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【特集:薬学部開設10周年】
座談会:これまでの10年とこれからの10年

2018/10/05

薬剤師が必要な知識

金澤 薬学部では従来、生命科学の基礎研究が多かったものですから、出口の産業と結びつくところが薄かった面があるかと思います。医学部や理工学部と協力して、教育も含めて新しい分野にイノベーションを起こすため、間口を広くする必要がありますね。

紀平 学問領域そのものがどんどん融合していく状況ですが、薬学関係者は薬学という領域を狭く捉えがちで、中に籠っているようなイメージがあるんですね。

現在、薬学では、情報、医学、工学など他分野の知識を使って研究を進めることは当然必要でしょうし、逆に他分野に薬学の知識を使ってもらうことも必要なのだと思います。

さらに、薬剤師育成という役割の中で考えたときに、例えば、薬機法(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)の中で規制されているのは医薬品だけではなく、医療機器、再生医療等製品、医薬部外品、化粧品もあり、当然それぞれについて薬剤師の役割があります。つまり、薬学の知識が必要な分野は医薬品だけではないので、それぞれの分野で薬剤師がまだまだ活躍できるのではないかと思います。

金澤 確かに広がっていますね。

紀平 そのほかに、昔から薬剤師自身が薬局を経営してきましたが、そのためには、在庫管理や会計処理など経営の知識が必要となっていました。現在、薬局の運営がどんどん複雑化している中で、経営や経済に関する知識はますます重要になってきています。

また、薬局の形態が個店からチェーンに移り、企業に雇われる形の薬剤師が増えています。その中で薬剤師として求められるものをあらためて見つめ直す必要があると思います。薬学の専門知識は当然ですが、薬剤師としての職業意識や倫理観、使命感も問われます。会社からの指示に基づいて行動した結果、薬剤師として処分を受ける事態も起こりかねません。

薬剤師が、医師や弁護士など、いわゆる「士業」と呼ばれる資格者と同様に、自らの職業倫理に基づいて行動できるようになるためには、薬学の専門知識や、経済、経営の知識のほかに、法学や社会学的な知識も身につけなければいけないと思います。

そう考えると、単科大学よりも総合大学内の薬学部でできることは、きっと多いのではないかと思います。

金澤 確かにそうですね。三田にも近いですので経済学や法学も学ぶことができます。これまでも少ない人数ですが、経営管理研究科(KBS)との連携で経営学修士と薬科学修士の2つの学位を取るようなコースも設置しています。今後もぜひ強化したいと考えています。

紀平 もともと慶應には、例えば医療経済とか、他の大学にはあまりない分野で活躍されている先生もいらっしゃいますよね。

金澤 おっしゃるとおりですね。私自身も合併直後に、医療経済の話を三田の講演会で伺って、こういうお話が同じ大学内で聞けるのは素晴らしいと思いました。学部内でもバイオ産業論のような科目の中でKBSの中村洋教授に講義していただいたりしていますが、さらに力を入れて進めたいと思います。

佐藤さんは総合大学の中での薬学部の役割については、どのように考えていらっしゃいますか。

佐藤 総合大学で一番いいな、と思えるところは、学生時代に日常的に、法学の視点を持ったり、化学の視点を持ったり、医学の視点を持った人たちと、サークル活動などで意見を交わしつつ過ごせるということだと思います。

紀平さんの話にもありましたが、薬学を志望する人というのは、狭い世界で同じことだけを考えている集団になりがちです。

しかし、他の学問を専攻した人は、例えば同じ疾患一つでも違う視点で見ていたりする。そういう人たちと日常的に話をすることによって視野が広がる機会というのが、総合大学の場合は多いのだと思います。

そのように人間観が形成される学生時代に、いろいろな視点を持った人たちと日常的に交流できるということは、将来、視野の広い薬剤師を育てるために有益なのではないでしょうか。

研究で言えば、今、医薬品の開発方法がだんだんと変わってきていて、コンピュータグラフィクスによる医薬品の創出などもあり、アカデミアの役割もだいぶ変わってきているようです。

昔は各企業が研究所を持ち、そこで医薬品をつくっていたのが、今はアカデミアが素晴らしいものを創出したら、それをもとに企業が途中から融合して一緒に製品化までしていくということが増えてきているように思います。

また、経営学的な観点の話がありましたが、特許の部分などで純粋な研究者が損をしてしまうということもあると思います。すごくいい研究をしたのだけれど、研究成果として発表することばかり考えて、製品化しようと思ったときに、横からいきなり知らない人が特許申請していたという話もあります。そういった観点からでも、いろいろな専門性を持った方がいる大学は、創薬創出にも有利なのではないかと思います。

また、どうしても薬学部の学生は患者が見えない人が多い。実際、薬剤師として薬局に勤めている方も、医師や看護師などほかの医療職に比べると、患者さんとの距離が遠い感じがします。

