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【特集:共に支え合うキャンパスへ】
座談会:「誰ひとり取り残されない」協生を考える

2023/03/07

教員間をつなぐプログラム

奥田 協生環境推進室には3つの柱があります。ワークライフバランス、バリアフリー、ダイバーシティの3つです。「協生カフェ」はダイバーシティに関する試みです。バリアフリーでは障害学生支援室を新たに立ち上げました。

ワークライフバランスのところは、どうしても育児支援、介護支援に目が行くのですが、そこから1歩先に進むとはどういうことかと考えています。女子学生に向かって、慶應義塾は女性が輝ける場所です、と本当に言えるのだろうか。また、彼女たちが活躍できる未来を描き出しているのだろうか。女子学生に将来を思い描き、どのような人生を送ろうかということまで考えてもらいたい。そこでライフプラン・セミナーの「未来のワタシ。」シリーズを始めて、田中さん他、辻愛沙子さん、神蔵ほのかさん、など社会の中で多様な経験をしている人の姿を学生に見てもらえるようにしています。

また、教員も意外と孤独というのでしょうか、つながりを求めているようです。30代、40代の女性の研究者と、慶應義塾の中でも役職に就いているような女性とをつなぐメンタリング・プログラムを始めることでエンパワーメントになるかと思いました。

キャンパスが違うと、教員も全く知り合う機会がなく、分野が違えばどんな研究をしていて、日々どんな生活を送っているかもわかりません。お互いを知ることで、背中を押されることもあるのではと思うのです。清水さんとは所属学部もキャンパスも違うのですが、今回、このメンタリング・プログラムでつながり、矢上キャンパスのことなどを学ばせていただいています。

清水 私は小中高、埼玉県の公立で過ごしました。ですから入学時には、私などが慶應義塾に入ってよいのかという思いがありましたが、理工学部へ来たら、同じようなことに興味を持っている人が多かったので、居心地は良かったと思います。少数ながらいた同期の女子学生たちとも仲良くなれて、心地良く過ごしていたと思います。

大学4年間で一番心地良かったのは、4年生になり、研究室に配属されてからです。朝から晩まで研究室にいて実験をして、論文を読んだり先輩に何か教わったり。授業に行くのも研究室から「行ってきます」「ただいま」と帰って来る生活だったので、そこが本当に居場所だったと思います。

今は塾長になられた伊藤公平先生が専任講師の時代に研究室に所属していたのですが、今思い返しても、とても良い雰囲気の研究室でした。とても居心地が良いので博士課程までここで学びたいと思いました。

すると伊藤先生が、「博士に行くのなら、海外に行きなさい」とアドバイスしてくださり、アメリカの大学院で5年間過ごしましたが、そこで本当にいろいろなタイプの人と知り合うことができました。

その時に初めて自分がマイノリティになる経験をしました。女性である自分がマイノリティだという意識は日本にいた時はそれほど持っていなかったのですが、アメリカではそういう意識を持っている人たちがまわりに多く、女性はマイノリティなんだとようやく気付いたんです。また、同じ学年でも子どもがいる人もいて、こういう人生もあるんだと気付きました。

留学後、自分は研究とは違う視点で何がやりたいんだろう、研究をするだけでよいのかなと、思い返した時期がありました。その時、やはり私が背中を押してもらったように、若い人たちに自分の経験を伝え、いろいろな視点を学ぶ機会をあげたい、という思いが強くなり、2018年4月から慶應に准教授として勤めています。

慶應を自分の職場に選んだ理由は、私にとって慶應はとても居心地が良い場所だったので、ここなら自分が意見を言うことができるのではないかと思ったからです。それこそ心理的安全性ですが、今、理工学部に入って5年たちますが、教職員としての居心地は良いと思います。

ただ、私のように居心地が良いと感じている教職員ばかりではないと思います。また、学生たちのことを考えると、コロナ禍でオンラインの授業を受けるようになって、本当に居場所がなかったのだろうと思います。対面になってキャンパスに戻っても、友達がいなくて宿題が一緒にできないとか、誰に相談したらいいのかわからない、といった相談をよく受けます。

