【特集:新春対談】
新春対談:次世代を見据えた日本の展望
2025/01/06
逆境を乗り越えるための専門性
伊藤 これからの時代、家族をどのような形にしていくかということは大きなテーマですね。
さて、2つ目の「逆境になっても諦めずに粘ってほしい」というところですが、「社会に出れば個人の力ではどうしようもない困難に直面することがあります。(中略)逆境がない人などいません。しかしそのときに踏ん張ってください」と続けられています。実際にこの後、リーマンショックが来たわけですね。
翁 リーマンショックがあり、東日本大震災がありました。日本は自然災害が多いですし、そういった個人では抗いきれないことは起きると思います。
伊藤 その時、どうしても社会的なシステムによる支援が大切になりますし、お互いを助ける余裕も大切になりますね。
翁 そうですね。もちろん国や地方自治体が支援するわけですが、NPOや慶應義塾もいろいろな支援をされています。公助と様々な人たちによる共助が大事ですね。自助に加えて公助・共助を上手く重ねてサポートすることで自立でき、逆境を乗り越えていくことができるとよいと思います。
伊藤 祝辞で、「外から支えになってくれるのが、自分を取り巻く家族や友人であり、内からの支えが、自分が頑張って構築してきた仕事の専門性」と言われています。私は家族は内ではないかという印象を持っていたのですが、外というのは自分以外のこと全部で、内は自分の専門性だという言葉は、すごくインパクトがありました。
翁 私が若い頃は、サラリーマンは専門性をもつのが難しい時代だったと思うのですが、当時でも専門性を磨いてチャレンジしたことで、金融危機などの際に活躍し、その後飛躍された方もいます。
私は産業再生機構で、2003年から4年間ぐらい活動していました。そこでは皆さん、日本の金融危機の克服に貢献したいと銀行や会計事務所、弁護士、アナリストといった方たちが集まって専門性を基礎として新たに学び直し、様々な企業の再生を行ったのですね。そういう場所を経てきたので、専門性を磨き挑戦する重要性を特に感じていたのだと思います。
環境変化に応じた対応を
伊藤 2007年というのは、ちょうどインターネット革命があり、Suicaなど交通系カードの電子化が一気に進んでいる頃でしたね。
翁 そうですね。インターネットは1997、98年頃から皆やり始めたのかと思いますが、今はもうスマホが当たり前になり、本当に時代は大きく変わったと思います。
伊藤 今のAI革命に非常に似ているところがありましたが、一方で、あの時は世界情勢は比較的安定していました。
地政学的にもソ連の崩壊があり、デモクラシー、資本主義が唯一の勝者だと思われていた。これからはフランシス・フクヤマの『The End of History and the Last Man(『歴史の終わり』)』みたいになる、と皆が思っていた時代です。
翁 中国も当時はまだまだ発展段階で、大国になればきっと民主主義の陣営に入ってくると楽観的に思っていた人も多かった時代です。そこは今と大きく違いますね。当時はちょうど中国経済が大きくなり始めていた頃で、「(経済について)トンネルを抜けて、視界が開けてきた」と話したのは、海外需要が大きくなってきた時だったんですね。
金融危機時に行っていた預金の全額保護が2005年に全部終了し、企業もかなり筋肉質になっていた。そこに中国、アジアがだんだん台頭してくる。アジアの時代と言われ始めていた時代でした。でも、残念ながら、その後もずっと日本の賃金は低いままでした。
伊藤 1990年代後半から2000年代にかけて、不良債権処理を行い、あれだけ銀行が統合されたわけですが、それをやっていなかったら、どうなっていたのでしょうか?
翁 あの時はかなりドラスティックに銀行統合が進み、都銀11行と言っていたのが、今や5行という感じになっています。人口が減っていく中、長期的には統合は自然な流れだと思います。ただ、海外と比較すると、日本はすごくゆっくりと変わっており、金融危機への対応も北欧などと比べると、大変時間がかかったと思います。もちろん、日本も時間をかけてきっちりと処理をしたことで、その後、金融システムの健全性が改善した面はあると思います。
伊藤 北欧諸国などは、国が小さいこともあり、アメリカなどその時の資本主義のやり方に完全に合わせていたのかと思いますが、日本は変化させるのも当然プロセスがかかります。実際、これで本当に戦っていけるのかと、私は聞かれたことがあるんですが。
翁 やはりドラスティックに統合できたのは、情報開示がしっかりできている土壌が北欧やアメリカにあったからだと思います。北欧などでは金融システムを助けるためには公的資金が必要だと、政治家がきちんと正面を向いて言えたことも大きかったと思います。
一方、日本は情報開示がすごく遅れていて、護送船団方式と言われるように、ゆっくりと弱いところに合わせて金融行政をやっていた。そういうことがあったので、処理も遅れてしまったと思います。
伊藤 18年前、当時、働き盛りの40代後半の仲間の皆さんと、高度成長期を支えた先輩方、それにバブルの後に入ってきた後輩たちと一緒に仕事をするのは、「狭間にいるな」とお感じになられていましたか。
翁 そうですね。高度成長期は石油ショックの1973年ぐらいまでと言われていますが、まだ80年代も経済成長していたのです。それが90年代に入ると、バブル崩壊でものすごく世の中が変わってきた。一方、昭和時代の成功体験を持つ上司の方たちも多い。
そのような感じは今も多少残っていると思います。残すべきところは残し、変わるべきところは変わっていかないと、環境変化のスピードはすごく速いので、それに対応できる企業とそうでない企業で差がついてしまうと思います。
昔はメインバンク制で、銀行が企業経営に対して大きな影響力をもっていたわけです。それが、2000年頃からだんだんと海外株主が増えてきて、現在、東証の上場企業の株式保有比率は海外株主がトップです。そのように、ずいぶん企業を取り巻く環境も変わってきました。コーポレートガバナンスなど、仕組みもずいぶん整えてきていますが、資本市場からの改革要請も強まってきているという感じがします。
2024年1月号
【特集:新春対談】
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