【特集:海のサステナビリティー/小特集:幼稚舎創立150周年】
須黒 達巳:幼稚舎生と生きもの
2024/06/24

小学校である幼稚舎は、いろいろな場面で児童と生きものの関わりを見ることができます。クラスで昆虫やカメを飼育している場合もあれば、1年生が全員育てるアサガオや、「園芸の会」という児童の集まりで栽培する花や野菜もまた生きものです。自分で育てたイモムシがさなぎやチョウへと姿を変えたり、植物が花を咲かせて実をつけたりするのを間近に観察することは、現代の都市に生きる児童たちにとっては貴重な機会です。これらの場に加えて、児童が存分に生きものと接することができる理科関係の施設があります。「動物小屋」では、ニワトリやアイガモ、小動物を飼育展示しており、昼休みなどに触れ合うことができます。「サイエンスミュージアム」では、国内外の淡水魚などの生体のほか、現生・化石の様々な動植物の標本を展示しています。いずれも、幼稚舎の理科が古くから「本物に触れること」を大切にしており、高い熱意を注いでいるために造られた施設です。
そして、このテーマを語るうえで欠かせない場所が、幼稚舎が誇るビオトープ、「理科園」です。ここには、コンパクトながら、畑、池、草地、樹林などの要素が混在し、都心部とは思えない多様な生きものたちが生息しています。この環境を利用して、理科の授業では、季節ごとに虫や花などの生きものを探す活動をします。この時、ハチのように危険なものを除いて、「採ってはいけないもの」は基本的にありません。児童が手で集める程度の負荷なら許容できるくらい良好な環境なのです。これにより、幼稚舎の理科のモットーである「採集理科」を構内で実現することができます。手と目と頭、時には耳や鼻、舌まで使って、いろいろなものを発見する中で、児童は様々な刺激を受けており、低学年から高学年まで、夢中になって活動します。
こうした生きもの探しを、授業外の時間に「おかわり」する児童もいます。例年数人の虫採りメンバーがいて、私が同伴できる日なら、昼休みや放課後に理科園で自由に活動しています。彼らの腕前は大したもので、暇があれば構内で虫を探している私でさえ初めて見るような虫を採ってくることも珍しくありません。それはチョウやクワガタのような「花形の虫」ではなく、ハエやカメムシ、ガ、クモといった地味な虫や、果てはハネカクシやホソカタムシのような、一般の方にはまったく姿が想像できないであろうマイナーなものも含まれます。彼らにとってはこうした時間は本当に幸せなようで、作文にもよくそのことを書いてくれます。
何人かは卒業後も付き合いが続き、理科園を訪れたり、一緒に山に出かけたりしています。これを読んで無意識に男子児童をイメージした方もおられるかもしれませんが、虫採りメンバーの男女比は半々くらいです。虫が好きかどうかに本来は男女差などないのでしょう。上手にハエを捕まえる女の子や、毛虫を手に乗せる女の子、ごま粒より小さな虫を見逃さずに見つける女の子などが今までにいました。高学年になっても虫が好きというような子は、芯のある素敵な子だと微笑ましく見ています。
総じて言えることですが、生きものとの関わりの中で得られるものは、将来生物学や医学の道に進む児童にとってのみ大切なのではありません。何かに夢中になったり、「なんだかおもしろい」と感じたりすることは、豊かな感性や好奇心を育てることに与すると私は考えています。色々なことを「おもしろい」と感じられることは、人生に彩りを与えます。もっと実利的に言えば、自分の仕事につながるヒントを広い範囲から集められる視野を得たり、ストレスを発散する機会を増やしたりと、どんな道に進んだとしても「役に立つ」面さえあるでしょう。
ストレス発散といえば私は先日、自宅の庭でしゃがんで地面を見ていて、「ハモグリバエ」という小さなハエを見つけたのですが、じっと見ていると、このハエがコケに卵を産みつけました。コケに産卵するハモグリバエは、ほんの数年前まで、日本では見つかっていなかったのです。まさか自宅の庭にいたとは! と気づいた瞬間、得も言われぬ爽快な気分がし、自分の中のストレス値が瞬時に激減したのを感じました。特殊な例かもしれませんが、私はこうした体験の積み重ねによって心の健康を維持しているのだと思っています。
個人の人生の充実にとどまらず、大きな視点に立つと見えてくる意義もあります。人間が地球上の生物資源をこの先も利用し続けていくには、新しい世代の子どもたちが、命や生物多様性を慈しむ感覚を備えていることが必要です。持続可能性についての意識は近年社会で高まっているとは感じますが、これから様々な分野でリーダーになるであろう幼稚舎の児童がこうした感覚を身に付けてくれたら、本当に状況は今より良くなると信じています。
そんなことを思いながら、私は今日も児童と生きものの関わりを見つめています。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2024年6月号
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須黒 達巳(すぐろ たつみ)
慶應義塾幼稚舎理科教諭