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【特集:戦争を語り継ぐ】
座談会:戦後80年を経て何を、どう伝えていくか

2025/08/05

個別具体的な視点と俯瞰する視点

平山 少し補足をさせていただくと、今、AIはビジネスにおける「定型」での活用が盛んですが、研究上の活用としてはもっと「未知」のゾーンに入っていく可能性を支持したいということです。すべてのものを読めないし、あったはずのものがなくなってしまうぐらいなら、まずはデータとして蓄積して、それをどう引き出すのか、というのが考えどころだと思うのです。

例えば、蓄積された語りについて「年月日」と「地名」で「検索」をかけると、ある時点でのある場所についての語りがワーッと集まってくる。今までは別々になっていたものを一つ一つ丁寧に読んでいかなければ辿りつけなかったのが、デジタル化された形で蓄え続けていれば、常に新規性を持つデータベースにもなり、これまでつながっていなかった語りをつなげることができる。ある時点でのある場所についての語りが「語り全体」のなかで占める位置を「可視化」する可能性もあるのではないかと。

『タリナイ』を拝見すると、大川さんは限りなく歴史研究者に近い、一次史料からのお仕事をされていることがわかりますし、「共感」も覚えました。一次史料を見た時の興奮は、歴史研究者には抑えきれないものがありますので。

一方、すべての人が同じようにできるのかと言うと難しいので、デジタル技術によって蓄積されるということは、新しい可能性、気づきを多くの人々にももたらしてくれるのではないか、という点でもAIの活用に可能性を見ています。

安藤 一つの小さい出会いを起点として、人と接するところから始まって広がっていく枠組みと、大きな情報を分析する枠組みというのは、ミクロヒストリーとグローバルヒストリーの対比に近いところがあるかもしれません。

とはいえ、戦争を語る実践では、一つの小さなところから進んでいくところにこだわっている方が多いようですね。

平山 私も研究的にはそちらです。

清水 やはり私たちは個別具体的な1人に出会って引き込まれてしまうのです。慰霊碑や日記などのモノも含めた、偶然で運命的な出会いがあって、やはり個別性が、歴史への入り口、きっかけになるわけですよね。

一方で、広く俯瞰できるデータベース的なものも、結局その1人ひとりはどのような位置にいた人なのだろうかとか、一歩深く知るための手段になります。大川さんのいう「無数のひとり」は個別具体的なのだけど、似たように生きた人もたくさんいると気づいて、視野を広げるプロセスをサポートしてくれますよね。

奥村 新聞の調査記事では、一面で「戦争遺跡3割消失」みたいな目を引く全体の数値を示して、中面に関連記事として、消えていく遺跡の実態だとか体験者の経験を描きます。数字が持つ意味を、説得力をもって伝えるためにも、個の語りは不可欠です。

新聞読者もすごく減っていますが、数少ない中の1人にでも「この言葉が引っ掛かればいいな」という思いで書いています。記事との偶然の出会いから関心を寄せてもらうためにも、亡くなっていく方が多い中で、語れる人を探して記録し続けるのを諦めてはいけないと、お話を伺っていて思いました。

平山 個々のデータから積み上げて、というのは、いわゆる「名寄せ」ですね。1人ひとりの名前であらゆる情報をつなげていき、そこから積み上げて「全体像」となることが理想で、自分の身内や知人はこういうことをやっていたんだ、とわかるかもしれない。

個人情報の問題もあって、定量分析では個人名を消すことが多いのですが、その結果を「自分事」として受けとめるのはなかなか難しいですね。分析結果が全体を説明する有効性を守りながら、個々から積み上げていく時の「実名性」がもつ「凄み」のようなものを大事にしたいと思っています。

奥村 たくさん集めたうちの一番多いものが一番心に響くとは限らないですよね。少数の方の経験という「偏り」があってもいいのかなと。実名なら、その偏りが一方的にならない気もします。偏りがあった部分が誰かに刺さって、そこからまた広がっていく議論もあると思います。

安藤 そうですね。偏りが一方向に増幅してしまう世界だと危ないですが、皆が偏っていて、結果バランスが取れていれば大きな問題はないのではないかも知れませんね。

戦争は遠い話ではなくなったのか?

