永井先生のクラスで、国際政治について中身の勉強もでき、とても充実した1年間を過ごしました。

慶應義塾を通じた交流

伊藤 神谷先生、石川先生とのエピソードや印象に残ったことはありますか。

フクシマ 神谷先生のゼミでは日本の占領期についての資料を結構読みました。その結果占領期について関心を持つようになりました。そして、そのゼミに参加していた二人の学生にその後随分たってから偶然会いました。一人は高久裕さんで、彼はその後、日本国際交流センターで国際人事交流の仕事をしていて、特に日本とオーストラリアとの関係に力を入れ、オーストラリア政府から叙勲されています。

もう一人は松田あぐりさんという女性ですが、彼女は、私が85年に通商代表部に入ってから、在日アメリカ大使館で報道官として共に働いていたヒュー・ハラという人の奥さんになっていました。そのように高久さんと松田さんは、社会人になってからお付き合いがあります。

伊藤 慶應は石川さんを始め、神谷さん、山田さんなど、地域研究、リージョナルスタディが盛んで、非常に世界の広い範囲の研究をしている研究者がたくさん出ました。その流れは今も続き、三田キャンパス、湘南藤沢キャンパスを中心に多くの教員が様々な地域研究の専門家として研究しています。そしてウクライナ危機のような時、盛んにテレビや新聞で解説をしてくれています。

国際情勢の転換期にこそ、全体像を俯瞰して政策提言や国際協調に寄与するのが慶應の伝統と誇りです。

フクシマ 慶應の先生方とはこの間亡くなってしまった中山俊宏さんの他、神保謙さん、渡辺靖さん、国分良成さん(名誉教授)といった人たちとお付き合いがあります。日米関係や中国との関係など、政策論議をする機会があり、慶應には優秀な学者が多く活躍され、大変素晴らしいことだと思っています。

伊藤 そういう人たちが皆、フクシマさんのような方とつながり、世界レベルの市民として貢献するのが慶應の強みになっているのだろうと思っています。

スタンフォードで慶應を選ばれたのはたまたま交換留学制度があったからですか。

フクシマ そうです。1960年代から慶應からスタンフォード、スタンフォードから慶應への一年間の交換留学プログラムがありました。確か第一期生が経済学者の霍見(つるみ)芳浩さんだったかと……。

伊藤 ニューヨーク市立大学教授として活躍された経済学者ですね。

フクシマ スタンフォードと慶應の関係は1960年代から大変良好な関係だったのだと思います。だから、慶應との交換留学プログラムがあるというので、応募しました。

一年間留学した際は慶應の紹介で、三田から歩いて15分ぐらいのところに下宿しました。片桐さんという70代の外務省関係の方の奥様のかなり大きい家で、仙台坂下、韓国大使館の裏でした。4畳半の下宿に暮らし、毎日二之橋からオーストラリア大使館の脇を通って慶應に来て勉強していました。

伊藤 それから50年たち、慶應を選んでよかったと思いますか。今では日本にいろいろな大学があることはよくご存じだと思いますが。

フクシマ よかったと思っています。1990年代の終わり頃には湘南藤沢キャンパスの外部評価委員会の仕事で椎名武雄さん、茂木友三郎さん、福原義春さんとご一緒する機会があり、特選塾員にも選んでいただきました。個人的には先ほどお話しした先生方の他に、法学部の田村次朗さんの勉強会で講演もしています。

また、柏木茂雄さんは73年ごろに慶應を卒業して大蔵省に入り、IMFでワシントンに2回ほど勤務していますが、彼ともついこの間会いました。個人的な慶應の卒業生との付き合いは50年以上あり、大変貴重です。

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