三田評論ONLINE

【特集:一貫教育確立125年】
座談会:「同一の中の多様」が育む豊かな教育とは

2023/10/05

課外活動が持つ役割

山内 共通の基盤の中でお互いにリスペクトするような人間関係をいつの間にか持てるようになるという意味では、学校の授業だけではなく、部活動や生徒会など、授業以外の部分が大きな役割を果たしているように思います。

河野さんはずっと柔道をされてきましたが、部活動を通じた人間関係についてお感じになることはありますか。

河野 体育会では、互いに本音でなければ話せない。寝食も一緒ですので隠しようがない。そういった付き合いの中で、裸になったら一緒じゃないかという気持ちが、最も大切なものの1つでした。そこに至るまでの時間が長い人もいれば、短い人もいますが、体育会における一番の教育はそこで、この濃密な人間関係を通じて心身ともに鍛えられるのでしょうね。

山内 斎藤さんは音楽をずっとなさってきて、高校、大学とワグネルで活動されました。高校時代は女子高や志木高も一緒に活動していく面白さをお感じになられたのではと思いますが。

斎藤 おっしゃる通り、塾内の他の学校と一緒になる機会がクラブ活動では非常に多いのも、慶應の一貫教育の恵まれたところだと思います。

違う個性の学校に入って学んでいる生徒とクラブ活動で一緒になると、同じ学校にいる仲間から受けるのとは違う刺激を受けることは確かにあります。私の場合、普通部の友人たちに中等部の私から見て、音楽的にものすごい才能のある人が何人もいることを発見して、太刀打ちできない、すごいなと驚嘆したことをよく覚えています。

山内 那須さんは生徒会長をされていて、女子高時代、学校を超えた活動はいかがでしたか。

那須 生徒会同士で横につながりました。志木高や塾高の会長と意見交換会をしたり、お互いの文化祭にお手伝いに行くことが楽しくて。相手の学校のことがよくわかるんです。その時に仲良くなったお蔭で卒後何十年経っても、連合三田会の当番年には当時のメンバーで集まって活動しています。

縦糸のネットワークと包摂性

山内 一貫教育校では、早い段階から大学の専門的な学問に触れる機会もあります。牛場さん、いかがでしょうか。

牛場 私は慶應の縦糸のネットワークにすごく影響を受けて、自分の今の仕事につながることをたくさん教えてもらったと思っています。

幼稚舎の時、まだパソコンが一家に一台もない時代に、先生がパソコンを4台も5台も教員室の横の空き部屋に置いてくれました。そして、その先生が塾の理工学部卒だったご縁で、理工学部の研究室の大学院生が、毎週水曜日の放課後、2、3人ずつその部屋に来て教室を開いてくれたのです。

友達に誘われ、恐る恐るその部屋に通っていたのですが、ある時、その大学院生に「何の研究をしているんですか?」と聞いたら、「会話をして頭がどんどんよくなるAIの研究をしているんだ」と言われてびっくり仰天。「研究を見せて下さい」と言ったら、翌週プログラムを入れたフロッピーディスクを持ってきてくれて、なぞなぞをやってどんどん賢くなるAIを見せてくれました。

大学院生ってこんなふうに世の中を変えるものを作ることができるんだ、とショックを受けました。それで僕はコンピュータをやりたい、AIをやりたいと親に頼んで、パソコンを買ってもらって、それが今の研究につながっているわけです。

SFC高等部の時も、隣の大学のキャンパスの授業に背伸びして潜り込んだら、たまたまゲストが坂本龍一さんの講演会だった。高校生も入れてくれるおおらかさもあって、大学のいろいろなところを背伸びして覗いてみることができ、すごく刺激を受けました。

これは学校の授業だけではわからないことで、憧れの「すごい人」が目の前にいる、同じ空気を吸っている、触れ合える、という経験ができたことはよかったです。大人になった今、今度は自分がそういう体験を生徒たちに与えられる存在になりたい、今、何ができるだろうかと考えるきっかけになりました。縦の絆の中でたくさんの豊かな経験をする機会があったことに感謝しています。

山内 私自身を振り返っても、大学に出入りする機会が早くからありました。

普通部の労作展では、私は図学、コンピュータグラフィクスをやっていましたが、普通部の先生が紹介して下さって工学部機械工学科の佐藤豪先生に助言を頂いたり、あるいは日吉の情報科学研究所に通って、大学院生たちに混じって連日夜中まで大型計算機を回し続けることもさせてもらいました。

