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第10回 慶應義塾体育会の軌跡/名将・腰本寿/野球部Ⅰ
2022/06/08
塾野球部のストッキングには2本の白線が入っている。これは二回の東京六大学野球全勝優勝を記念したもので、その発案者は昭和3(1928)年最初の全勝優勝を達成した監督・腰本寿(こしもとひさし)(1894-1935)である。腰本は在任10年16シーズン中、7回優勝する黄金時代を築き、名監督の名をほしいままにしたものの、退任後『大阪毎日新聞』へ復帰してまもなくわずか40歳で急逝したため、現在は知る人ぞ知る存在となっている。しかし同時代においては『中央公論』の「現代日本百人物」や、『文藝春秋』で特集が組まれるなど抜群の知名度を誇り、帝大野球部監督小林悟一によるとその名声は「大臣博士と同列に取扱はれることさへなきにしもあらず」というほどだった。塾野球部の歴史をつくったこの不世出の監督はいったいどのような人物だったのだろう。
腰本はハワイで育った日系人で、塾との接点は明治41(1908)年野球部初のハワイ遠征時に生まれた。元野球部マネージャーで遠征の引率役である鷲沢与四二(わしざわよしじ)を腰本の親が訪問、日本へ渡り仙台の中学へ通っている息子・寿の世話を依頼したという。そして野球部の帰国後、寿が鷲沢のもとを訪れ、普通部入学となった。こうして鷲沢は親代わりの存在となる。腰本は二塁手として選手時代を過ごす一方で、大学部時代にはのちの名監督の片鱗を見せる。大正5(1916)年普通部は第2回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園の前身)を制覇、監督としてそのチームを率いたのが当時大学部の選手である腰本だった。主将の山口昇は優勝要因の一つとして普通部が複数の投手を有していたことを挙げ、「それを上手に使った腰本監督の巧みな統率振りを忘れてはならない」と回顧する。
大正8年大学部を卒業した腰本は北京へ渡り、鷲沢が創刊した英字新聞『ノース・チャイナ・スタンダード』に就職、その後『大阪毎日新聞』へ転じる。記者として活躍する一方で大毎野球団主将も務めた。こうした時期に早慶戦が復活する。大正14年秋、19年振りの早慶戦で塾は惨敗を喫し、新監督として腰本に白羽の矢が立つ。こうして監督に就任した腰本は大正15年春季リーグでいきなり優勝すると、前記のごとく勝利の山を築いたのである。
「剛腹」「強気」「負けん気」、このような言葉が腰本評には頻出する。寡黙でめったに笑わず、やや肥満気味の大きな身体は見るものに威圧感を与えた。審判や評論家へも主張すべきことは主張した。「味方には頼られるが敵に廻しては憎らしいと云う大親分型」であった。そして選手に対する態度は「一つの鋳型に押し込まうと云ふ往き方では無く、天才教育主義であり、私生活に対しては、放漫(?)でありリベラリズムであった」と先の『文藝春秋』はいう。野球好きで知られる旧制早稲田中学出身の詩人・作詞家サトウ・ハチローも同誌の「食へない腰本」と題した評論で、選手を「型にはめない名カントク」で「アプサンはアプサンの味となしジンはジンの味としてケイオーカクテルをつくるわが国随一の名バーテンダー」と評す。また「ベースボールが余り科学的になったら、見物はよろこばないし、面白くもなくなる。さりとて余り人情的になっても面白くない。腰本は、よくその両方をチャンポンに合せて使っている」とも言う。この点、腰本自身も著書『私の野球』のなかで、セオリストと実際家、この両者を巧く融合していくのが良いと述べている。サトウはさらに、「選手がのびのびとしている。球と親しんでゐるといふ感じの選手がケイオーに多いのも、腰本のこの心もちが、いつの間にかしみこんでゐるために違ひない」と評している。
一方選手は厳しくも情の深い腰本を「おとっつぁん」と呼び、慕った。腰本時代の野球部本拠地は新田グラウンドでその合宿の雰囲気は「他の学校に比べて、民主的且つ家族的であって、上級生下級生の区別なく、非常に和気藹々(あいあい)たる合宿生活振りで」あったという(昭和9年度主将水谷則一)。リベラリスト腰本の感化が窺えよう。
腰本は雑誌のインタビューで早稲田と比べて大量得点が少ないと指摘された際、「ベースボールと云ふものゝ解釈が違ふのぢやないか。(中略)伝統的に選手の潜在意識の中に塾の野球と云ふ考へが植ゑつけられてゐるのでせう」と答えている。「塾の野球」の詳細は即断できないが、野球界の主流を占める早稲田とは違う野球観を意識していたことが注目される。監督を経てジャーナリストとしての活躍が期待されながら、異見を大いに闘わせる前に急逝したことは、塾のみならず野球界、ひいては日本のスポーツ界全体にとっても大きな損失だったといえよう。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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横山 寛(よこやま ひろし)
福澤諭吉記念慶應義塾史展示館専門員