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【特集:薬学部開設10周年】
慶應義塾大学薬学部の過去・現在・未来

2018/10/05

  • 望月 眞弓(もちづき まゆみ)

    慶應義塾大学薬学部教授、大学病院薬剤部長

薬系大学の老舗

慶應義塾大学と共立薬科大学が合併契約書に調印したのは2007年3月26日のことである(写真)。その後、1年をかけて様々な調整をし、2008年4月に転籍式が挙行された。共立薬科大学は女子のための高等教育機関が望まれていた1930年に、共立女子薬学専門学校として設立され、慶應義塾大学薬学部がスタートする2008年時点で88周年を迎える歴史ある薬系大学の一つであった。その卒業生は、病院、薬局を中心に、多くが医療現場で活躍している。2006年に薬学教育6年制がスタートし薬剤師養成教育の充実が求められる中、共立薬科大学はそのモデルとして日本における地位を確立していた。私は2007年4月に共立薬科大学へ移るまでは、外から共立薬科大学の活躍を見てきた。文部科学省から「優れた取組」に対して助成される数々のGPを獲得し、学生教育から生涯教育、国際交流など幅広いプログラムを提供していることにいつも敬意を払っていた。その流れは慶應義塾の薬学部になっても継承され、6年制薬学教育のための主なワークショップは常に慶應で開催されてきた。

このような老舗の共立薬科大学が慶應義塾との合併を希望した背景には、当時の日本の薬学部の状況が大きく影響している(図)。合併前後の日本では、少子化による大学入学志願者数の低下傾向に加えて、新たな薬系大学が次々に認可され、2002年までの46校から2008年には74校にまで急増し、学生数の確保のみならず質の低下も懸念される状況であった。さらに薬学教育6年制の開始で病院・薬局における長期実務実習が義務化され、病院を持たない多くの単科の薬科大学では優秀な入学者の確保に加えて実務実習をどう行うかに腐心していた。

「合併契約書」締結(2007年3月26日) 左:橋本嘉幸共立薬科大学理事長 右:安西祐一郎塾長(肩書きはいずれも当時)
図 日本の大学の薬学部数の変遷

総合大学への期待

慶應義塾は、人文・社会科学系学部と理工系学部そして医療系学部の全てを有する総合大学であり、単科大学では難しい、幅広い人間形成を実現できる環境がある。薬剤師は、医療人の一員であり、専門知識や技術を身につけているだけでなく、豊かな人間性が求められる。そのためには、薬学を学ぶ以上にリベラルアーツを学ぶことが重要であり、この点において義塾との合併に期待する声があった。さらに、医学部、看護医療学部と病院の存在は、単科大学では困難な医療のチームアプローチを学生時代から行えるものとして大きな期待を持たれていた。実際、日吉での1年間の教養課程とサークル活動などを通じての他学部生との交流は、ともすれば視野が狭くなるリスクのある薬学部生の人格に幅を持たせることができている。また、初期、中期、後期と、最終学年までの間の3回にわたって実施している医療系三学部合同教育では、医学部生、看護医療学部生と一緒に問題解決に取り組むことによって、薬剤師という職能を意識しながら修学することを可能にしている。何よりも、慶應義塾という私学の雄の一員となることで、入学生の偏差値は合併前の60前後から常に65以上を維持するまでになっており、優秀な学生を確保できていることも期待に違わなかった。義塾の独立自尊や社中協力の理念のもとに教育された一貫校からの進学者の存在も、幅広い人間形成とチーム活動の実現に寄与している。合併直後から開始した経営管理研究科とのDual degree programも総合大学ならではのプログラムの一つである。

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