安藤 私は、気がつけばもう20年近く戦争の語りに関わっていまして、振り返りますと、その間の学生たちの戦争に対する意識の変化のようなものが何となく気になってきています。

皆さんは現在における、戦争に対する意識、関心・無関心といった点を、どう感じていらっしゃいますか。そもそもマーシャル諸島が日本から全然関心を持たれていなかったところからスタートしている大川さん、この関心の移り変わりについてはいかがでしょうか。

大川 映画『タリナイ』を公開したのが2018年で、それから7年経ち、その間に世界では新たな戦争が残念ながら起きてしまっている状況なので、今の小中学生、高校生にとって戦争は遠くないものになっていると感じます。

公開時の2018年は、戦争は遠いものでした。最近は、将来、日本も参戦したり、巻き込まれてしまうかもという危機感を強く抱くなか鑑賞した、という感想が増えました。今や戦争が遠い話ではなく、現在、進行している戦争と同時に比較して語られ、鑑賞されています。

9歳の男の子が、「どうして、マーシャル諸島に日本軍が持ち込んだ大砲など置いたまま、片付けないのですか」という、とてもシンプルな問いを投げかけてくれたこともありました。そうした直球の問いから、複雑な戦争を紐解いていくことも、上映後の対話の時間として貴重です。

上映する場によっても、反応は少しずつ異なるのですが、鑑賞するタイミング、そして今世界を取り巻く状況によって、映画の見られ方も都度変化していくんだな、映画も生き物なんだなと、上映するたびに学びを得ています。

安藤 皆さん、戦争が自分たちとは遠くないところにきたのではないか、というところはどうですか。

奥村 ご自身の経験とウクライナやガザのことを重ねて話す体験者の言葉に、はっとさせられることがあります。これが80年前に見ていた景色なのかと。身近さは増しているようには思います。一方で、ありのままの惨劇を小学生に話したら、「ゲームみたい」と現実味を持ってもらえなかったと悩む方もいました。切り口を工夫して伝え続けなければ、と感じます。

偶然の出会いのインターフェース

清水 私の研究会のメンバーで、80年前の戦争をテーマに選ぶ学生は1人のみです。今の世代(2000年代生まれ)の学生は関心がないと嘆いてもいいのかもしれませんが、逆に、無関心がデフォルトで当然ではないかとも思うのです。私の世代(1990年代生まれ)でも、戦争に興味を持っている自分は変わり者だったと思います。

私の研究会は「戦争体験継承」など掲げないで、フィールドワークをテーマにして、藤沢市の辻堂地区を歩いています。着任してから調べると予科練の少年兵を教育した藤沢海軍航空隊もありました。茅ヶ崎・辻堂海岸にあった旧日本海軍の広大な演習場が戦後は米軍演習場となり、返還運動が行われた歴史もある。辻堂駅の北側に大きなショッピングモールがあるのですが、広い敷地は工場だったからで、もとをたどれば日中戦争下に作られた軍需工場です。軍需工場は戦争末期に空襲を受け、辻堂駅は米軍占領期に弾薬爆発事故が起き、死者が出ています。

もう何も遺跡の形で痕跡は残っていませんが、土地の中に埋もれている記憶を掘り起こし、ここに、かつてあった物事を想像することはできます。まちを歩きながら、何気ない日常の景観ができあがった成り立ちを掘り下げると、しばしば戦争が顔をのぞかせる。

自分たちの身近な暮らしの範囲で言えば、日吉のように、キャンパスの中の戦争を考えることもできます。SFCも遺跡発掘調査報告書を読んでみると、キャンパス内に9カ所の壕が戦時中に掘られていたとわかります。

