三田評論ONLINE

【特集:共に支え合うキャンパスへ】
有光道生:「人であること」の誕生 ――法学部日吉キャンパスでの新たな試み

2023/03/06

  • 有光 道生(ありみつ みちお)

    慶應義塾大学法学部教授

不祥事の連続から積極的な多様性推進の試みへ

近年、残念ながら塾生の関係した犯罪や迷惑行為が続出している。このような事態を改善するために法学部でも様々な取り組みが行われてきた。例えば、新入生向けの危機管理ガイダンスでは、独自に作成した冊子やビデオを通して、未成年飲酒や禁止薬物の危険について注意を喚起し、性暴力、マルチ商法、強引な勧誘や詐欺などの被害者や加害者になってしまわぬように指導をしてきた。そして、2019年には、奥田暁代日吉主任(当時)と許光俊学習指導主任(当時)を中心に、これらの取り組みに加えて日吉キャンパスで法学部生たちの人間としての成熟を促すためにできることはないだろうかという模索が始まった。その結果、学生たちが市民社会のルールを守るのみならず、多様で複雑で、大きな矛盾、難題、対立も抱えている現代社会の「常識」や「普通」を批判的に問い直しつつ、より寛容でインクルーシブな未来の構築に積極的に関わるヒントを得てもらいたいという意味を込めて、翌年から多様性を推進するための新規科目が早速3つ設置されたのである。

これらの科目は、それぞれ「人であることⅠ」、「人であることⅡ」、「社会における性Ⅰ、Ⅱ」と名付けられた。テーマや形式は異なるが、どれも法学部日吉キャンパスですでに開講されていた科目とは違ったアプローチで学生たちが現代世界を学び、拡張・再構築していくために重要な視座を提供してきた。筆者が直接関わっているのは「人であることⅠ」だけだが、この授業についてはあとで詳しく触れるとして、まずは他の2つの授業についても簡単に紹介したい。

「人であることⅡ」は哲学者の西研先生が半期でご担当され、「自他の理解を深めるための哲学対話」というサブタイトルにもある通り、「幸福、不安、自由、正義」の4つのテーマに関して少人数のグループで哲学的な対話を重ね、「①他人の言葉とともに、その背景にある想い(感情と思考)を感じ取れるようになる。②そこから振り返って、自分自身の想いを感じ取れるようになる。③人間一般に共通するものと、人の生きる『条件』のちがいの、双方について感度を深める」という目標に到達することを目指している(括弧内は2022年度のシラバスからそのまま引用させていただいた)。次に、大坪真利子先生が通年でご担当の「社会における性」は「ジェンダー・セクシュアリティ論入門」と副題が付けられており、履修者がジェンダーやセクシャリティ・スタディーズの基礎知識を学んだ上で、「自らを取り巻く社会における「性」の問題に目を向け、講義で学んだ概念や発想を用いてそれらの問題を説明できるようになること」が目指されている(こちらもシラバスからの引用)。周知の通り、日本は世界経済フォーラムが発表しているジェンダー・ギャップ指数で低迷を続け、昨年も146カ国中116位という不名誉な位置を占めている。現在日吉ではジェンダー格差や不平等、セクシャル・マイノリティが晒されている差別や偏見について体系的に学ぶ授業がまだまだ少ないため、ジェンダーやセクシャリティに関する理論と実践を融合したこのようなアプローチは、大変貴重であるといえよう。「人であることⅡ」と「社会における性」は両者ともに学生からの反応も良く、2023年度以降も継続開講される予定になっている。

「人であることⅠ」の概要

さて、ここからは筆者もコーディネーターの1人として関わっている「人であることⅠ」について紹介したい。この授業では、まず3人のコーディネーターである専任教員がガイダンスを行い、その中で学生たちには無意識のバイアスに関するテストを受けてもらい、自分たちの「常識」や「普通」を問い直す。それ以降は4人のゲスト・スピーカーにそれぞれ3回にわたる講義を行ってもらい、毎回コーディネーターたちがその内容に応答しながら、学生たちとも対話をするという形式で授業を進めている。

これまでに招聘したゲストと講義内容の概略は以下の通りである。まず、ご自身がトランスジェンダーであることを公にした日本初の大学教員の1人としても有名な性社会文化史研究者の三橋順子先生には、2年連続でご登壇いただき、①トランスジェンダーとは何か、②トランスジェンダーと法:法のはざまを生きる、③トランスジェンダーの現在:「性別変更法」をめぐって、と題したご講義をしていただいた。3週ではとてもカバーしきれないほど多彩で豊かなトランスジェンダーの世界を、人類史の流れの中で振り返りつつ、ジェンダーやセクシャリティの境界を取り締まろうとしてきた西洋近代の性言説と対比させながら、日本の古代・近代・現代(そして、その他の地域や時代)における性別越境者たちの存在や役割を解説してくださった。法律、美術、医学などの複数の分野を学際的に横断して行われた3回のご講義からは、まさに「人であること」の多様性が実感を伴って感じられた。

