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【特集:「トランプ後」のアメリカ】
座談会:「分断」の先に何が見えるか

2021/02/05

ポピュリズムと日本の政治構造

渡辺 少し日本の話につなげたいと思っています。

今アメリカで起きている反エスタブリッシュメントの動き、中山さんがおっしゃった左右のポピュリズムのフリンジが台頭している現象は、ヨーロッパでも起きていると思います。それから自国第一主義的な内向きのナショナリズムも、またヨーロッパで台頭しているところもある。

これは理由を探っていけば、技術革新が起き、それによって産業構造や情報環境が大きく変化している中でどうしても適応できない人たちが没落していき、それがミドルクラスの瓦解や経済格差を生んでいると言えます。

一方で移民や難民が増えて人口構成が大きく変わり、国としてあるいは社会としてのアイデンティティが揺らいでいくことへの不安が根本的なところにある。そうだとすれば、これはアメリカだけの現象でもない構造的な問題で、ポーランド、ハンガリー、トルコ、フィリピンなどでも、似たような現象が起きている気もします。

その中で、よく先進国の中で日本は欧米のようなポピュリズムやナショナリズムがさほど台頭していないと言われます。この理由は、日本の政党政治や政治システムの部分で説明できるのでしょうか。

待鳥 ポピュリストが、日本でも台頭してくるには、いわば需要(社会的なニーズ)と供給(台頭したいと思っている政治家)の話になるかと思いますが、それを媒介するメカニズム、市場構造みたいなものが、日本の場合、少なくとも国政レべルでは成り立っていないわけですね。

でも、地方政治では明らかにポピュリストが出てきていると私は考えています。日本の地方政治は、制度類型としては大統領制です。大統領制は、政党の力を借りずに個人が短期間にトップリーダーに登りつめられるので、ポピュリストの台頭に対して親和性が高い。関西人のひがみと言われたらそれまでですが(笑)、大阪の維新よりも東京の小池百合子知事や河村たかし名古屋市長の方が、明らかにポピュリストとしての性格が強いと見ています。

しかも日本の首長は権限が大きいという特徴も持ちます。権限が大きいと、その支持者の受益の程度も大きくなります。こういうタイプの政治制度は、ポピュリズムに対して脆弱です。

しかし、国政ではそうなっていません。その理由の1つは、国政が議院内閣制であることです。個人が短時間でトップリーダーになれない議院内閣制は、ポピュリズムへの耐性が相対的にあるのだと思います。

もう1つ、政党の問題もあります。今の国政でポピュリスト政治家が台頭するには、自民党を乗っ取らないといけない。ところが自民党を乗っ取ることは非常に難しい。二世議員の方などは典型的ですが、ポピュリストとは異なる政治的資源を使って、勝ち上がってきている人たちが相当数いる。

裏返せば、日本の国政レベルでポピュリストが台頭してくるとすれば、非自民の側から新興政党が出てきて、非常に短期間に勝ち上がることだと思いますが、そうであっても一気に過半数の議席を取ることは難しいでしょう。

渡辺 フランスでマリーヌ・ル・ペンなどのポピュリズム的なナショナリズムの台頭が顕著なのは、さびれて人口も減ってきている地方です。アメリカも、いわゆるラストベルトがその象徴のように語られています。名古屋や東京といった都市部ではなく、日本の中でも過疎地域のようなところが日本におけるポピュリズムの震源地になる可能性はあるのでしょうか。

待鳥 国政の既成政党が、地方の農村部を本格的に切り捨てる政策を取った時には、そうなるかもしれません。日本の場合、少なくとも自民党をはじめ、多くの政党はそういうことをしない。それは、農村部のほうが有利な代表のメカニズムになっていることと無縁ではないと思います。

もう1つ大きいのは、国政と地方政治の制度が食い違っていることです。これは負の側面もたくさんあるのですが、少なくともポピュリズムの台頭に関しては、非常に強い障壁として機能しています。例えば地方政党をつくり、首長ポストを確保して出てくるとしても、国政で短期間に政権を獲得するのは極めて難しい。

「分断」とメディアの役割

渡辺 しかし、一方で日本でもトランプを支持する人とか、Qアノンのようなものを信じている人も散見されている。政治的には力がないかもしれませんが、反エスタブリッシュメントの機運はないわけではないと思います。

日本学術会議の問題もいろいろな側面がありますが、さほど積極的に政策提言を行っていない学者の集まりに、年間10億円と多くの専従職員を付けているのはおかしい、という反発の側面もあると思います。

アメリカにおけるトランプ言説を、そのまま引きずっているような人たちが日本にも出てきている。この現象にどう向き合っていけばいいのか。これは結構重要な問題のような気もします。主要メディアでご活躍されている金成さん、いかがでしょうか。

金成 おっしゃる通りだと思います。1つ思うことは、ジャーナリズムで「真ん中」が今、影響力を失っている点です。私も記者をやっていて感じるのは、どこかある一定のポジションからの発信者になって、自分の応援団を形成すれば非常に楽だろうということです。

アメリカではチャンネルを回すと別世界が広がっている。そのため普段視聴しているメディアを聞けば、その取材対象者のその後の政治的な主張の中身までが見えてしまうことが少なくない。

ワシントンD.C.では「トランプ敗北、バイデン当選」という一報が出ると、街はもう沸き立つわけです。しかし翌日、私はレンタカーを借りて、アパラチア、ペンシルベニア中部のベッドフォード郡に入ったのですが、ヤードサインを数えると、最初の百本は全部トランプ支持で、バイデン支持は、ピッツバーグの郊外に行くまで1本も見なかった。人気ラジオは当然ショーン・ハニティとラッシュ・リンボー(いずれも右派のトランプ支持の論者)の番組です。

私は、どの立場からも耳を傾けてもらえる、ジャーナリズムを維持する必要があると思っています。それは結局、何なのかと言われればオピニオンに傾斜せず、ファクトに徹底的にこだわる媒体を維持するのがやはり大事なのではないかということです。ジャーナリズムが恐怖や憎しみを増幅する装置にならずに、むしろそこを軽減するファンクションを持つ必要があるのではないか。

アメリカでは多くの人が日々、毎月の給料を使い切るような生活をしている。それは日本も同じで、おそらくこのコロナ禍でその度合は強まっていると思います。労働時間が長くなると自分と異なる世界の人の暮らしぶりに直接触れる機会も余裕も、どんどんなくなっているのでしょう。ですから、ジャーナリズムが異なる立場世界に暮らしている人たちの話を、お互いに伝え続ける必要があるのだと思います。

ジャーナリズムに身を置く人間としては、それをしっかりと肝に銘じ、アメリカのようなメディアによる分断には、加担したくないと感じています。

渡辺 日本の言論レベルでは、トランプ的なものに共鳴する層もあって、そこに照準を合わせたメディアもあるような気がします。

例えば、雑誌『WiLL』(2021年1月号)でも「トランプは負けていない」というような言説が並べられている。それなりの知名度のあるメディアがそういう言説をとり始めると、かなり言論空間の分断が進んでいくのではと思います。

金成 どう捉えればいいんでしょうね。これは、そこにマーケットがあることに気づいてそういった言説を流し込んでいるのか、一定の集団が何らかの意図をもってやっているのか。どちらもあるのかもしれません。

以前スティーブン・レビツキーさん(ハーバード大教授)とFOXニュースについての話をした時、右派言説を待ち望む一定規模の市場があることを発見して、流し込んだら人気を博した側面と、その右派言説で一部の有権者がいっそう右傾化する側面の両方があるのではないかと指摘されていました。

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