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【特集:新・読書論】
〈読書の風景〉検索時代にリアルな本との出会いの場を作る/幅 允孝

2020/05/11

  • 幅 允孝(はば よしたか)

    ブックディレクター、有限会社バッハ代表・塾員

私が青山ブックセンターの書店員だった2000年にアマゾン・ジャパンができた。まだインターネットはダイアル・アップ時代であったが、段々と売り上げが減っていった。しかし、一番危惧したのは来店客数が減ったことだった。

本というのは「著者以外の誰かが開いて、はじめて本になる」と思っている。誰かがページをめくってくれないと始まらない。他者の眼に触れることで段々とそこに熱が溜まっていき、そこで渦巻くエネルギーになる。しかし、来店客数が減り、段々と書店が「冷たく」なっていった。

書店に人が来ないのであれば、人がいる場所に本をもっていくしかないと考え、今のブックディレクターという仕事に至った。青山ブックセンターを辞めた後、ブルータス元編集長・石川次郎さんの編集プロダクションにいた2003年に「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」(現六本木 蔦屋書店)の選書を手掛け、その後、05年に会社をつくった。最近は、書店よりも公共図書館、企業図書館などの仕事が多い。神戸市立神戸アイセンター病院という視覚障がい者のための医療施設の本棚を手掛けたこともある。いろいろな場所に本を「染み出す」ことをさせてもらっている。

仕事をする上で考えていることは主に2つだ。1つは、現在、すっかり検索型の世の中になってしまっているので、知っている本しか皆手に取らない。それに対して知らない本を手に取る機会を世の中に点在させたい。もう1つは、スマホをはじめ、時間の奪い合いが激しい中で、読むのに時間がかかる本というものに、どうやったら人を振り向かせることができるか、である。

そのためには、世の中への「本の差し出し方」にこだわりをもちたい。例えば公共図書館で選書した本がNDC(日本十進分類法)の分類で並んでいるだけでは、現代の人を振り向かせるのは難しいだろう。まずは分類とサインの出し方に工夫をし、本へと誘いたい。

新型コロナウイルスのため、3月1日の開館が延期となってしまったが、「こども本の森 中之島」という大阪の中之島に安藤忠雄さんが寄付を集めてつくり、大阪市に寄贈した、子どものための文化施設ができた。当社が共同で指定管理者となり、私はクリエイティブ・ディレクターとしてNDCではない独自分類で選書し、棚を作らせてもらっている。

例えば入口すぐのところには、「自然と遊ぼう」というサインがあり、そこには目の前を流れる川の本や中之島公園に植えられている樹々の本がある。「481」のような分類記号を書くよりは「動物の好きな人へ」といったサインを出すほうが子どもの心に届くのは間違いないだろう。本の中の言葉の一節をアフォリズムのように抽出して立体化し掲げて、手に取ってもらう工夫もしている。

「本の森」には高さ17メートルの何もない円柱空間がある。そこに映像作品を使って、本の中の言葉や絵本の一部を映し出し、その後、その本は何階のどこにありますよ、と誘導する。あらゆる方法を用いて本への好奇心を促し、子どもに手に取ってもらい、ページを開いてもらうという施設なのだ。

言葉の一節が心に引っかかってくれれば本を読んでくれる。その導入が大切だ。本をただ置いているのではなく、どういう意図で本を集めて並べるのか。その意図を伝えないと、何でそこに本があるのか、どういうふうに手にとってほしいのかが伝わらない。プロフェッショナルとしてやる以上「読め、読め」という作為ではなく、気が付いたら読んでいた、という状態を作りたい。

現在、フロー型の一時コミュニケーションのために消費され、流れていってしまうモノや情報が多いと感じる。服なども皆メルカリ等で換金・交換している。しかし、人間それだけで満足できるかと言えばそうではないだろう。自分の一部をなしているもの、自分の中に深く刺さって抜けないものは、やすやすとフローの流れに渡すことはできない。

紙の本というのは、そのように人の心に刺すことができるのではないだろうか。なぜなら、それはいったん刷られてしまえば、書き直しができないからだ。デジタルコンテンツはいつでも書き換えられ、終わりがない。紙の本は書き直しができないゆえに、何かを届けたいという、書き手や編集者、本に関わる人たちの何らかの怨念が宿る。だからこそ人の心に刺さりやすいのではと思う。

今、基本的に世の中のことが全部、シェア・ベースになっている。SNSもそうだし、ゲームも皆でモンスターを倒しにいく。しかし、本は1人でしか読めない。この孤独に陥らざるを得ないというところが、人を豊かにさせるのではないだろうか。

書き手の絞り出した言霊のようなものを、読み手が何とか自分なりに受け止め、1対1で精神の受け渡しをする。その行為はとても貴重なものに思える。書き手と対峙しながら、考えを深めていくことは、AI時代になり、人間の意味や価値が揺らいでいる時代において、すごく重要なものだと思う。そういう意味でも紙の本こそがこれからのメディアなのではないかと思うのだ。[談]

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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