【特集:共に支え合うキャンパスへ】
坂倉杏介:大学の多様性のある居場所づくりと地域コミュニティ
2023/03/06
求められるコロナ後の居場所
2年以上にわたるCOVID-19のパンデミックを経て、大学は徐々に平常を取り戻している。ただ、気のせいだろうか。ゼミの学生たち――2020年度入学、まさにキャンパスのロックダウンによって入学式もなく、半年以上もオンライン授業の続いた「コロナ世代」――は、それまでの学生と比べて少しだけ臆病で、遠慮がちに見える。勢いにまかせて「オール」したり、自分たちで旅行を計画したりする経験は乏しく、まして行き先も期間も決めずに海外を放浪する「バックパッカー」のような冒険など想像もできない世代だ。お行儀の良さが目立ってしまうのもわからないではない。
しかし、もっと図々しく自分らしさを発揮してほしいとも思う。ありのままの自分でいられ、いたいようにいられる「居場所」が、コロナ以前にも増して、彼/彼女らには必要だろう。
居場所とは、物理的空間を指し示すと同時に、心理的側面を持つ概念である。則定(2008)は物理的居場所と区別して「心理的居場所」という言葉を提示し「こころの拠り所となる関係性、および、安心感があり、ありのままの自分が受容される場」と定義した。身体的に「いることができる」だけではなく、心理的にも受け入れてもらえていることを実感できることが重要だ。そして、その場が心理的居場所と感じられるためには、受容的な関係性がなければならないだろう。逆にいえば、必ずしも物理的空間がなくとも、そうした関係性があれば、そこは居場所になる。だから、インターネット上のコミュニティを自分の居場所と感じる若者も少なくない。
キャンパスは、どうだろうか。物理的にいることができ、心の拠り所にもなる。そうした居場所になっているだろうか。
感染対策のためにゲートが設けられ(不要不急の者以外は立ち入るな)、パーティションで区切られた学食では黙食が要請される(無駄な交流はするな)。その結果、感染症対策的には安全なキャンパスが実現されたが、居場所的な視点で見れば、それらは致命的な排除と分断にほかならない。多様な人を歓待し、多様なありようを認め、多様な関わり方を推奨する「居場所としての大学」とは真逆である。コロナ以前から、キャンパスには学生が自由に「たまり」、異質な者同士が出会うような場所が十分にあったわけではないが、コロナ禍は確実に、キャンパスの管理空間化(非居場所化)を促進したといえるだろう。
「三田の家」:大学と地域の「あいだ」の場所
筆者らはかつて、「三田の家」という場を運営していた。三田キャンパスからほど近い路地裏の古い民家を借り受け、教員・学生有志とともにリノベーションし、2006年から2013年の7年間、商店街の方々の支援を受けながら細々と続けていた小さな「家」である。
そこは、教室でもなく居酒屋でもない、大学と地域の「あいだ」にある「あいまいな」場所だった。教員が曜日ごとに「日替わりマスター」を務め、そこで授業やゼミが行われることもあれば、多種多様な人が集まる「食事会」が開かれることもある。多くの留学生で賑わう「小さい国際交流」の活動も毎週行われていた。時には展覧会やワークショップが開催され、また別の日には特に何の企画もなく、教員や学生が好き好きに寛いでいるだけ、ということも多かった。
三田の家は、多様な人が集まり、多様な関わりが即興的に起こっていく不思議な場所だった。例えば授業を行う際も、教室では起こらない意想外のことが次々と起きる。授業中に、地域の人や卒業生が訪ねてくる。キッチンでは夕食の準備が始まったり、学生がコーヒーを入れて飲み始めたりもする。そして気がつけば、学生や教員だけでなく、留学生や卒業生、近隣の会社員や商店主などなど、三田の家がなければ出会うこともなかっただろう世代も立場も国籍も異なる人たちが、なぜかごく自然に同席し、歓談したり、語り合ったりしていた。
社会学者の小倉康嗣さんが、ある日こう言ってくれた。「三田の家は、ゲイバーよりも自由ですね」。ゲイバーでのコミュニケーションは、バーのマスターが一般的に信じられている価値観を転倒させることで社会的な序列に風穴を開け、束の間フラットな関係を生み出す。三田の家は、そのような操作なしに、多様な人たちの上下関係のないゆるやかな関係性を実現している。それに感心して言ってくれた言葉だった。とても嬉しかったのを覚えている。
三田の家は、そんな具合に、なにもかもが不確定で流動的な場だったから、教室に行儀良く座っていれば学生として認めてもらえるのとは違い、目の前の相手との関係のなかで、自分が絶えず「誰か」でいなければならない。その不定形さが、逆に苦手という学生もいた。けれども、何度も訪れる多くの人々にとって、三田の家はキャンパスともオフィスとも飲食店とも違う、まさに三田の家としかいいようのない場所であり、多様な人が自分や他者とごく自然につながることを許される稀有な場だったのではないかと思う。
2023年3月号
【特集:共に支え合うキャンパスへ】
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坂倉 杏介(さかくら きょうすけ)
東京都市大学都市生活学部准教授・塾員