2番目のゲストは、台湾生まれで日本語による小説やエッセイを発表している温又柔(おんゆうじゅう)先生である。温先生は、日本におけるマイノリティの人生を生きづらくしているマジョリティの無意識や偏見、言語とアイデンティティの複雑な関係などをテーマに意義深い作品を執筆しており、日本の入管施設の問題などについてもメディアで積極的に発言されてきた。温先生にも2年連続でご登壇いただき、①ことばへの目覚め、②ことばに囚われて、③ことばと戯れること、と題して話していただいた。幼少期に台北から東京に移住し、日本語、台湾語、そして中国語が飛び交う多言語的な環境で育ち、その経験をもとに日本語文学の地平を問い直し続けている先生には、そもそも「小説家」とは一体何なのか? なぜ小説家は小説家になるのか? といった問いかけからはじまり、本講義全体のタイトルでもある「人であること」の1つの大きな条件とも考えられる「ことば」を使うこと、虚構の世界を紡ぎ出すことの意義とは一体何なのかといった深い問題提起をしていただいた。「この現実よりもマシな世界があるという信念こそが表現者になる1つの動機である」というお言葉が特に印象的であった。

続いては、長谷川愛先生。「スペキュラティブ・デザイン」という方法論を使い、芸術とテクノロジーを融合させながら、技術革新が生み出すかもしれない未来を思考実験として提示する緻密でかつ大胆なアーティストだ。代表作には、各分野の専門家にインタビューを行い、綿密なリサーチを重ねた上で、もし人間の女性がイルカやサメの子供を妊娠・出産できるようになったらという一見奇抜なアイディアを映像やイラストで具現化し、そのような行為が人間とこれらの生物との関係性をどのように変化させ、さらに人間社会にどのような倫理的問いかけをするかを思弁するものや、合成写真で作った家族アルバムを見せて、同性カップルに2人の遺伝子を組み合わせて子供を作ったらどのような家族になるかを想像してもらうミックスメディア作品、複数の人間が遺伝子を提供し、「株主」のように子供を共同で育てることが可能になった未来を描き、そのようにして親になった人々や子供たちとの会話をアーティスト本人らがロール・プレイをしながらシミュレートするプロジェクトなどがある。長谷川先生は、これらの作品の意図と反響を解説しつつ、アーティストならではの仕方で学生たちが「常識」や「普通」だと思っている制度、慣習、価値観を批判的に再検討することの重要性を示してくださった。これらの作品に衝撃を受けた履修者も少なからずおり、講義後には活発な議論が繰り広げられた。

初年度、もう1人この講義を担当してくださったのは、ニューヨークの黒人地区における人々の生活を参与観察して研究し、その後、多摩美術大学で教鞭をとりながら芸術と文化人類学の融合を実践している中村寛(ゆたか)先生である。帰国生だったご自身の生い立ちからはじまり、五感を刺激する逸話を交えながら、文化人類学から見る人間社会の面白さを語っていただき、中村先生ご自身が実践されているノートのとり方(左頁に事実を書き、右頁にはその事実を聞いたことで生み出されたイメージの断片や思いつき、想起された記憶などを記録)を学生たちにも伝授してもらい、人間社会の認識方法と記述方法が多様であることを教えていただいた。

スケジュールの関係で再度の招聘が叶わなかった中村寛先生の後任として、2年目には早稲田大学の中村隆之先生をお招きした。仏語圏のカリブ海文学の研究者であり、『野蛮の言説:差別と排除の精神史』(2020)などのご著書でも知られる中村先生には、人類によって繰り返されてきた差別と排除の歴史を鋭くかつわかりやすく分析、解説していただいた。特に強調されていたのは、他者を周縁化し排除する「野蛮の言説」は海外での露骨な人種差別やナチズムなどに限られた話ではなく、現代日本においても日常的にみられるという事実であり、2016年に相模原の知的障害者施設津久井やまゆり園で起こった殺傷事件の背景にある福祉制度、社会規範、社会の空気感にそれが端的に現れているというご指摘には説得力があった。また別の週では、フランスの歌手であるコレット・マニーを題材に、世間にはほぼ完全に忘却されてはいるけれども、独自の思想を持ち、魂を輝かせた無名の人々が世界には無数に存在してきたことに気づくことの重要性も教えていただいた。学生からのリアクション・ペーパーには自己肯定感の欠如や社会変革をすることへの無関心や絶望などさまざまな意見が吐露されていたが、学生たちの不安や悩みに1つ1つ時間を掛けて丁寧に応答してくださった中村先生の人としての姿勢に筆者も深く感銘を受けた。

今後の展望

このようにして誕生した「人であることⅠ」は、ゲストが自らの生い立ちや専門分野の知見について語り、それにコーディネーターと学生が質問や感想を投げ返すことで対話が生まれ、さまざまな気づきへとつながり、「多様性が生み出してきた歴史や現実に学問的な光をあてながら、実社会での切実な問題とのつながりを考えることを目的とする」というシラバスで掲げたゴールを一定程度は実現してきたと自負している。2023年度以降も一部コーディネーターとゲストを入れ替えながら、この多様性推進の試みは続く。 

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事