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【特集:一貫教育確立125年】
上田誠:一貫教育のミッション

2023/10/06

  • 上田 誠(うえだ まこと)

    元慶應義塾中等部教員、元慶應義塾高等学校教員/前野球部監督・塾員

「そのネクタイはシャツと合ってないよ」「この間言ったことと違いますよね」。今から35年前、13歳の中学生に色々細かく指摘される衝撃の中等部教員生活が始まりました。普通の? 学校では教員室は敷居が高い場所。余程のことがない限り、行くことがない場所だと自分の経験から思っていましたが、中等部ではまさに「社交場」「談話室」でした。入れ代わり立ち代わり生徒がやって来ては「雑談」していきました。内容もプライベートなことから、自分の趣味や将来のことまで幅広く、私は余りにも多くの生徒がやって来るので、別の場所に逃げ出したことをよく覚えています。前任校は暴走族の集会に行く生徒を止めるのが仕事の荒れた公立高校。その前は受験指導をしながら甲子園出場が至上命令の私学。そこで教鞭をとっていた私にとっては、全てがショッキングな毎日でした。

さらに中学生でありながら専門知識のなんと豊富なことか。「軽井沢の地形」「カマンベールチーズの作り方」「歌舞伎の見得」「天体の話」。いつの間にか中学生に質問する自分がいました。まさに半学半教。高校まで公立一筋で過ごしてきた私は「一貫教育校フリーク」の教員として、再スタートしたのでした。

2年後、英語教師として塾高に異動し、野球部の監督を仰せつかり、「さあ厳しい練習をして甲子園に行くぞ」と息巻いていました。しかしそんな私に対し、中等部出身者の野球部員達が、「上田さーん」とフレンドリーに声を掛けてきたのです。すぐに普通部出身者も外部から来た選手もそれに呼応しました。公式戦の球場本部席に、マネージャーが「上田さーん」といつも通り入って来た時の高野連役員の顔は今も忘れられません。きっと上田は選手に舐められていると思ったことでしょう。

またグラウンドでは、選手は思ったこと、疑問に思ったことを率直にぶつけてきました。選手の起用法が納得できないとか、選手間での「監督不信任投票」を行うなど、他の高校野球の監督では味わえない、楽しくも充実した時間を沢山過ごすことができました。

「エンジョイ・ベースボール」の旗を掲げ、塾の野球部は今も昔も戦っています。対戦相手と全力で戦うのはもちろん、「野球界の常識」とも戦ってきました。これが出来るのは、塾に脈々と流れている「社会への使命──ミッション」かもしれません。福澤先生が放流してくださった、純粋で汚れのない清流に我々はもっとしっかり乗らなければならないといつも感じます。大学野球部でも5年間コーチをやらせていただきましたが、ここでも一貫教育校出身の侍たちが野球の技量に関係なく、チームのために良かれと思えば、監督・コーチにしっかり進言できる風土を作り上げてくれているのを何度も目にしました。

野球の話ばかりになってしまいましたが、一貫教育校のポテンシャルの高さにいつも驚かされます。特に「ただ者ではない、小中学生」たちはジュニア期から外へ羽ばたいていく術をこの中で身に付けていきます。私もそこに働く多くの先生方から刺激を受けました。また各一貫教育校には、様々な違う環境の中で教育が行われているにもかかわらず、共有されている何かがあるのです。そして、その何かとは福澤先生が示してくださった「社会へのミッション」であることは間違いありません。

私の教員生活、野球部監督の経験を通じ、「一貫教育」の果たす役割が、慶應義塾にとっていかに重要、大事なものかと今さらながら感じています。彼ら、彼女らはジュニア期から時流にのまれることなく、時には流れに逆らっていく感性を慶應義塾の中で自然に身に付けていきます。そして社会人になれば、大きな権力に媚び諂うことなく、現状を改革し、良いものを作り上げよう。そして今の体制が変わらないのなら、自分で新たな組織を立ち上げて先導者になろう。このような「社会への使命──ミッション」に満ちた卒業生に会うと今も心が弾みます。一貫教育校の教職員の皆さんは自信を持って「慶應義塾」という素晴らしい船を航行させていただきたいと願ってやみません。

今年の3月に塾の教員を定年退職いたしました。多くの教え子が開いてくれたお祝い会の中には、たった1年間担任を受け持った中等部のクラスもあり、月日は流れても「上田さーん」と呼ばれ、35年前と同じように教え子たちから刺激を受けました。「一貫教育校フリーク」として私も刺激を与えられるような存在でいたいと思っています。

最後に一貫教育を125年間支えて下さった諸先輩方、保護者の方々、そして全ての教職員の皆様に心から感謝申し上げます。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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