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【特集:海のサステナビリティー/小特集:幼稚舎創立150周年】
大野 俊一:幼稚舎家族の源~『幼稚舎新聞』と『仔馬』と~

2024/06/24

慶應義塾幼稚舎創立150周年式典(5月30日、日吉記念館)
  • 大野 俊一(おおの としかず)

    慶應義塾幼稚舎主事

先日、NHKの記事を読んでいて、「家族は『する』ものである。自然に『なる』ものではなくなった」という文が目に留まりました。さらに絆を深める取り組みとしては、食事を一緒にすることや会話をすることが大切なのだそうです。なるほどと納得する所があります。普段より何を心掛けているだろうかと自分自身を振り返ってみると、確かに会話を大切にしようと思っています。とりわけ「今日は何があったの?」とお互いを知ることは家族の第一歩で、とても大切です。さらには、共通の趣味や話題で会話が盛り上がる時にも絆が深まっているのを感じます。

『幼稚舎新聞』には以上の要素が含まれています。毎週発行することにより、早く正確に幼稚舎生がどんな毎日を過ごしているのかを伝えています。また、読み物としての特集なども組まれています。幼稚舎新聞は「今日は何があった」を伝えたり、「こんな面白い話があるよ」と話題を提供したりする、まさに食卓での会話そのものの役割を果たしているのです。まさに、『幼稚舎新聞』は幼稚舎家族の源であると言えるかも知れません。

歴史を辿ると『幼稚舎新聞』は戦中に一度廃刊しましたが、終戦を迎え、当時舎長の吉田小五郎先生により昭和二十三年に今に繋がる『幼稚舎新聞』を再刊しました。そして昭和三十六年、今も続いている「週刊」で発行する新聞となったのです。再刊の辞や週刊となった号の編集後記に書かれている思いとは、まさに「早く正確に伝える」ことと「読み物」を提供することです。それらを受け継ぎ、新聞を通じて会話をしながら「幼稚舎家族」をさらに育んでいきたいものです。

次に、「幼稚舎家族」という言葉について述べたいと思います。もともと「幼稚舎家族」とは、吉田小五郎先生による造語です。戦争が激しくなり、当時の幼稚舎生は戦火を逃れるために静岡の修善寺や青森の木造へ集団疎開したのですが、吉田先生は、その責任者として幼稚舎生を守り、終戦後には舎長となった方です。また、戦争により紙がなくなったため、当時幼稚舎で発行していた新聞や雑誌(『文と詩』)は廃刊となりましたが、吉田先生により新聞は再刊をすることになり、雑誌としては新たに『仔馬』を創刊することになりました。

『仔馬』の創刊号においては、吉田先生は次のように述べています。「児童と父兄と教師で幼稚舎を作り、この全体を「幼稚舎家族」と呼びたいと思います。この雑誌は、例えば「幼稚舎家族」の研究室であり、サロンであり、食卓でありたいと念じます。皆が真剣に論じ楽しみ語り合いたいのです。どこまでも児童が中心であることはいうまでもありません。」吉田先生は次のようにも述べています。「私は敗戦後よく「幼稚舎家族」という言葉を使いました。現在の生徒を中心として、教員、職員、用務員、卒業生、父兄をひっくるめて幼稚舎家族というのです。皆でよい家庭をつくって行きたかったのです。(『三田評論』昭和五十五年1月号)」

吉田先生が、なるべく多くの人に語り合いに参加してほしいと願っていたことが伝わってきます。私が『仔馬』の担当者だった時、吉田先生の意思を尊重して保護者に投稿を呼び掛けたことがあります。実は吉田先生ご自身の時もそうだったのですが、昔も今もなかなか投稿に応じてくれる保護者は少ないです。しかし、一方で私は保護者は「よき聞き手」であると理解しています。恐らく各ご家庭の食卓でも「よき聞き手」となっていることでしょう。仔馬の食卓においても温かい目で児童や教員のお喋りを見守り、理解をして、幼稚舎家族をそっと支えてくださっているのだと考えています。

さて、150周年を迎えた今、幼稚舎家族の源を振り返る時、150年前の幼稚舎の様子をお伝えしなくてはならないでしょう。

遡ること150年前、幼稚舎は三田の山の上で誕生しました。初代舎長は和田義郎先生です。福澤先生は、慶應義塾に通う年少の子どもやご自身の子女の教育を全幅の信頼をおく和田先生に託しました。和田先生はご自宅に子どもたちを寄宿させ、妻の喜佐(きさ)さんと妹の秀さんと共に「和田塾(後の幼稚舎)」として教育をされました。和田先生は、体も大きく、柔術にたけていましたが、その性格は大変に温和でした。その当時は、和田先生が寝ている子どもたちの布団を直したり、喜佐さんや秀さんがお食事の世話をしたりされていたようです。お子様のいなかった和田先生ご夫妻にとっては、幼稚舎生はまさに家族と同様に感じられていたのでしょう。つまり、幼稚舎は和田先生ご夫妻が和田塾として始められた頃から、すでに幼稚舎家族であったと言えます。おそらく幼稚舎の150年の歴史の中で、最も「幼稚舎家族」の舎風に包まれた時だったと言えるでしょう。幼稚舎家族の源のさらに源は、和田先生のお人柄に辿り着くのかも知れません。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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