信濃町キャンパスでは薬学部の学生も患者さんに近いところで教育が受けられるようになったということですので、患者さんのことをイメージしやすくなり、将来にとってとても有益なのではないかと思います。

金澤 そうですね。今年から薬剤師になる6年制の学生も、希望すれば正式に医学部の先生に卒論を指導していただけるようになりました。これまでも個人的に共同研究等で医学部に学生を出していたのですが、さらに関係が深まっています。

これからの薬学教育

金澤 次のテーマは慶應義塾として目指す薬学教育についてです。この10年は私どもも慶應という組織の中で上手く流れに沿うように、また6年制の改革と相俟ってやってきたのですが、慶應の目指す教育の中で、これからの薬学部としての人材育成について、期待を含めてお話しいただければと思います。

上原 企業の経営戦略を考えるときに、「着眼大局、着手小局」という言葉を大切にしています。「着眼大局」というのは、国内外を問わず、政治・経済すべての領域で今起こっていることは何なのか、そういう時代の流れを摑むということですね。

ここ20年ほど、事業計画を中長期で考えるときに、いつもそれを意識しているのですが、そのような時代の流れを念頭において、どのように薬学部の教育、あるいは慶應の特色を培っていけばいいのかを考えるべきなのではと思います。

私の考えを申し上げると、今の大きな時代の流れは技術革命が先導しており、それもミクロの技術が大変進歩したと思うのです。デジタル化が進み、計算速度がどんどん速くなり、量子コンピュータなども出てくる。通信は光ファイバーになっている。その結果、情報技術、あるいは交通、物流、医学、物理学、化学、工学等、あらゆるものが進化してきた。

それに加えて、投資マネーが世界中を動き回ることによってグローバル化が進み、国家間の経済格差が縮小してきた。そして未開拓である市場が少なくなっているという状況だと思うんです。

そのようなことから、今、新しい社会が出現してきた。それは何かというと、生活者主権の社会、市場なのだと思うのです。さらに、高齢長寿社会が出現して、その最先端を走っている日本では社会保障費が莫大になってきた。こういう状況の中で、今、第4次産業革命と言われるようなものが求められているのです。

昭和30年くらいまで、GDPに占める比率は第1次産業と第2次産業を合わせて約3分の2、第3次産業は3分の1でしたが、昨今はサービス産業である第3次産業が3分の2以上です。こういった中で産官学にどんな影響が出てきたかというと、技術および学問領域の融合により、さらなる発展が期待される新しい技術、新しい市場をつくらなければいけなくなっている。

それから、既存の規制は安全性重視でした。これは素晴らしいことですが、産業競争の中では発展阻害要因になることもある。だから、例えば自動運転自動車などはカリフォルニアとか、規制がないところでやっています。

振り返ってこれからの薬学教育というのは、高齢長寿社会に伴う社会保障費の急激な増加にどう対処すべきか。あるいは、生活者主権となった社会に、どう対応できるかが問われていると思うのです。そのようなことに対応できる人材を育てるべきではないかと思うんですね。

現在、薬学部の学生はどういうところに、どれくらいの比率で就職しておられるのですか。

金澤 現在、薬局や病院の薬剤師になる方は、6年制の卒業生150名のうちの40%くらいですね。共立のときは6、7割が薬剤師になっていましたが、企業に行く方が多くなっています。それも製薬企業に限らず、食品、化粧品会社などにも行っているようです。また、最近は治験の会社、CRO(開発業務受託機関)みたいなところに行く学部卒業生が多いですね。

そういう意味では、他の私立薬科大学とは少し違い、薬剤師だけを目指す人は慶應では少ないかもしれません。

上原 なるほど、そうですか。これはわれわれの反省もありますが、今まではメーカーや小売り等の売り手側からの情報だけを伝えていたんですね。しかも、それらの情報は薬学、生理学、病理学、栄養学等すべて縦割りだったんですよ。

ところが今、世の中が変わってきている中で、薬剤師のメインの仕事が薬の扱い・研究から、一般の人に向けた健康についてのコンサルティングに移っていくと思うんですね。ですから、もっと栄養学から生理学、体力医学、あるいは睡眠、ストレス等ありとあらゆる情報を身につけなければいけないのではないか。それらすべてを4年や6年の大学学部教育の中だけで身につけるのは無理なので、生涯学習が必要になると思います。

これからは街の薬剤師さんを中心にした社会づくりが必要になってくると思うのです。薬剤師さんによる街づくり、コミュニティづくりや高齢長寿社会への貢献をぜひお願いしたいと思っています。 

金澤 有り難うございます。かなり大きいアドバイスをいただきました。

上原 それらは山登りにたとえるならば、目指す山頂に相当するものです。いきなり頂上には登れませんから、10年後を目指して現在の位置(ベースキャンプ)から中間目標(第1キャンプ、第2キャンプ等)を設定して歩き始めるのが重要であると思っています。

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