研究室に入る前の3年生までは、どこが学生の居場所なのだろうと少し不安に思うところはあります。サークルに入っている人はいいですが、コロナで入る機会がなかった学生もいるので、休み時間にはどこにいるのだろうと、少し気になることがあります。

奥田 皆さんのお話を伺い、人とつながり安心できる場所が居場所であり、それは1つではなく、いくつかあると良いということがよくわかりました。

今、学生たちは対面の授業に戻ってきていますが、教室から1歩外に出れば、居場所を探し求めているのかもしれません。サークルの加入率や数は他の大学では減っているという話も聞きますが、幸い慶應義塾ではそれほど落ちていません。それでも活動時間が以前より少ないせいか、友達を作ったりコミュニケーションを取ることがあまり上手ではない印象を受けています。

数値目標や制度をどう考えるか

奥田 次に多様性の推進について考えてみます。実際には私たちの社会は多様性が重視されていないことがデータから明らかになっています。例えば、世界経済フォーラムが2022年に公表した「ジェンダーギャップ指数」によれば、日本は146カ国中116位で、主要7カ国では最下位です。男女間賃金格差も諸外国と比較すると大きく、2021年の男性一般労働者の給与水準を100とした時の女性一般労働者のそれは75.2です(男女共同参画局)。

こういった数字からは課題が見えるようになるので、データを示すことは悪いことではないと思います。また、数値目標は改善の手段になるかもしれません。

法的整備もされています。「障害者差別解消法」が2021年に、「女性活躍推進法」は2022年に改正されています。このような法律ができることで、さらに目標値が掲げられるようになります。皆さんは、数字や法律をもとに数値目標を定め、それを目指して頑張ることについてはいかがでしょうか。かえってやりづらくなるのか。あるいはこういった目標値があるからこそ取り組みが進んでいくのか。あるいは何か別の物差しで多様性を示すことができるのか。

私自身、様々な試みを実行に移しながら、協生環境推進というのは数字で測れるのだろうかという疑問が常にあるのですが、いかがでしょうか。

田中 やはり数字や制度は大事な物差しだと思っています。それこそ障害のある方にとっては、段差がなくスムーズに移動できるといった、変えていかなければいけないことが具体的にあります。昨年、ラジオ番組でLGBTQの当事者にお話を伺う機会が多くありましたが、思いやりを持とうといった精神論だけでは不十分で、制度が変わらないと結局人の行動は変わらず、苦しい思いをしている人の現状は変わらないことがあると繰り返し強調されていました。

一方、おっしゃる通り、それだけでも駄目だと思います。数字だけがクローズアップされると、本来の目的が置き去りになってしまう可能性がある。そこにいる人の満足度、フィット感、本当にその人たちが満足しているのかという感覚も大事だと思います。

例えば清水先生がおっしゃっていたような、自分の言った意見が尊重されていると感じられるか。そういうことはすごく大事だと思います。私はNHKで最後に担当した番組が「クローズアップ現代+」だったのですが、テレビ局はすごく男性社会で女性が少ない。また4、50代のスタッフも多い中私は出演者の中で唯一、30代前半だったので、番組の中で若い女性の意見を代表するようなコメントを期待されることもありました。

それは私としてはとても大事なことで責任を感じる一方、時折それだけを求められているような感じもして、自分自身が尊重されていないように思える時もありました。30代女性としての私、だけではなく、田中泉としての意見を尊重してくれていると感じられるような環境も大事だと思います。

一口にダイバーシティと言っても、いろいろなダイバーシティがあると思います。女性、障害者やLGBTQといった少数の側の人だけではなく、当たり前ですが男性の中でもいろいろな違いがあります。究極的には1人1人違う人間なので、目の前の人に好奇心を持つことの大切さ、目の前の人を大事にする気持ちを、まず1人1人が持つことが大事です。それがあっての制度、数値目標の改善ということは忘れてはいけないと思っています。