また、高校からは福澤研究センターや福澤諭吉協会で三田の教職員の方々に随分お世話になりました。

先生方は同じ学校だけではなく、各学校や大学の各学部の先生とも信頼関係、つながりがあって、この生徒にはこういう先生に触れさせるのがよいのでは、と紹介して下さったのだと思います。

牛場 スポーツも、音楽も、学術も、多感な思春期の頃から様々な人と触れ合える機会が自然とある。若ければ若いほど、文理の垣根も、年代の垣根もない。やりたいという子に「おいで」と言ってくれる包容さもある。今、多様性や包摂という問題について、社会の皆が頭を悩ませていますが、大きなヒントが慶應の一貫校の伝統の中にたくさんあるような気がします。

人として認め合う。人はどこから仲間になっても仲間だと認める。このことは別に慶應の中に限らず重要なことであるはずです。誰であってもそのビジョンに共感したら一緒にやろう、と包摂していくことはとても大事です。

慶應の閉鎖性みたいなことが言われがちですが、そんなことは全くない。いろいろな人を無限の縁で全部包摂していけるようなメンタリティー、価値観を自然と育くむ装置が慶應義塾の一貫教育だったのではないかと思っています。

那須 女子高ですと、学内でそれぞれ専門性の高い先生方が普通の担任をやって下さったり、校長先生として来て下さったりしています。若い時に専門性の高い先生方の指導を受けられることはすごくよいことでした。

興味のあることについて専門知識をお持ちの先生方に質問したり、語り合ったりすることができました。高校時代からそのようなことができたのは非常に恵まれた環境だと思います。

牛場 プロフェッショナルな方が本当に多いですよね。普通部の音楽の教室に行ったら、苦悩に歪む真剣な顔で譜面に音符を1人書き殴り続ける音楽の先生の姿を見てびっくりしたり。本気でクリエーションをしているプロの姿を見てものすごいショックで、印象に残っています。

女子高で得られたもの

那須 女子高は一貫教育校の中で唯一の女性だけの学校ですが、それによって得られるものは非常に大きいと感じます。あの年ごろは異性の目を一番意識する年頃ですが、異性の目や既成概念、役割意識みたいなものを全く考えずに、1人の人間としてやるべきことをやり、難しいプロジェクトに取り組み、文化祭の大きな演し物(だしもの)のために力仕事も自分たちでやる。

これを一式全部こなして卒業すると精神的な自立もでき、将来的に経済的にも自立できる人間になれると思います。依存しないで生きていくことをこの3年間でたたき込まれることが、他の学校にはない特色だと思います。

山内 女子高出身者には様々な分野で面白い活動をしている人が多くいます。那須さんは男女雇用機会均等法ができて最初の世代で、比較的塾員の少ない組織に入り、海外でも仕事をされてきましたが、仕事の中で女子高時代に得たものを感じることはありますか。

那須 相手を大事にしながら仕事をするという基本の精神は変わりません。社会に出てからあまり順調でないこともありましたが、相手を大事にする、尊重するという気持ちであれば、業務上もわかり合えると思っています。また、他人からの評価に頼らず、自分は自分であるという信念や自己肯定感を女子高時代に培いましたが、このことは、仕事で難しい課題に立ち向かうときに、ぶれることなく頑張れるという点で非常に役立っています。

それから、女子高時代に得たものというわけではありませんが、仕事で出会う方々が、慶應出身者ということだけで、一定の価値観が共有され、信頼感が一気に醸成されて、距離が縮まる経験を何度もしており、ネットワークの広がりにはとても感謝しています。

また、少しお役に立てたかなと思うのは、ニューヨーク駐在時代に、ニューヨーク学院の高校生たちが大学の学部を選ぶ際の参考にしてもらうために、ニューヨークにいる塾員数名が呼ばれて、生徒の前でお話しする機会をいただきました。その時、冒頭の自己紹介で「私は女子高出身で」と言った途端、ニューヨーク学院の生徒たちは自分事として考えることができたようで、ブレイクアウトセッションでは活発な質問をいただきました。日本から離れているニューヨーク学院の生徒たちが、内部から進学した人はどのように社会で活躍できるのだろうと、漠然と抱いていた不安な気持ちに対して、何らかの参考になったのではないかと思っています。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事