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【特集:一貫教育確立125年】
田中智行:一貫教育の「面白さ」──労作展から始まった中国古典研究

2023/10/06

  • 田中 智行(たなか ともゆき)

    大阪大学大学院人文学研究科准教授・塾員

小学4年のころ、母が岩波少年文庫の『西遊記』を買ってくれたのがきっかけで、この作品を好きになった。横浜そごうの本屋で「いちばん詳しいやつ」をねだり、当時最良の翻訳(平凡社)を手に入れ、貪り読む。1990年、普通部を受験して入学。労作展の存在を知ることになる。 

入学初日、配布された『普通部会誌』(38号)には労作展にまつわる先輩方の文章が載っていた。中でも強烈だったのは、モンゴル語に興味を持ち、中国語で書かれた文法書の翻訳を試みた荻野剛久先輩で、そのために中国語を一から学び、辞書と首っ引きで一字ずつ訳していったという。文章から迸る熱気に打たれた。

よし自分は『西遊記』研究だ。思ったはいいが何をすべきかわからないので、仏教美術を研究していた父に訊くと、『大唐西域記』という本を教えてくれた。難しげな本ではあるが、史実の玄奘三蔵の経巡った諸国のことが書いてあるらしい。その記述を『西遊記』と比較するという計画書を書き、社会科の労作展説明会に出たらハネられた。史料も自分で読めぬのに無理だ。誰かの本を写すだけになるよ。にこにこ諭され悔しかったがその通り。この言葉がなければ別の人生を歩んでいた。小谷俊彦先生には大恩を感じている。

しかたないから国語科へ回り、作品のあらすじを2年掛けてまとめ、所々に調べたこと考えたことを交えるというスタイルに落ち着く。音楽部の合宿が終わるや取りかかったが、この作品を要約するのは想像以上に愉しい作業だった。要約にはまず、作品そのものを舐めるように読みこまなければならない。落とす要素、残す要素を区別し、自分の感じた面白さが伝わるようにまとめていく。作品に没入しつつ、客観的な目も持たなければならない。それはどこか地図作りに似ていたかもしれない。何でも書きこんでいたら地図にならないが、しかし書かれるべきものは漏らさず書かれていなければならない。

『西遊記』の三蔵一行は、全100回あるうちの第49回で、唐と天竺のちょうど中間にある河を渡る。そこで物語が区切れるので、平凡社版は第49回までを上巻に収めていた。1年次には第50回まで要約するので、上巻だけでは僅かに用が足りない。原作もどうせなら第50回で渡ることにすれば区切りがよかったのにと考えて、これは第98回で天竺に着く半分に設定してあるのではないかと気づいたのが、普通部最初の夏の終わり。続けて2年次の夏、第77回に釈迦如来が強大な妖魔を降しに自ら出御する場面を読んでいて、如来がこのまえ天竺を離れたのはいつだっけと調べたところ、天界で暴れる孫悟空を懲らしめにきた第7回だった。これは数字の「7」を意図的に使っているに違いない──。

この発見は素朴ながらインパクトがあったようで、当時岩波文庫で『西遊記』を訳されていた北海道大学の中野美代子先生へ3年次に書いた「論文」の一部をお送りしたところ、NHK教育テレビの講座で紹介してくださり、後には論文や著書でも言及してくださったのには感激した。

一方で少々胸苦しくもあった。自分が本当に明らかにしたかったのは、作品の面白さの根源で、そういういわば仕掛けの部分ではなかった。仕掛けの背後にあるものこそを示したいのに──。悩んだがやがて思い至った。作品の面白さとは、読者の感性と作品とが接触して発する火花のようなものでこのうえなく大事だが、研究は火花の写真ではない。ただ、火花を散らした者にしか見えない作品の要素、言われてみればそうなのだが気づきにくい(または気づいても評価できない)事実の繋がりはある。そうした連係を指摘することもまた、作品の面白さを語る手段なのだと。

大学院に進む際、慶應を離れた。研究対象を『金瓶梅』に換え、9年前からその新訳に取り組んでいる(全3冊。上中巻既刊、鳥影社)。大学院から先は国立大学の空気を吸っているが、普通部で言い慣らされる「一生労作展」を地で行っている。翻訳は原文を異言語でわかるように・・・・・・まとめ直す営為なので、日々の作業も普通部時代の夏休みと大きくは違わない。地図でいえば縮尺が20分の1から1分の1(!)に変わった程度であろうか。作品の面白さを伝えたいとの動機は、長丁場の訳業をいまも支えてくれている。

普通部時代、荒井栄一先生が三田の旧図書館に連れて行ってくださったのが忘れられない。いま日常接している資料の香りを、はじめて嗅いだ日だった。迷う私に文学部進学を勧めてくださった塾高の阿久澤武史先生(現校長)と今夏、甲子園で再会したのが縁となり、この原稿を書いている。その日のブラスバンド席にもいた塾高の栗山真寛先輩は、私の訳書が新聞で取り上げられるようご尽力くださった。どちらかといえば一匹狼タイプの私を、そのまま迎え入れてくれる包容力が、慶應の先生方、同学達にはあった。そしてそのおおらかな雰囲気を裏打ちしているものこそが、伝統に培われた一貫教育の「面白さ」だと思うのだ。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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