【特集:海のサステナビリティー/小特集:幼稚舎創立150周年】
神吉 創二:幼稚舎とスポーツ
2024/06/24

福澤諭吉先生は、「先(ま)ず獣身を成して後に人心を養え」と考え、西洋流の体育思想を慶應義塾の教育に取り入れ、「勉めて身体を運動すべし」、「身体は人間第一の宝なり」、「体育を先にす」などと言いました。武術や鍛錬といった、それまでの苦痛に耐えて技術を身につける訓練ではなく、教育の中にアスレチックスポーツの考えを取り入れた福澤先生の先見を感じます。ただ体力をつけることではなく感性も鍛え、よく遊びそしてよく学ぶ。病気の無い強い体を作ることで精神もまた活発爽快となり、心身ともに健康であれば今後様々の困難を乗り越えて社会に貢献できるようになるわけです。身体が弱くては独立の生活もできはしない、何はともあれ健康に注意せよというのが福澤先生の心です。
福澤先生は紀州出身の和田義郎先生に、年少の塾生を託しました。三田山上の自宅に数人の少年を預かった和田塾が幼稚舎のはじまりです。和田先生は立派な体格を持ち、柔道の達人であり、智勇兼備の人でした。
幼稚舎では1年中で実に色々の運動場面があります。「獣身人心」の考えは、福澤先生、和田先生以来、幼稚舎に脈々と受け継がれている舎風といえます。
幼稚舎の運動会では、入場門に「獣身」、退場門に「人心」と書かれています。勝利を信じて戦いに挑む入場門では、まさに獣のような闘志がみなぎり、そしてレース終了後には、互いの健闘を讃え合い、人の心を豊かにして退場門をくぐります。学年の4クラスで競うクラス対抗競技や、1年生から6年生までバトンをつなぐKEIOリレーなど、勝負の厳しさ、勝った喜びや負けた悔しさを学び、負けた涙の数だけ強い心や人を労る優しさを体得していきます。たかが運動会ですが、されど運動会。そこには多くの幼稚舎生の涙と、クラスの数だけドラマがあるのです。優勝のご褒美として、担任が鯛焼きを御馳走する風習も続いています。
3年生からは、学年クラス対抗の校内大会があります。ドッジボール(3年生)、フットベース(4年生)、高学年になると男子はソフトボール・サッカー、女子はバスケットボール・バレーボールなど、クラス替えのない幼稚舎だからこそ、校内大会は年々熱い戦いになっていきます。
秋には体力測定を行い、同じ種目を6年間計測して、個々の運動面の励みや目標の指針としています。
首都高速を挟んだ飛び地に屋外プールがあります。1・2年生はこのプールで水遊びをする程度ですが、3年生から夏に水泳授業が始まります。小泉信三先生の唱えた「塾生皆泳」に則り、幼稚舎生は卒業するまでに全員が1,000メートルを完泳します。完泳後は4泳法の競泳目標タイムを設定していましたが、令和からは自分の命を守る「安全水泳」を目的とした水泳検定に移行し、立ち泳ぎ・背浮き・潜行・顔上げクロール・顔上げ平泳ぎなどを習得し、高学年生は着衣水泳や水難救助法を学びます。また、館山の海では希望者による遠泳合宿や日帰り安全水泳実習を行い、海という大自然から多くを学びます。全員参加の6年生水泳大会をもって、幼稚舎の水泳は終わりますが、幼稚舎生は水泳によって練習の尊さとそこから生まれる大きな達成感を学びます。
体育科の目標として、3年生13種目、4年生5種目という縄跳びの課題があります。なかなか困難な課題をクリアーするために、3学期はひたすらに朝から縄跳びに挑戦し続けます。他の学年は全31種目の課題に自由に挑戦します。幼稚舎の「縄跳び記録作り」は、令和五年度で第50回を数えました。教員室前の廊下掲示板に達成者の記録が貼り出される、通称「廊下記録」を目指して、やらされていない雰囲気の中で切磋琢磨する理想的な成長の環境があります。高度な技や気力体力の限界に自ら挑戦する幼稚舎生の記録に、前回し2時間超、2重跳び400回超、後交差跳び4,000回超など、信じられない歴代の最高記録の数々がありますが、毎年何らかの幼稚舎新記録が誕生していることが幼稚舎生の力を物語っています。「やればできる」の自覚体感、練習によって必ず手に入れることができる成功体験は、縄跳びの大きな魅力の1つです。
3学期は毎朝全校で駆け足を行います。グラウンドのトラックの内側から順に1年生から6年生のコースを定め、寒さに負けず全員で気持ち良い汗をかきます。
このように幼稚舎には実に多くの運動場面と練習の機会があります。スポーツでしかできない経験は、人間教育最強のツールと言えます。困難から逃げず諦めずに努力し続けた強い心、友達と力を合わせて取り組むことで育む友情、感謝を知り人に優しくなれることこそが、多くの練習によって可能になっていく子どもたちの品格と言えます。
「獣身人心」は、幼稚舎創立以来150年もの間、一貫して重視してきた教育方針。幼稚舎生が健康で、そしてその心が、強く逞しく美しく育つことを願います。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2024年6月号
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神吉 創二(かんき そうじ)
慶應義塾幼稚舎教諭