【特集:海のサステナビリティー/小特集:幼稚舎創立150周年】
大村 亮:クラスレートハイドレートを用いたトリチウム水分離技術
2024/06/05
重水を用いてトリチウム水を除去する
筆者らの開発しているハイドレート法ではもう1つ重要な現象を活用している。重水を用いた共沈である。この共沈とは平易に述べれば似たもの同士が集まってくるという現象である。軽水、重水、トリチウム水の物性を比較すると、重水とトリチウム水がよく似ていることを活用してより効率的にトリチウム水を除去しようというアイデアである。
実験はまずは重水を用いたハイドレートの多孔質体を形成させることから始まる。ゲスト物質には比較的低圧でのハイドレート生成が可能なHFC-134aを用いている。重水とHFC-134aを圧力容器内で一定時間接触させることによって重水とHFC-134aからなる重水ハイドレートを生成させてハイドレート化せずに残った重水を容器下部から排出することによって重水ハイドレートの多孔質体が形成される。
この実験操作によって生成させたハイドレートの観察画像を図2に示す。このハイドレート多孔質体の空隙率は50%程度である。続いて、重水ハイドレートが成長しうる温度圧力条件を維持しながら、このハイドレート多孔質体の空隙に模擬ALPS処理水である100万Bq/kg程度の濃度のトリチウム水を注入して、装置外に用意したポンプを活用して1時間程度循環させる。この操作を模式的に示したのが図3となる。循環中に少しずつハイドレートが成長するときにトリチウム水がハイドレートに優先的に取り込まれることによって、液体側のトリチウム水が固体側に濃縮されていくことになる。
実験研究の初期の段階で得られていた50万Bq/kg程度のトリチウム水濃度を上記の1時間処理によって1500Bq/kgを下回るまで低減させた結果についてはすでに学術論文として公刊されている(文献1)。よりアカデミックな内容に興味のある方は文献もご参照いただければと思う(化学工学分野における最高評価の学術誌に掲載されたことを筆者としてはアピールしたい)。
このハイドレート法ではハイドレート側にトリチウム水を濃縮させることで水側のトリチウム水濃度を低下させている。処理を続ければハイドレート側のトリチウム水濃度が上昇していくことになる。その濃縮されたトリチウム水はどうするのかというと当面福島第一原発の敷地内に保管しておくということなる。ハイドレート側に濃縮させることで現状千基を超えている貯蔵タンクの数を大幅に削減することができる。濃度が下がった水はどうするかというと、やはり海洋放出ということにはなるが、その放出量は希釈にのみ頼る現状の値の1000分の1程度にまで大幅に低減される。
今後の実用化に向けて
この技術開発は現状実験室レベルの操作に成功した段階であり、今後スケールアップを進めていく必要がある。ALPS処理水は今でも日量約100トンずつ増加していること、すでに100万トン以上が貯蔵されていることを考えると、実用的な技術として求められる処理量は1日あたり数百トン程度となる。この量は実験室の規模からみれば途方もない値のように思われるが、一方で社会で運用されている浄水場、海水淡水化プラントなどの水処理施設の規模を考えればかなり小規模なスケールである。
筆者の研究室ではすでに100㎤規模の装置からスケールアップの一環として2桁大きな規模となる内容積34リットルのハイドレート生成装置を設計製作して運転を開始している(図4参照)。日量数百トンの処理を実現するにはさらなるスケールアップが必要である。我が国では10年ほど前に、三井造船、中国電力、NEDOの共同研究としてハイドレート製造・貯蔵・輸送のベンチスケールプロジェクトが実施され、天然ガスのハイドレートを1日5トン製造することに成功している。そのプロジェクトには筆者も学術的な評価、助言を提供する立場から参画した経験がある。その経験も生かしながら産業界と連携して数年以内の実用化を目指して研究開発を進めている。
(文献1) Satoshi Nakamura, Toshihiro Awata, Hitoshi Kiyokawa, Haruki Ito, Ryo Ohmura, “Tritiated water removal method based on hydrate formation using heavy water as coprecipitant”, Chemical Engineering Journal, Vol. 465, 2023,Paper ID: 142979; DOI: 10.1016/j.cej.2023.142979
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2024年6月号
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