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【特集:新春対談】
新春対談:次世代を見据えた日本の展望

2025/01/06

1億総中流意識は変質したのか

伊藤 次に「心豊かな人生を歩んでいただきたい」というところです。祝辞で「最近も食品会社やガス機器会社などの不祥事が、再三報道されています」とありますが、不祥事報道は今でも変わりませんね。しかも、その時に「関与した人たち自身が、どこかで自分の心の中の声に耳を塞いだまま、判断した」結果、起こったものではないか、とおっしゃっている。まさに、これは今でも同じなのではないかと思うのです。

続けて、「心の中の声を聞き続ける最良の道は何か」と問いかけられて「本当のところは私にもわかりません」と断られた上で、「家族、友人、趣味、様々な小さな喜びを忘れず」と言われる。私もこれが、今はすごく大切だと思うんですね。

 有り難うございます。

伊藤 1970年代に一億総中流という言葉が出てきました。「あなたの生活水準はどう思われますか」という質問に対して、70%以上の人が上中下の選択のなかで「中」を選んだことで一億総中流と言われたのですね。これは、日本にとってとても幸せなことだったと私は思っているんです。

ところが今でも、2023年の内閣府「国民生活に関する世論調査」を見ると「中」を選ぶ人が8割以上なんですよ。

 そうなんです。

伊藤 しかし、このようなこともありました。慶應義塾の奨学金授与式で、シングルマザーの家庭で育ち、きょうだいの方も障害を抱えていて、大変な苦労をされている奨学生代表の塾生が素晴らしいスピーチをしてくれました。その中でハッとしたのが「一億総貧困と言われる日本において」という言葉が出てきて、聴衆の若者たちが頷いていたことです。調査上は一億総中流のはずなのに、若者たちは一億総貧困に頷くのです。

それは経済的な面だけでなく心の面もあるかもしれません。例えば好きな趣味とか、毎日に満足しているかということも関係してくるのかなと。要は、翁さんが祝辞でおっしゃった「様々な小さな喜びを忘れず、心の水脈を絶やさないように、心豊かに生きる」ということが、今の若者にとって難しくなっているのかもしれません。

 そうかもしれないですね。最近の物価高もあり、余裕がなくなってきていますよね。所得面を見ても、残念ながら賃金が上がっていなかったことが象徴的ですが、経済状況は30年前に比べてよくなっているわけではない。ジニ係数という所得格差の指標は海外ほどは広がっていませんが、世界との相対的な地位を見ると、日本はやはり落ちてきています。

1つは円安の面もありますが、所得環境はいい状況になっているとは言えない。にもかかわらず、中流意識を持っているとすれば、2つぐらい可能性があって、1つは日本は住みやすく、海外と比べれば安価でおいしいものも食べられる。そういう意味では、日本にいれば割に満足して生きていけると思っている人はそれなりにいらっしゃるのかとは思います。

もう1つは、同じ世論調査でも確認できますが、時間のゆとりを持って生活できている人が比較的多く、所得環境は厳しいが、家族友人関係、趣味などが生活の充実の助けになっている可能性はあるのかなと思います。

伊藤 収入面で厳しくても、週末には子どもの野球チームのコーチをして幸せを感じるとか、いろいろな幸せを感じる方がいるということですね。

「ソーシャルブリッジ」の必要性

伊藤 一方、一部のお金持ちの発信を見て、そういう世界とは別世界ということから格差を感じている人もいるのかなとも思います。そのあたりは難しいですが、どうすれば1人1人が幸せを感じられるのか。もちろん子どもの貧困といった問題もあり、そこは国が助けるべきだと思うのですが。

 大手上場企業などに勤める方は、比較的ゆとりをもって過ごせている方が多いと思うのですね。しかし、やはり正規・非正規雇用の格差の問題などがあると思います。就職氷河期の方など正規社員になりたかったのになれなかった方に対しては、日本は今までそんなにサポートできていなかったと思います。

私は日本にとって一番大事なことの1つが、人への投資だと思っています。企業に勤めている方のリスキリングだけでなく、非正規にとどまらざるをえなかったような方、不本意な形で今の会社に勤めているけど、いつか飛躍したいと思っている方々に手を差し伸べるべきではないか。ソーシャルブリッジという言葉がヨーロッパにはありますが、まさに次の仕事に円滑に異動できるためのサポートをするのは国、自治体な ど政府の役割だと思います。

