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【特集:海のサステナビリティー/小特集:幼稚舎創立150周年】
平井 和也:すべての人の海洋リテラシーを育む

2024/06/05

  • 平井 和也(ひらい かずや)

    特定非営利活動法人海の自然史研究所事務局長兼チーフエデュケーター/
    川と海のビジターセンター長・塾員

海洋リテラシーとは

“海洋リテラシーという言葉をご存知の方はどれくらいいらっしゃるのだろう。「海洋が私たちに与える影響を理解すること、そして、私たちが海洋に与える影響を理解することである」と定義されているもので、その内容は、すべての方に持ち合わせてもらいたい海についての教養とも言えるのだが……。

リテラシーとは、元は単に読み書きの能力を表す言葉であったが、昨今は現代における重要な技能も意味する(Fauville et al. 2019)ようになっている。

海洋リテラシーは、アメリカで初めて体系的に整理された。海洋に関する機関や組織に所属する海洋研究者、教育者、教員や行政担当者などが議論を重ね、7つの基本原則(表1)と44の基本概念を決定し、海洋科学教育コミュニティの査読を経て2005年にNOAA(アメリカ海洋大気圏局)を著作権者としてリーフレットにまとめ広く発表された。

表1  海洋リテラシーの基本原則とNOAAリーフレットの表紙

この基本原則は、地球環境の理解に欠かせない海洋科学を、学校および学校外教育で学ぶ際の具体的な学習目標とされ、アメリカにおいて作成されたものでありながら他国への影響も大きいものとなって世界の海洋教育者や海洋科学者の間で認知度が高まっていった。その後2017年に、UNESCO-IOC(ユネスコ政府間海洋学委員会)が「Ocean Literacy for All: A tool kit」を刊行し、海洋リテラシーをそれぞれの国や地域で広める動きをしている。

海研とは

さて筆者が現在所属する特定非営利活動法人海の自然史研究所(以下略称:海研(うみけん))だが、アメリカで海洋リテラシーが発せられた2005年に、海洋科学の研究者と、筆者も含む海の学習プログラムを子どもたち中心に提供するインフォーマルな教育者とで設立した団体である。科学的思考力を持った人材を育成することで、海への保全意識と科学的探究心を備えた社会、海と人とが豊かにつながった社会の形成に寄与することを目的として活動している。その活動趣旨を端的に表す言葉として“海を知る。をみんなにと表現している。

法人設立が、海洋リテラシー発布年と重なっているのは偶然ではない。当法人代表がこの前年に、海洋リテラシー構築に深く関わったカリフォルニア大学バークレー校付属ローレンス科学教育館にインターンシップで勤務し、アメリカの動きを知って、日本においてもこれと同期することが望まれると考え、海研という活動母体をつくったため同年となった。

ローレンス科学教育館は科学博物館であり、また科学教育研究と科学教材開発をおこなうアメリカでもっともすぐれた機関のひとつである。ここで開発された教材の1つにMARE(Marine Activities, Resource & Education)というK-12(日本の幼稚園から中学校まで)の学年に合わせた海洋科学のパッケージ教材がある。アメリカ国内では学校教育の場で広く利用され、多くの子どもたちがMAREを使った授業で海洋を学んでいる。海研では日本でMAREの普及を図るためカリフォルニア大学とライセンス契約を締結して、現在に至るまで全国の小学校や博物館、水族館で実施してきた。近年は環境省から委託を受けて当法人が管理する三陸復興国立公園内のビジターセンターにて実施する機会が多くなっている。筆者は海研のチーフエデュケーターとして、これまでおよそ12,000人への海洋学習プログラム実施に携わってきたが、これにはMAREを使った授業や学習イベントが多数含まれている。MAREは文部科学省が平成29年に推進することを公示したアクティブ・ラーニングとも深く親和し、学校団体からも好評を得ている。

さて、慶應義塾大学商学部という海や科学とは少し距離のある学部を卒業した筆者が、こういう活動に入っていったきっかけはスクーバダイビングであり、また、そのフィールドとしていた沖縄で1998年にサンゴの大白化現象が起こったことによる。この年、海水温が通年よりも1〜2℃高い状態が30日以上も続き、沖縄のみならず全世界のサンゴがダメージを受け大量に死滅してしまった。地球温暖化が原因だろうと関係者間では言われていたが、当時まだそのような事象は数多くなく、社会一般には大きなインパクトにならなかった。しかし沖縄の海ではサンゴによって色鮮やかに美しかった海中が殺伐としたものになり、そこを生息環境とする生き物たちも少なくなって、これは本当に地球にとって不味いことが起こりかけていると感じた。

この白化現象はその後も規模は小さいながら頻発しているが、気候変動が重要な環境課題と認識された現在においても、社会一般に注目されるようになったとは言えない。これはサンゴが馴染みの薄い生き物だからというのもあろうが、それに加えて一般の人に普段意識されない“海”で起こる現象だからだろうと推測する。

先述した海洋リテラシーの基本原則にある通り、海洋は地球および人間にとって互いに影響を与え合う重要なものであるのだが、一般の人にとって海は遠い存在であり、そこで何が起こっていても意に介しにくいし、そもそも知られにくい。これが、海で起こっている地球にも人間にも影響を及ぼすようなことを、社会として察しないことにつながっている。

筆者はこの状態を改善しなければならないと認識し、海洋リテラシーの涵養、海洋教育・環境教育活動への軌道変更となった。

海への親しみと理解を促そう

海研活動の前段として、筆者はダイビングインストラクターのライセンスをとり、沖縄に移住した1999年からダイビングやスノーケリング仕事の傍ら、そのノウハウを活かしてサンゴ礁を歩くリーフトレイルという自然観察プログラムをはじめた。幼児でも、シニアの方でも、歩けるならサンゴ礁の海に親しめるもので、その過程でサンゴのこと、海に起こっている変化のことなどを伝えるインタープリテーションを行った。この頃、沖縄への県外からの中学・高校の修学旅行が増え、さらにはその内容が従来の平和学習に加えて自然体験学習が所望されるようになったこともあって、多くの生徒たちに海・サンゴ礁について語る機会ができた。これを沖縄に来る全ての中学生・高校生に行い、さらに展開させて一般の観光客にも行うことができれば、その時点で沖縄に500万人の観光客が来ていたので、20年で日本の人口の80%を超えるのべ1億人に伝える換算となって、海のことに興味を持ち環境に配慮した社会に変えられると期待した。

もちろん皮算用に終わった。

まずはリーフトレイルが、スノーケリングのようにその単語を聞けば何をしてどのように楽しいのかイメージができ、誰でもが体験したいと思うようなプログラムになりきれなかったことがあるが、やはり沖縄の海で楽しみたいというレジャー意識の中では、小難しいことを聞いても身につかないというのも原因であったと思う。これは観光客だけでなく学校教育の一環で来訪する修学旅行でも同じで、沖縄での体験学習だけでは効果的に伝えることは難しいと認識した。やはり、子どもたちのホームグラウンドである学校の場で、先生がたに教育的意義があると捉えてもらえる取り組みを行わないと浸透はしていかないとも思った。

そんなタイミングで出会ったのがMAREであり、海の状態に同様の憂いを持ち、かつ科学的な教育が大事だと認識していた研究者たちであった。

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