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【祝! 塾高野球部甲子園優勝】
【甲子園優勝に寄せて】エンジョイ・ベースボールの真髄

2023/10/11

  • 堀井 哲也(ほりい てつや)

    慶應義塾体育会野球部監督

107年ぶり2度目の全国高等学校野球選手権大会を制した塾高野球部が発信し続けた「エンジョイ・ベースボール」という言葉に私が出会ったのは、約40年前の大学野球部在籍中まで遡る。1982年、私が大学3年生のシーズンに前田祐吉監督が、ご自身にとって2度目の慶大野球部監督に就任された。早々に当時野球界で当たり前だった極端な精神主義や上下関係等、悪しき慣習への問題提起をされた。戦前の腰本寿監督時代のアメリカ遠征をきっかけにした黄金時代を例に挙げ、塾野球部の伝統はアメリカンスタイルなのだと我々に説いた。当時低迷していた野球部の再建を、塾野球部の伝統に立ち帰りスポーツ本来の姿を見つめ直す原点回帰に求めたのだろう。

その意味で翌1983年3月の慶大野球部史上2度目のアメリカ本土への遠征は必然だった。大リーグ情報を得るのもままならない時代、アメリカ人大学生のプレーは全てが新鮮だった。「弱いから強くなるために行くのだ」と周囲に話していた前田監督も、恐らくチーム強化のキッカケを探していた。連日の親善試合は、両監督と審判がホームプレート近くに集まって、メンバー表を交換し、グランドルールを確認後、“Let’s enjoy!”とお互いにがっちり握手をしてスタートした。エンジョイというワードが恐らく前田監督の目指す野球に、いや塾の野球に突き刺さった瞬間だった。帰国後に野球部の理念を「エンジョイ・ベースボール」と命名したことは、正に我が意を得たり、の心境だったのではないだろうか。その精神は表現の差はあっても、後の塾野球部歴代監督に脈々と受け継がれていった。同時に森林監督の前任の上田誠氏によって塾高野球部にも根付いたように思う。その甲斐あって、今年の夏は「エンジョイ・ベースボール」が40年の時を経て、名実ともにKEIO野球の代名詞と認知された。

しかしメディアや世論の反応から、私は必ずしも前田監督の真意が世間に伝わっているとは思えない。彼はエンジョイするためには①ベストを尽くせ、②仲間を思いやれ、③自ら工夫せよ、と強く訴えた。シンプルだが実に崇高な理念なのだ。私自身、日々学生達と共にその境地に挑戦しているが未だに志半ばである。1年半ほど前の事、塾高から練習風景の動画が送られてきた。土砂降りの中、ご高齢の元プロ野球名コーチが上げるトスを選手が必死に打っていた。ボールを打つたびに飛び散る水滴は、降りしきる雨なのか汗なのか、はたまた涙なのか……。やがて選手とコーチの足下は水浸しになった。

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