伊藤 同一労働同一賃金ということなのに、会社の中で同じ仕事をしていても、正規、非正規で給与格差があるとも言われています。また、エッセンシャルワーカーに対する尊敬の念が、薄いと私は非常に感じているのですが。

 そうですね。医師、看護師を始め、今回のコロナの時などは本当にエッセンシャルワーカーの方たちに助けられました。

伊藤 消防士の方、警察官の方、清掃してくださる方などもそうです。

 保育士の方や介護士の方などの給与水準が公的価格で低い方が多いので、そういった方の賃金を上げていかないと持続可能ではないですね。そういう政策は非常に重要だと思います。

社会的課題解決の進展具合

伊藤 翁さんは祝辞の後半で、「現在、地球温暖化がグローバルに深刻化しています」と、急に切り出されるんですね。これはちょうどアル・ゴア元副大統領が『不都合な真実』を出した直後ぐらいでしたよね?

 そうです。ゴアさんの先見性は素晴らしかったですね。

伊藤 さらに、「今後企業が活動していくうえで、環境への配慮や、子育て支援といった社会的責任を果たすことは欠かせない」とおっしゃっている。それから今、18年ほどが経ったわけですが、これらのことについてはいかがですか。

 ようやく取組みが本格化してきているところでしょうか。地球温暖化対策は、2015年頃から金融市場で欧州の投資家の人たちがずいぶん動き始めました。その国際的な動きがうねりとなって、環境問題に対応できていない企業はサステナブルではないと評価されるようになってきています。グローバルな流れは大きくなりましたが、トランプ大統領に再びなることで、やや不確実性が増しています。

私は政府の新しい資本主義実現会議に委員として入っていますが、その理念は社会的課題を解決することをむしろ機会として、長期的企業価値を向上させることです。つまり、成長戦略で社会的課題解決とともに企業価値を上げていく考え方です。ブラックロックのラリー・フィンクCEOや、またビジネス・ラウンドテーブルなどでアメリカでも2010年代ぐらいから言われ始めていて、日本もそういう方向になってきている。こういう考え方には賛同しています。

子育てに関しても男性育休が義務化され大きく伸びてきています。まだまだだと思いますが、とても大事なことだと思っています。

伊藤 祝辞の中でも「ワーク・ライフ・バランスのとれた生活を送ることは、努力がいります」とおっしゃっていました。そして、「社会に貢献しつつ、心豊かな時間を持つ努力をしながら、よき人生を歩んでいっていただきたい」ということで話をまとめられているのですが、心の豊かさが1つの大きなキーワードになっていますね。

 私も共稼ぎで、夫もずいぶんサポートしてくれましたが、子どもが小さい頃は心のゆとりはなかなかなく、とにかく仕事と家庭を両立することだけで精一杯でした。しかし、ライフタイムで見ると子育ての時期は案外短くて、その後にまた自分の時間もとれるようになりました。そうなると自分の仕事以外の趣味もできるようになる。10年ぐらいで、その後はだいぶ楽になる感じなので、今、両立で精一杯の方も上手く大変な時期を乗り越えて、ロングタームで人生を豊かに過ごしていただきたいと思います。

伊藤 翁さんの世代、また少し後の世代も、結婚した女性で活躍されている方は、ほぼ間違いなくパートナーの方のサポートがありますね。

 それはとても大事なことですね。やはりお互いに助け合えると家庭と仕事の両立は容易になると思います。実際にOECD諸国で見ると、男女の無償労働の格差は日本が一番大きく、男性の家事・無償労働は平均1日40分なんですね。本当に短くて、そういった国ほど少子化が進んでいるのです。だから、「共働き共育て」の時代に大きく変化している今、それに合った形で企業がサポートし、社会全体で子育てもしながら、この人手不足の時代を上手く豊かに乗り切っていく。そういう取り組みをぜひ力を入れてやっていただきたいと思います。先ほど塾長もおっしゃっていましたが、20代はほとんど共働きですよね。

伊藤 そうですね。私もどこまでしっかりと理解して今まで取り組んできたか、という反省があるんですが、間違いなく、今の若いカップルはそういう形で取り組もうとしているので、それを親世代や祖父母世代の大人が邪魔をしないことですね。

 おっしゃる通りです。内閣府のアンケート調査で、男性が外で働き、女性がそれを支える、いわゆる男女の役割分担についてどう思うか、という設問を年代別に見たものがありますが、これに肯定的なのは70代以上は4割強、60代が3割強ですが、20代は2割を切っています。経営幹部の世代が頭を切り替えていくことがこの国の持続性を担保すると思います。

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