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【特集:海のサステナビリティー/小特集:幼稚舎創立150周年】
藤澤 武志:幼稚舎と福澤先生の教え

2024/06/24

慶應義塾幼稚舎創立150周年式典(5月30日、日吉記念館)
  • 藤澤 武志(ふじさわ たけし)

    慶應義塾幼稚舎教諭

幼稚舎の入学式と卒業式には、自尊館の壇上に福澤先生の書かれた「今日子供たる身の獨立自尊法は唯父母の教訓に從て進退す可のみ」の掛け軸が掲げられる。この掛け軸は、1900(明治33)年、慶應義塾の『修身要領』ができ、「独立自尊」という言葉が一般化していった時に、福澤先生が幼稚舎生に示すために書かれたものである。

福澤先生は、幼稚舎の先生たちに「『修身要領』を発表して以来、猫も杓子も独立自尊を口にするようになったが、子供には決してそういうことを、そのまま教えてはいけない。あれは、ちゃんと立派に思想の固まった者が一身を処する上のことで、幼い子供が「独立自尊」などということを頭に持っていて、親の命令も従わない、教師の教訓も守らないなどということになっては、以ての他である。苟(いやしく)もこの辺の意味を誤解せざるよう注意せよ」と語ったそうだ。

幼稚舎では、さまざまな機会に福澤先生の話を聞いたり、福澤先生の教えや言葉に触れたりする機会がある。学習発表会で1年生が必ず歌う「福澤諭吉ここにあり」、運動会の入退場門に刻まれた「獣身」「人心」の文字、4~6年生が参加する御命日講話、舎長が担当する6年生の「福澤百話」の授業、希望者が参加する「福澤先生ゆかりの地を訪ねる旅」や、福澤先生が築地から横浜まで歩いた道を辿る「36キロウォーク」等である。ただし、このような機会以外で、児童も教員も、日々、福澤先生の教えや言葉を意識しながら生活するようなことは、ほとんどない。どうしてかというと、創立から150年の歴史の中で、福澤先生の教えが幼稚舎の中に空気のように、目には見えないけれどもそこにあるというような形で根付いており、幼稚舎で生活しているだけで、自然と福澤先生の教えが身に付くような環境が作り上げられてきたからだと考えられる。

例えば、入学式で、舎長と新入生が交わす4つの約束がある。

「自分のできることは自分でする」
「嘘をつかない」
「先生や、お父さん、お母さんの言うことをよく聞く」
「友だちと仲良くする」

4つの約束は、福澤先生のことをよく知らない新入生にも分かりやすく、日常で実践できるものばかりとなっている。そして、この約束を守っていくことが、福澤先生のような「独立自尊」の人になっていくために必要なことであると考えられており、保護者と教員は、4つの約束を守ることを児童に心がけさせていけばいいようになっている。いつから始まったかは定かではないが、私が勤め始めてから19年間、舎長は代われども、ほぼ同じような約束をしている。先輩の先生方に伺っても、この約束は幼稚舎の伝統として受け継がれてきたことの1つとなっていると言えそうである。

また、「6年間担任持ち上がり制」が採用されているため、4つの約束を守れる子になっているかどうかを、教員は長い目で見守ることができる。「自分でできることは自分でする」とあるが、児童の成長と発達は異なるため、クラス担任は、1人ひとりの成長と発達を保護者と共に6年間かけて見守り、児童1人ひとりのことを深く理解しながら、指導を続けていくことができるようになっている。また、クラス替えもないため、「友だちと仲良くする」ということも6年間通じて実践し続けていくことができる。担任はクラスの児童が互いの違いを認め合い、助け合えるような関係になっていくことを促していく役割を担い、6年間の日々の共通体験により、子どもたちの友情は育まれ、一生の友と呼べる存在になっていくこともある。

そして、毎年3月に行われる卒業式では、1930(昭和五)年から福澤先生の奥さんである錦(きん)さんに因んでできた錦会が、卒業生に『福翁自伝』を贈る習わしも現在まで続いている。表紙を開くと、福澤家の家紋である鷹と錦夫人の実家である土岐家の家紋の桔梗がデザインされた印が捺されており、この印が捺された『福翁自伝』は幼稚舎の卒業生しか持っていない。福澤先生について書かれた本を読む機会を与えるのが卒業の時であり、児童が手元に置き、いつでも好きな時に読めるようにしているのも幼稚舎らしいと言えるかもしれない。

このように、幼稚舎でこれまで大切に受け継がれてきたことは他にもあるが、幼稚舎生にとって分かりやすく、日常的に行われていることなので、福澤先生の教えを意識せずとも、福澤先生の教えを実践できるような児童が育っていくのだと思う。

私自身、幼稚舎に勤めるまで慶應義塾には縁がなく、福澤先生のこともほとんど知らなかった。福澤先生について熱心に勉強しているわけでもなく、ただなんとなく過ごしていただけだが、いつの間にか「幼稚舎と福澤先生の教え」についての原稿を書くことになっているから、不思議なものである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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