【特集:新・読書論】
読書論の現在──教育の中の読書/山梨 あや
2020/05/11
学校教育現場と「読書」
一方、アカデミックな世界以外でも共同的な読書を組織化しようとする動きがみられる。現在、筆者は明治後期以降に小学校が保護者に向けて発信するようになった「家庭通信」を分析している。家庭通信の発行は法的な拘束力も規定も存在せず、その形式、内容、発行頻度も多様だが、その発行(単独での発行ではなく、村報の一部を利用したものも見られる)は1930年代初頭(昭和初期)には一般的となり、多くの小学校教員がこの通信を介して日々の教育活動のねらいや家庭の役割などを保護者に丁寧に解説し、保護者の学校教育に対する理解と協力を得ようとしていた。家庭通信において教員は、小学校入学前の心得、夏休みや正月の過ごし方、卒業後の進路決定など微に入り細にうがったアドバイスを保護者に「教授」している。
ただ、ここで興味深いのは、教員側は保護者からの意見や疑問、各家庭での指導の実践報告を募り、家庭通信を双方向的に活用しようとしていたことである。また、家庭通信に掲載された「教育問題」について保護者(主に母親)が集い話し合う「母の会」を組織する動きもあった。実際、多くの(母)親は教員の理想と家庭での実践との齟齬について手紙で問い合わせたり、子どもの受験情報について体験談を報告したりしている。(母)親たちが家庭通信を一種のテキストとして隅々まで読んでいたことは、遺族から小学校に寄贈される家庭通信を紐解くと、赤鉛筆などでの書き込みが見られることからも明らかである。家庭通信は一見、学校から家庭への「お便り」に過ぎないが、教育情報が限られた戦前にあっては保護者に対する一種の「教材」としての役割を担い、読者である保護者同士を結び付けようとする動きに接続することもあったのである。
現在のように多様な教育機会、手段が豊富でなかったこともあり、第2次大戦後も「読書」をよすがとして新しい価値観や知識を理解しようとする動きは活発であった。特に戦前の教育で生まれ育ちながら、「新教育」方針に則して自身の子どもを育てなければならない母親にとって、最も身近な情報源は学校教員と教員の発行する通信類、さらには地域社会の教員や退職教員が自主的に発行した教育雑誌、これらを教材とした地域の集団的な活動であった。注目されるのは、教育者側はこれらの通信や教育雑誌を発行して満足するのではなく、ごく自然にこれらをテキストとした読書会の結成を呼びかけ、保護者(多くは母親)たちもこのような活動への参加を受け入れたという事実である。この背後には読書という営みそのものに対して、地理的、階層的、そして性別的制約があり、母親が単独で取り組みにくいという事情があったと考えられる。いずれにせよ当時の母親には共通のテキストを読むことによって個人的に理解を深めるだけではなく、同じような立場にある他の母親たちと共に学びたいという意識が明確にあったことに注意すべきだろう。1960年代半ばの女性にとって、読書という営みは必ずしも個人的/個別的な営みではなく、集団での取り組みを通して他者とつながる可能性のある、共同性を内包するものとしてとらえられていたのである。
読書という営みが孤独な他者(それは必ずしも現実的な時空間に存在するとは限らない)同士を時として結び付けていく可能性を孕んでいること、そしてその楽しさやスリリングな側面を伝えていくことも大学における1つの役割ではないかと考えている。
*1 駿台穏士『学生読書法』大学館、1902年、27頁。
*2 山梨あや「慶應義塾における「教育学」の創出過程─慶應義塾発足時から大学部設立1890(明治23)年まで─」三田哲学会『哲学』第123集、2010年、299~322頁。
2020年5月号
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