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【特集:薬学部開設10周年】
慶應義塾の一員として

2018/10/05

  • 山科 晴香(やましな はるか)

    協和発酵キリン研究開発本部・平24薬

2006年の春、私は晴れて第一志望であった共立薬科大学に入学した。しかし、その年の秋の日、私にとって大きな事件が起こった。いつものように大学の掲示板の前を通り過ぎようとしていたところ、掲示板に貼り出された一枚の紙がたくさんの学生の注目を集めていた。

何事か、とその貼紙を覗き込んでみると、そこには我が共立薬科大学と、かの有名な慶應義塾大学が合併することが決定したとの記事が掲載されていた。共立薬科大学は1930年に設立された、当初は女性専門の大学で、薬学部のみの単科大学だ。それが慶應義塾大学という当時9学部を有する総合大学と合併するというのだから、まさに寝耳に水の出来事で衝撃を受けた一方、今後の大学生活にどのような変化が生じるのか期待を抱いた記憶がある。

まず、最初に私が感じることができた変化は、薬学部3年生の時に開催された慶應義塾創立150年記念イベントである。東京ディズニーシーを貸し切って行われ2万人を超える人々が参加した。圧倒的な規模である。その2万人が歌詞も見ずに「若き血」を口ずさんでいる。「慶應義塾」に愛着と誇りがあるのであろう。私もその一員となったことを実感し、世界が広がることを感じた。

卒業後は製薬会社にて医薬品開発の仕事に従事している。まだ市販される前の薬剤の有効性や安全性をヒトでの臨床試験において確認し、厚生労働省より製造販売の承認を得るまでが主な業務である。社内外で多くの関係者と接する仕事であるが、その関係者にたくさんの卒業生が含まれている。塾員同士、会話が弾み、おかげさまで非常に順調に仕事を推進できている。なんと、学生時代に広がった世界が、社会生活にも影響を及ぼしているのだから驚きである。なお、今回の執筆にあたっても仕事で関係のあった病院の先生が塾員であったことから、ご指名いただく機会を得た。

今からさかのぼって考えると、大学が合併したことは私にとって非常にラッキーな機会であったとともに、最初に圧倒されていた時期に、もっと積極的に動けていれば、更に今の世界が広がっていたかもしれないと考えると、悔しい限りである。

在学時代に学んだことを元に、現在働いていく上でも積極的に社内外の人とかかわるようにし、世界が広がるように心がけている。今後も仕事に邁進し、いち早く新たな薬を届けることが私の使命となっている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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