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【特集:一貫教育確立125年】
飯泉佳一:劇団四季と義塾一貫教育

2023/10/06

  • 飯泉 佳一(いいずみ けいいち)

    慶應義塾幼稚舎教諭[音楽科 2021~]、元劇団四季俳優[2012~2021]

劇作家加藤道夫(当時、塾高英語教師)の下に、戯曲「なよたけ」を読んで感動し、共感した若者たちが集う。塾高・慶應義塾大学の学生を中心としたグループには、浅利慶太、日下武史、林光、藤本久徳らがいた。“演劇における詩と幻想” “演劇がもたらす感動、カタルシス”を説く加藤に心酔し、ジャン・ジロドゥの世界観に触れ、同時に芝居で経済的に自立できるプロフェッショナルな劇団の必要性を感じていた彼らは、加藤の紹介で石神井高校演劇部の卒業生を母体とした東大生らの劇団方舟グループと出会う。そして、1953年7月14日、10人の有志によって劇団四季が結成された。

塾高演劇部が起源の劇団四季と、幼稚舎が結ばれた体験

劇団四季から幼稚舎に来た初日に、杉浦重成舎長が慶應義塾や幼稚舎の理念をお話しくださいました。「幼稚舎生は智勇兼備の人になれ」という言葉。その中でも「勇」について大変印象に残っています。

「何かを成そうとすると、必ず苦労がある。勇気がないと、途中で挫けたり、すぐ人の真似をしたりする。育った環境も考え方も違うのに、真似しても仕方がない。人は人、私は私、我が道を行けばいい。自ら考え、行動するには、常に勇気を持ち合わせないとならない。」

福澤諭吉先生が「人生労せざれば功なし」と仰った通りです。その苦労を厭わず自分を突き動かすものは、「勇気」のほかにありません。

浅利慶太氏も俳優たちに次のような言葉を贈っています。

「君たちは不平等な世界に来たんだよ。才能の時計はおもしろいもので、10年かかることを1、2年で演(や)ってしまう人もいる。鈍くて時間がかかってしょうがない人もいる。だが、不思議なことに10年も演(や)ればだいたい揃う。亀が兎の時計を見て焦ってもいけないし、兎が亀の時計を見て昼寝してもいけない。自分の時計を見て自分に対して努力をしなさい。」

浅利氏は慶應義塾の理念を演劇人のための言葉で語り、彼らの魂を奮い立たせる方でした。劇団四季で演劇をしてきた私にとっても、その言葉の源泉が慶應義塾にあるのだと気づいたとき、これまでの経験と幼稚舎で教鞭をとる未来が結ばれたように感じたことを鮮明に覚えています。

私にしかできない、演劇教育の実践

創造力、表現力豊かな幼稚舎生を見て、私は演劇創作の授業を始めました。作曲家で、塾員でもある鈴木邦彦さんが作ったファミリーミュージカル「人間になりたがった猫」の『すてきな友達』という曲が教材です。子どもたちに詩が書かれた紙を渡して、実体験でも空想でも構わないから、この詩に相応しい物語を書いてもらいます。これを聞いた別の教諭は「難しいことをさせますね」と驚くのですが、実際にはほぼ全員がさらっと脚本を書き上げるのです。そしてグループになって、創作した物語を演じ、歌ってもらいます。

私から演技指導はしませんが、大切にしてほしいことを1つだけ伝えます。道具も衣装も何もなくても、1つの世界を共有して、その場面の空間に居てほしい、と。音楽科教員としての仕事は、脚本にあう伴奏をつけてあげることだけ。子どもたちは「ああでもない、こうでもない」「こうしたい」「こうしてみたら」と語り合い、持ち味を引き出していき、大人顔負けの感動作が生まれることもあります。例えば、戦争をテーマにした脚本を書き上げた子どもがいました。怪我をした兵士を敵国の兵士が助け、互いに武器を降ろして手を握り歌うというストーリー。演じる子どもたちも決して演技が上手い訳ではありませんが、物語を信じる彼らの心そのものが、魅力となって出てくるのです。浅利氏は「下手でもいいから一生懸命やれ。言葉に祈りを持って。そこに感動が生まれるんだ」と語っていました。幼稚舎生の真剣なまなざしと一挙手一投足に、私は涙を流しました。

浅利慶太が語る、初等教育における演劇の意義深さ

「機械好きは音響や照明をする。おしゃれ好きが衣装を描いて、絵描きは装置を描く。発表好きや出しゃばりは役者、理屈っぽい人は演出、世話好きがプロデュースする。1つの目的に向かって共同作業すれば、コミュニケーションが生まれる。全く違う個性の人間たちが共通の目的を分け合って、何かを成し遂げる。戦後、音楽と美術とが教育の正課に入ったのなら、演劇を学ぶ授業があっても良いのではないか。」

多くの国の学校教育に演劇の科目があり、専門の教諭がいます。先進国の中で日本だけが演劇を学校教育に取り入れ損ねてしまっている現状です。

演劇という総合芸術なら、全員が自分だけの役目を見出すことができます。自分の得意不得意や、他人との比較なんて気にする必要がない。個性を目一杯輝かせて、仲間と1つのものを作り上げることができるのです。

歴史を紐解き、遺された言葉を思い返せば、浅利氏をはじめとする塾員の演劇人の切なる願いが聞こえてくるようです。「幼稚舎の子どもたちに演劇の喜びを」と。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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