ノーモア・リップサービス

岩橋 田中さんがお話しいただいたことはすごく大事だと思います。例えばSDGs、あるいはダイバーシティ、LGBTQ、多様性という言葉は、最近、たくさん使われますが、言葉が定着する中で、ノーモア・リップサービス、損得勘定やコスパで聞こえのいい言葉を使って取り扱うのはいい加減にしてくれという声も、様々なコミュニティから上がっています。

例えば東京ではLGBTQのパレードが毎年4月に行われていて、現在かなり大きなパレードになっています。当初は企業の側にはマーケティングの対象にもなるからと参加しているところもあったようですが、時間が経つ中で、本当にこの企業の取り組みはコミュニティにとって役に立っているのだろうかと、コミュニティも企業の側でも議論されるようになっています。一方でアプローチの仕方をしっかり考えるところも出てきています。本当に対象の人たちやコミュニティにとって役立つのかという視点はすごく大事です。

現在、塾名誉教授の樽井正義先生は、倫理学の研究者ですが、HIVに関しての研究に導いてくれたお一人です。LGBTQ、あるいはマイノリティの運動をしていく時に、平等権だけではなく生存権に関しての戦いであることも、絶対に忘れてはいけないとしつこく言ってくれました。

当時、それが何を意味するのか十分にわかっていなかったところもありますが、多様な人たちがいて、皆と変わらない、と言うことだけでなく、その人たちが安全に、健康に生きる権利に関しての運動であることを忘れるなという意味と理解しています。

今の若いセクシュアルマイノリティの学生たちから、今付き合っている相手ともしかしたら結婚できるかもと自分の将来を考えているという話を聞くと、すごくいい時代になったなと思います。一方で、パートナーシップは認めても、同性婚の制度を認めることには日本ではかなりハードルが高い。制度に落とし込むということは生存権にかかわる話です。例えばパートナーが病気で亡くなった。でも、制度がないので友達としてしか関係性を説明できないから最期を看取ることができなかった、という話は本当にたくさんあります。

そういった関係性を保証する制度まで考えていった時、大学でもどこでも、ノーモア・リップサービスということは大事だと思っています。

奥田 言うだけにしないということですね。だから制度が後押しになると。それは杉田さんも同じように感じていますか。

杉田 そうですね。数値の話で言うと、僕は自分の学生時代の就職活動の頃を思い出します。うちの会社は障害者の雇用率をこれぐらい満たしていますとか、女性の登用率がこのくらいとか、確かにとても口当たりのいいことを皆、言います。それが悪いということではないですが、実際は裁量がすごく限られている雇用形態だったり、特例子会社で、障害者の方が1カ所に集められて勤務する形態だったりする。

そのほうが確かに物理的なサポートはしやすいかもしれませんが、「多様性」としてはどうなのだろうとも思います。そういう意味で数値を追い求めることだけではないなと、経験から思います。

結局、自分はどのように会社を選んだかと言えば、目の前でインタビューをしている人は、どれぐらい本当に僕の能力を見ようとしてくれているかで判断しました。エクイティという言葉がありますが、特別扱いをしてほしいわけでも甘えたいわけでもない。必要なサポートの中で自分の能力が最大限発揮できたらいい。そこが一番大事なのかと思います。

僕は脊髄損傷の障害があるので、それに関してはよくわかっている。ただ、障害者は視覚障害や聴覚障害など様々で、外から見たのではわからない世界があり、これに向き合うのはすごく大変なことです。

自分が後天的に障害者になって見えた世界はありますが、知らない世界もたくさんある。ただ、なったことで見えた世界があって、それを受け入れることで、自分の幅が広がったとはすごく感じています。そういう意味ではやはり多様性を経験し、本当の平等とは何なのだろうかということは追い求めていきたいと思っています。

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