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【特集:日本人の「休み方」】
座談会: 「休み方」が変われば「働き方」が変わる

2019/04/05

大量生産時代の働き方

加藤 ビジネスの観点で言うと、これまでの働き方というのは大量生産、大量消費の時代に最適化されたビジネスモデルだったと思うんですね。作業を徹底的に標準化し、誰がやっても同じようにできるようにする。すると同調圧力が働きやすいわけです。標準化をし、効率化を進める中で、皆が同じように考え、同じ作業ができる人をたくさん育成してきました。

しかし、これから、おそらく全く違う社会が来るんです。大量生産、大量消費の時代から、よりオーダーメイドの時代、またはシェアリングでいいような社会に変わってくるときに、今のままの考え方だとビジネスをやっていけなくなると思うんですよね。

石原 イノベーションは多様な人たちの力でということですよね。

加藤 そうですね。これを日本でやっていく上で、一番障害だなと思うのは、誤解を恐れずに言うと、雇用調整が難しいということですね。今、事業が大きく変わり、足りないエンジニアをキャリア採用などでどんどん採用している。でも、技術が陳腐化したとしても雇用は守らなくてはならない。

一方、海外の競合他社は必要なときに必要な人材をサッと集めて、逆に陳腐化した技術の部門の人員は解雇する。これから日本はこういうところと競争していかなければいけないのですが、圧倒的に不利ですよね。たぶんビジネスの現場では、このようなことで皆、悩んでいるんだろうと思います。

さらに、日本企業は雇用調整が難しいので、仕事の量に対して人員は少なくしている。景気の循環は残業時間の多寡で調整するという仕組みになっているんですね。

山本 いわゆる「残業の糊代(のりしろ)説」というものですね。

石原 雇用を保障しなければならないという圧力の中で、正規社員の数はできれば絞りたいという傾向は、1990年代ぐらいから顕著で、特に2000年から2010年ぐらいまで、非正規社員の比率がグーっと上がっていくんですね。そして、バッファーの部分は、残業と非正規の方にお願いしようということになっていきました。

一方、無期で雇用を保障されている人は、無理して長時間働くことも当然、という無言の圧力を受ける。そうすると、派遣の方にお願いできない仕事は正社員が引き取ることになり、様々な仕事が降りかかり、1日の4割ぐらい、本来の業務ではない仕事をしているような状態の中で、パフォーマンスを上げろと言われる。そうすると、休めないですよね。

長期休暇を増やすには

山本 日本で取りにくいと言われる長期休暇についてはいかがでしょうか。

島津 同僚がヨーロッパにいるのですが、例えばオランダだと、彼らはだいたい7月初めからパーッと自分の国からいなくなってしまう。それで、最初の2週間は徹底的に遊ぶようなんです。

その後は自分のために結構時間を使っています。自己啓発のためとか、春学期中にできなかったデータ解析や論文執筆とか、新しいアイデアを練ったりして戦略を立て、9月からの新しいスクールイヤーやビジネスイヤーに備えているようです。

1カ月から1カ月半ぐらいそういう休みがあると、フェーズを上手く自分で区切り、戦略的に使えるんだと思います。最初の2週間は、まったくメールを見ないんですよね。2週間後からときどき見るという感じなんです。

山本 日本人のお盆休みのような1週間程度の休暇では、最初は遊んで、次はちょっと自由な発想で仕事に備えてといったことは、たぶんできないですよね。日本の問題としては、やはり休暇が短いということがありますね。

島津 今、「ポジティブ・オフ」という名称で政府でも議論が始まっていますが、日本人に合わせた長期休暇のあり方も考えていかなければいけませんね。海外の場合はゾーン制で、州とか地域によって休暇をずらし、そのことによって交通の混雑などを回避していく。学校や会社をどのように休みにするのかですね。同じ会社でも、地域によって休む日が違うのはどうだといった議論もあるので、そこの調整はしなければいけないでしょうね。

石原 休日や長期の休暇中であっても、「つながってしまっている」ということも昨今の問題としてありますね。フランスでは「つながらない権利」と言われ、労働法の改正もありました。例えば1週間の休暇があると、私も仕事のパソコンを持って出かけてしまうんですよね。そして、メールで連絡が来ると、すぐに返事をしてしまう。

そのように、最近は「つながらない」ということがなくなってきているということが、また、正社員の人々にすごく負荷がかかる状況を後押ししているのかもしれないですね。

昨年夏に、アメリカのワーク・ファミリー・リサーチャーズ・ネットワークという、ワーク・ライフ・バランスなどの問題についての研究会に行ったときに、「バウンダリー・マネジメント」という言葉を聞きました。「つながって」いるので、家で仕事もでき、休み方がフレキシブルになっている一方、家にいる時間と仕事の時間のバウンダリー(境界)はあいまいになって、休んでいるのか休んでいないのかが分からなくなっている。

以前は仕事の時間については会社がマネジメントをしていたわけです。残業はしても、一歩オフィスを出てしまえば仕事の時間は終わりだったのが、今、バウンダリー・マネジメントは個人の責任になってしまっているのですね。

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