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【特集:共に支え合うキャンパスへ】
大木聖子:災害時要援護者と共創するレジリエントなキャンパス

2023/03/06

  • 大木 聖子(おおき さとこ)

    慶應義塾大学環境情報学部准教授

ドキュメント:首都直下地震20XX

パソコン画面ばかりを見て話していた顔を上げて、大教室を見回す。3限、学生たちはうつらうつらし始める。気分転換を兼ねたクイズタイムにしようとスライドを止めたその時、何人かがパッと顔を上げた。直後、わけのわからない揺れに全身が翻弄される。「地震! 地震だ!」叫びながら、なんとか教卓の下に潜り込む。学生の筆箱が落ちる音や短い悲鳴、そして教卓にガツンガツンと自分の頭がぶつかる音を聞きながら、必死に揺れに耐えた。

人生で経験したことのない強烈な揺れだった。実際には10秒くらいだったのだろうか、体感では何分にも感じられた。まさかこれが、首都直下地震……。

「みんな、大丈夫ですか」。上ずった声でなんとか学生に語りかける。救いを求めるような目で、全員がまっすぐこちらを見ている。次は何を指示したらいいんだ。必死に考えているはずなのに、家族は無事なのか、今日は帰れるのか、グラウンドはどこだ、と不安ばかりが押し寄せる。

「また!」誰かの声と共に再び強い揺れに襲われる。余震だ。今度は校舎から、ミシッ、ミシッ、という音が聞こえてくる。このまま崩れて死ぬのか……。倒壊して跡形もなくなった外国の建物の映像が脳裏をよぎる。……収まったか。いや、また! 余震がほとんど途切れることなく続く。

「もう無理! もういや!」悲鳴のような叫び声を皮切りに、学生たちが動揺を隠さなくなる。「みんな、落ち着いて」まるで説得力のない細い声で、なんとか学生たちに向けて話し始めたその時、窓の外を留学生が大声を上げて走っていく姿が見えた。「外に出るぞ!」誰かの呼びかけに、またたく間に後方の狭い出口に学生たちが殺到する。視界の隅で、段差で転倒した学生と、そこに足を取られて折り重なる学生たちが見え、人とは思えないうめき声が上がる。「ダメだ! 落ち着いて! 走るな!」懇願する自分の声は、しかし、立て続く余震と悲鳴でかき消され、誰にも届いていない―

キャンパスの地震災害リスク

これは、もちろん架空の物語だ。ただ、授業中に発災したら何をすればいいのかわかっていない学生と教員がいる教室だったら、このような展開になりうるだろう。

日本では、体に感じないものも含めて1日におよそ600回ほどの地震が起こっている。このうちどれかひとつがマグニチュード(以下、M)7に迫れば、たちまち阪神・淡路大震災や熊本地震のような人的被害をもたらす地震となる。「首都直下地震」とは、このような地震が関東平野やその周辺で起きた場合に命名される。地震の規模を表すマグニチュードは、被害をもたらす範囲と相関してお り、Ⅿ7はちょうど信濃町・三田・日吉・湘南藤沢の各キャンパスをすっぽりと覆ってしまう大きさの震源域だ。 

津波を伴わない地震による人的被害のほとんどは、建物の倒壊と家具の転倒による圧死である。したがって、冒頭の物語のようにもし授業中に発災したら、その建物に耐震性があるかどうかが生死を決める最初の要素となる。

日本人の学生たちの多くは高校までの訓練で、地震が起きたら机の下に入り、その後は教員に導かれてグラウンドに集合する、という教育を受けてきている。大学の授業中であれば、教員がなにか指示を出してくれることを期待するだろう。一方で、大学教員はそれが自分のミッションだとは感じていないのではないだろうか。

とにかくグラウンドに出るという旧来の避難訓練にも課題があり、たくさんの人が外に出ようとすることにはリスクが伴う。階段を降りている時に余震が起きれば足を踏み外す人が出るかもしれないし、これが群衆雪崩につながる可能性もある。停電して暗い階段教室にも同様のリスクがあるだろう。他にも、フロートガラス(強化ガラスではないガラス)が割れて飛散する可能性があるし、大雨や大雪などの悪天候や真夏の炎天下であれば、外に集合すること自体が今度は健康被害をもたらしかねない。

留学生の多くは地震そのものを経験したことがないだろう。あるいは、日本以外の多くの地震国では「急いで外に飛び出すこと」こそが正しい防災行動として教育を受けている。このような文化の違いが、被害を拡大してしまう可能性もある。そこで本稿では、今号のテーマである「誰一人取り残さないキャンパス」について、留学生を例に災害とその事前防災の切り口から考察し、「防災のため」ではなく「防災を通して」共によりよいキャンパスを創り上げることの重要性を記したい。

災害時要援護者

1995年の阪神・淡路大震災では、日本人に比べて外国人の死亡率が高かったことが指摘されている(内閣府「阪神・淡路大震災教訓情報資料集」)。このように、災害時により困難な状況に陥る立場の人を「災害時要援護者」という。より正確には、内閣府が以下のように定義している(内閣府、2006)。いわゆる「災害時要援護者」とは、必要な情報を迅速かつ的確に把握し、災害から自らを守るために安全な場所に避難するなどの災害時の一連の行動をとるのに支援を要する人々をいい、一般的に高齢者、障害者、外国人、乳幼児、妊婦等があげられている。要援護者は新しい環境への適応能力が不十分であるため、災害による住環境の変化への対応や、避難行動、避難所での生活に困難を来すが、必要なときに必要な支援が適切に受けられれば自立した生活を送ることが可能である。

実際、2018年に起きた大阪北部の地震(M6・1)では、留学生を含めて大学で犠牲者は出なかったものの、キャンパス近隣で避難所となった小学校には130人の留学生とその家族が殺到し、避難者の9割を外国人が占めた(寳田・他、2020)。発災直後に集まったというよりは、夜まで続いた余震に驚いて家を飛び出し、屋内に戻ることが怖くてそのまま避難所に向かったとのことである。避難所はハラルフードや祈りの部屋の準備などに追われた。また、避難所の閉鎖が決まった後は、大学が体育館を開放して夜間相談所を設置するに至っている。

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