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【特集:新・読書論】
「大正知識人」としての小泉信三/武藤 秀太郎

2020/05/11

読書から社会参加へ

専門の狭い殻に閉じこもることなく、幅広い読書を通じ、豊かな教養を身につける。小泉はまさに、大正教養主義の申し子というべき存在であった。これは、小泉とともに慶應の経済学部(理財科)の2枚看板として活躍する高橋誠一郎にもあてはまろう。高橋も経済学だけでなく、浮世絵をはじめとする文芸に広く通じた教養人であった。

本年2月に刊行した拙著『大正デモクラットの精神史──東アジアにおける「知識人」の誕生』(慶應義塾大学出版会)では、小泉や高橋ら大正デモクラットに焦点をあて、彼らが「知識人」としてはたした社会的役割を再検討している。さきに述べたように、『三田文学』の関係者らは、不条理と思える大逆事件に対し、様々な形でリアクションを起こした。ただ、フランスのドレフュス事件におけるエミール・ゾラのように、政府に公然と抗議を唱え、輿論を再審へと導いたわけではない。

では、日本でドレフュス事件に匹敵するような「知識人」の集団的行動がみられたのはいつか。拙著では、その端緒を1918年12月に結成された黎明会という団体にみいだしている。黎明会は、朝日新聞社長の村山竜平が白昼堂々襲撃されるという白虹(はっこう)事件をうけ、東京帝国大学の吉野作造と福田徳三が中心となり、思想運動にあたろうと高等教育機関の教員らを糾合した結社であった。慶應義塾からも、小泉信三をはじめ、高橋誠一郎、堀江帰一、三辺金蔵、占部百太郎、川合貞一、田中萃一郎がメンバーに加わっている。

黎明会は、いわゆる労働三権を否定した治安警察法第17条の廃止や、アナーキストであるクロポトキンに関する論文を執筆したために、森戸辰男が新聞紙法の朝憲紊乱罪で東大を追われた事件(森戸事件)の不当性を、講演・出版活動を通じ、広く社会にアピールした。結成直後に起こった朝鮮の三・一独立運動や中国の五・四運動に対しても、積極的に反応し、民族融和につとめている。小泉を含めた黎明会の「知識人」らは、学問に裏打ちされた普遍的理念と現実の橋渡しをしようと、積極的に社会参加(アンガジュマン)していったのである。

古今東西にわたる書籍に親しむと同時に、自らの「観察思考」を養い、現実社会へと主体的に関わってゆく。小泉が『読書論』で示した心得・指南は、まさに彼自身の経験に裏打ちされたものであったといえよう。

〈注〉

* 1  小泉信三「わが文芸談」『小泉信三全集』第20巻、文藝春秋、579-82頁。

* 2  江藤淳「登世という名の嫂──漱石における禁忌と告白」『新潮』第67巻第3号、1970年3月、188-208頁。

* 3  小泉信三『青年 小泉信三の日記』慶應義塾大学出版会、2001年、26頁。

* 4  小泉信三「私の履歴書」『小泉信三全集』第16巻、470頁。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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