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【祝! 塾高野球部甲子園優勝】
【甲子園優勝に寄せて】107年前の普通部優勝

2023/10/11

  • 山﨑 一郎(やまざき いちろう)

    慶應義塾普通部教諭

全国制覇を報じた号外と、107年前の普通部優勝を伝える新聞が展示されていると知り、横浜の新聞博物館に足を運んだ。そこには、選手が躍動する姿を写したカラー写真の各社号外と、1916(大正5)年8月21日付の時事新報と朝日新聞の紙面があった。そして、慶應普通部が再認識されることになった。

新聞記事では、前回の優勝校を「前身の慶應普通部」と表現している。しかしながら、慶應普通部の名称は、先人たちの強い思いもあり現在にまで継承されてきた。前身とは旧制普通部のことであり、1898(明治31)年の塾内の改革で幼稚舎6年、普通部5年、大学予科本科5年の計16年におよぶ一貫教育体制の成立から始まった。そして戦後の教育改革で1947(昭和22)年に新制普通部が、翌年に新制高等学校の慶應高校が開設され、旧制普通部は幕を閉じた。

当時の普通部や野球部は、どのようだったのか。普通部はコの字型の校舎で三田山上にあり、大学生と幼稚舎生も一緒だった。共に塾生として1つの山で生活する、1つの学塾だった。このような環境で、塾内には上下の差別のない自由な気風が保たれた。普通部は優勝の翌年に三田山上から道を隔てた三田綱町に新校舎を建てて移転した(現中等部の場所。昭和20年5月の空襲で校舎が焼失し、幼稚舎へ同居となった)。

一方、野球部の主な活動場所は綱町グラウンドだった。1903(明治36)年に、義塾は蜂須賀家所有の土地の一部を買い取って、庭の鴨池を埋め立てて綱町グラウンドを作った。ここでは、11月に第1回の早慶戦が行われた。

当時の慶應野球部は、大学生はもちろん、普通部生でも商工学校生でも、部員になることが出来た。全体を、主力を「本塾選手」、次を「普通部選手」(商工学校を含む)、さらに普通部3年以下の「幼年組」に実力で分けていたようだ。早慶戦も、慶應体育会野球部vs.早大野球部だったといえるかもしれない。

そのような背景の普通部野球部だったから、色々な特色があった。出場メンバーは普通部生に限らず、大学の試合にも出ている商工学校の選手もいた。主将でエースの山口昇は、決勝の市岡中学戦で11奪三振の力投をしたが、商工学校の5年生で大学のレギュラーであった。

また国際色豊かだった。話題の中心は、米国籍で初の外国人選手となったジョン・ダンだった。ジョンの他にも、日独ハーフの日本国籍の河野元彦や、大学生ながら普通部監督をしたハワイ出身の日系2世の腰本寿もいた。特に、ジョンは会場でも評判となり、豊橋中学校との対戦では記事になったほどで、「◆人気のジョン君◆ 観客は大喜び『ジョンしっかり!異人さん旨くやってくれ』と物凄い人気である」と注目された。ジョンは、普通部卒業後アメリカに渡り、その人物像は謎のままだった。ところが近年、北海道酪農の父とも言われるエドウィン・ダンの3男であることが分かった。エドウィン・ダンは、農業技術の普及に貢献し、駐日米国公使なども務めて、終生日本の近代化に貢献した人物だった。ジョンは4人兄弟で、全員が幼稚舎を卒業し、ジョンと弟のアンガスは普通部を卒業した。長兄・次兄も義塾に関わりがあったが、その話は別の機会にしたい。

107年前の優勝時のメンバー(慶應義塾普通部蔵)

監督の腰本寿は、1908(明治41)年に慶應野球部が初のハワイ遠征をした際の縁で普通部に入り、名2塁手で大学でも活躍した。後に慶大の名監督となり7回も優勝し、野球殿堂入りを果たした。普通部監督としては、選手に対してリベラルで型にはめ込まない指導だった。上級生下級生の区別なく、選手がのびのび球と親しむという指導法だった。複数の投手を有しての継投策など、先見性も備えていた。

当時の応援風景はどうだったのだろうか。朝日新聞は「慶普は天下中学の覇者」と2段抜き写真入りで報じた。「遠路観衆が炎天下押しかけ、慶應方はやや無勢なれども吊鐘太鼓などを持ち出し、手に手に慶應と染め抜たる紫色の応援旗を翻して右スタンド一面に居列びたり」と描写した。当時は三田山上に400人もの塾生が暮らす寄宿舎があり、団結力が強く、対外試合の全校的な応援の中核となっていた。

やがて義塾の球史に、107年前のモノクロ写真と、今回のカラーの優勝記念写真が並んで紹介されるであろう。同じ全国制覇だが、全国の参加校数は115校と3486校で、全く規模も内容も異なる優勝だった。ところが、全塾的な応援やチーム内外の一体感、新しい野球に取り組む姿勢など、新旧優勝に通じる部分が確かにあると私は感じた。

代打の切り札で、ピンチに伝令役を務めた安達選手が、博物館見学時にコメントを残した。「新聞紙の黄ばみから歴史の重みを感じた。今も昔も高校野球は人を引きつけるのだなと思った」。まさしく卓見であろう。

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