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【特集:新春対談】
新春対談:次世代を見据えた日本の展望

2025/01/06

持続可能な医療制度に

伊藤 どちらかといえば、薬価を抑える方向で今、帳尻を合わせようとしているわけですよね。

 イノベーションを阻害すると問題だと思っています。医療はデジタル化が大事で、それを進めて過剰診療、重複投薬などをチェックし、効率化することはできると思います。同時に医療提供体制の見直しもやっていかないといけないのではないかと思います。

伊藤 例えば、慶應義塾大学病院は難病患者の最後の砦になることを誇りとしていて、医療の最先端を切り開いている。

ただ、例えば胃がんでかつ心臓も悪い方がいらっしゃると、胃がんの手術に心臓の医師も一緒に入って手術を行うのですが、その時には実際には胃がんの点数しかチャージできない。最強のチームを編成するのですが、保険診療なので、いただける治療費は変わらない。要は複雑な治療ほど赤字になるわけです。でも、このような高度医療こそが慶應病院の使命です。

高度医療の現状を理解してもらえないと、最先端の病院はやっていけないのが今の状況なんですね。

 保険外併用療養費制度というのがありますが、そういうものも上手く組み合わせていく必要があると思います。再生医療は慶應も強いですが、こういった分野は治験の数も少ないので、保険外併用療養費制度を上手く活用しながらやっていくことも考えたほうがよいと思います。

伊藤 ある意味、いろいろな病院が生き残りをかけています。例えばある私大の大学病院はベッド数を増やすことでスケールアップして、利益を確保しようとしている。それはいいことだと思うんですが、もし慶應病院が同じことをすると、ベッド数が供給過剰になり、それは日本全体のためにはよくないわけです。

実際に首都圏では病院のベッド数が十分なので待つことなく保険診療が受けられます。英国ではベッド数が足りないため、保険診療で高度な治療を受けようとすると半年待ちとかが普通なので、自由診療で高額の医療費を払って優先的に治療を受ける患者が多い。日本が素晴らしいのですが、その一方で、先進国において、外科医など専門医の収入が、いわゆる開業医より低いのは日本以外では見当たらない。これでは専門医を目指す人が減っていくわけです。

 診療報酬という公定価格の設定の問題も大きいのではと思います。やはりペイフォーパフォーマンスであってほしいということですよね。

伊藤 そうですね。儲ける必要はないのですが、せめて持続可能にしていくだけのものは必要だなと。

 あとは薬にしても、治療にしても、医療機器にしても、やはりイノベーションをもっと評価できるようにしてほしい。薬価も全体としてもっとメリハリをつけてやっていただくことが大事かなと思います。

伊藤 患者サイドとしては、特にそう思いますよね。

 創薬については、岸田政権時にこれから創薬でイノベーションを起こしていこうという大きな方針が立てられたので、いい方向になってきています。また医療・ヘルスケア産業についても大変重要という位置づけになっています。

ただ、医療全般のデジタル化、データ連携がなかなか進まないので、そういったところを突破していかないといけないと思います。

中間層を支える教育という理念

伊藤 少子化がさらに加速している状況において、上位層の学生もだんだん少なくなるということもありますが、われわれがボリュームゾーンと言っている中間層に対する教育はしっかり行わないと、国力が落ちていってしまいます。

慶應義塾はもともと福澤先生の『学問のすゝめ』にあるように、「ミッズルカラッス」、つまりミドルクラスの人たちを育てることを非常に重視してきました。国の役目は、国民の自由を保証し、悪者を制することだと福澤先生はおっしゃっています。自由の中で中流階級が学ぶことによって、様々なイノベーションが出てくる。そこがボリュームゾーンですから、その層が活躍できる学ぶ場をつくっていく。

最近、慶應義塾大学の入学試験における偏差値が高いので、中流層の入学が困難になっています。そこを意識した教育改革を、他のボリュームゾーンを支える同じ志を持つ大学の人たちとともに、進めていかなければいけないと感じています。

親がエリートだとその子どもも優位にあって、その後の人生が決まってくるという傾向がどの時代にもあります。どうやって中間層がハッピーに、趣味も謳歌して、いろいろな仕事で生活の糧を得ながら、尊敬もされ、夫婦やパートナーで支え合いながら、明るく生きていける世界をつくっていくか。このような社会の実現を先導するのも私たち教育機関の使命だと思うのですが、翁さんは、どうお考えですか。

 慶應義塾の教育を受けられた方々が社会に出て中間管理職になり、トップになり、今も日本で多く活躍されているわけです。そういう方たちが、次の世代を見据えた仕事、経営をしていく。または、サステナビリティを意識した経営を実践し、新しいイノベーションを起こしていくことを通じて、社会全体を持続可能で豊かなものすることができるはずだと思います。

多様な人が幸せに生きられる社会へ

伊藤 全社会の先導者を目指すというのは、そういうことですよね。ところで2024年上半期放映のNHKの朝ドラ『虎に翼』はご覧になっていましたか。

 毎日見ていました。

伊藤 あの中で主人公であるエリートの裁判官のカップルが子どもたちに対し、自由な選択をしていいんだ よという、メッセージがありましたよね。

 いいメッセージでしたね。

伊藤 子どもの意志を尊重して、その中で幸せを見つけてくれればよいと。ああいうメッセージ性はすごいと私は思ったのですが。

 『虎に翼』はすべてにおいて素晴らしかったと思っています。ご指摘の箇所もそう思います。

伊藤 親が望んだ生き方ではないかもしれないと、心配しながらも、でも途中からみんなこれでいいんだと、徐々に幸せを見つけていく。親としてはいつも心配なのですが、学ぶことがたくさんありました。

 やはり1人1人が多様なのだということですね。花江さんという専業主婦の方もいらっしゃって、どの人たちもそれぞれの生き方で幸せになれるのだというメッセージもあったと思います。

でも女性の立場から見て、本当に今も変わらないなと思うところもすごくありましたね。例えば民法の改正のところで頑なな感じの学者の先生が出てきましたが、こういう方は今もいらっしゃるなと(笑)。

伊藤 ああいうメッセージがNHKの朝ドラで出てくるのは時代が変わったと思いました。

 ええ、素晴らしいと思います。LGBTの問題などにも踏み込んでいましたよね。伊藤沙莉さんの好演もあって、よかったなと思います。共感して見ていました。

伊藤 若者の反応はどうだったんでしょうね。

 若い人たちも関心をもって見ていたみたいです。20代、30代の人にも共感があったと思います。女性も力を発揮できる、多様でいいのだと。

政府には社会保障制度など様々な制度を、生き方が多様になっている令和時代にふさわしいものに見直していってほしいと希望しますし、50代、60代の今のトップの方、中間管理職の方は環境変化にアンテナを高くして経営をリードしていっていただきたいです。日本が成長し、持続可能にすることは私たちの世代1人1人にかかっていると思います。未来に向けていろいろな課題を考えることが大切だと思いますね。

伊藤 私も慶應義塾に教員として就職したのがちょうど30年前ですから、まさに失われた30年と重なります。最初のころは研究だけに集中して、何か人任せなところがあったので、それが一番の反省ですね。もっと若いときから、皆で将来のことについて考えながら、もっと声を挙げていかなければいけなかったと。

教員になってからちょうど10年で伺ったのが翁さんの入学式の祝辞ですから、そのときの気持ちを今でもよく覚えています。同じような後悔を20代、30代の教職員には今後もってほしくないという思いで、今いろいろなことに慶應義塾として取り組みたいと思っています。今後ともご支援、よろしくお願いします。

 こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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