それは先ほど言った個別具体的な偶然の出会いのインターフェースですね。最初から戦争継承プログラムとあえて言わないで歩くことで、それは少し驚きを伴う出会いになります。

安藤 戦争遺跡を起点に考えていくと、そこで何かしらの戦争の痕跡に触れる、あるいはかつて戦争のあった空間の中にいると感じる。こうした実感に何らか戦争に関する情報が結びついた時、単に耳で聞く以上の経験となり、戦争と自分がつながっていると感じられるのではないかと思います。それがモノや場所の一つの力、意味だと考えています。

大川さんにとっては、マーシャルに入り込んでいるという感覚がとても大きな意味を持っているのではないかと思うのですが。

大川 私はマーシャル諸島の話を日本でしたいという思いが出発点なので、映像という方法を選択しています。マーシャルでは「こうです」と簡単には言い切れない、割り切れないものにたくさん出会います。なぜ知らずにいたのだろうと、後ろめたく思う気持ちや、どうリアクションしたらよいかわからずざわざわとする心の動きなど、言葉になる手前の感情や揺らぎも大切にしたくて、多義的な情報を受け手に委ねられる映画という表現を選びました。

また、これもマーシャル諸島に通い続けている理由の一つですが、マーシャルでは、近年、ようやくビキニ環礁での水爆実験の歴史を学校で教えるようになりましたが、親や祖父母から直接体験を聞いたことはないという人が多くいます。戦争の話も、日本からやってきた私には、遠慮して私が居心地を悪く感じてしまうことは言わないようにと配慮する。むしろどんなことでも教えてほしいと伝えない限りは、とても気を遣って、よい関係を築こうとするのがマーシャルの人たちです。

テクノロジーがどれだけ進んでも、人間同士、やはり互いに直接顔を合わせなければわからないことばかりです。とりわけ時間の層が感じられる島の中で、時間をかけて、何度も出会い直し、関係性を築いていかないと出会えない人や場所、聞けない話がまだまだあるので、通い続けています。

安藤 ラポールを形成するというのは、最も大事なところで、人びとの中に入っていって初めて開けていく。どうしたって時間がかかるものですよね。いずれにしても、その場所に入り込んで人とのつながりをつくり、いろいろな体験をすることで初めて見えてくるところがたくさんあるということは確かだと思います。

多様な語りを受け入れるために

平山 一方、戦時中、日本がしたことを海外からいろいろ批判されることに対してアレルギーを持つ学生もいます。そういった批判に対して、アクティブラーニング型の授業では自由に発言しますので、ヘイトみたいなものが出てくるリスクもあります。

教員として一方的に「正解」を押し付けると、アクティブラーニング型の授業ではなくなってしまう。いろいろと試みていますが、結論に向かって直線的な議論ではなく、迂回的な議論になるようにファシリテーションをしています。

私が学生に言うのは、あの戦争でやったことを今でも言われるということは、裏を返せば、その後はそういうことをやっていないということで、日本がこの80年間戦争を仕掛けていないことの持つ「価値」と裏腹でもあるんじゃない? と。これがもし10年前にどこかの国と戦争をしていたら、先にそれを言われるんじゃない? と。侵略の問題と戦後の問題を、歴史研究者としての「時間感覚」のようなもので捉え直してほしいと思いながらやっています。

いろいろな国からの留学生もいる中、そういう迂回的な議論が平和につながるのではないかと思いながらです。

安藤 戦争は、敵味方があり、殺し殺されるという関係からなる巨大な事象ですので、どの立ち位置から、どの範囲を語るかによって、語りが多様になることは避けられないですよね。

非常に大きな問題で難しいとは思うのですが、若い世代が、日本に対する批判的な見解に拒絶反応を示すということを、単なる表層的な知識による判断とは考えないほうがいいかもしれないですね。

平山 そうですね、感情的にそれを言われたら嫌だというのはわからない話ではありません。ただ、何で相手がそう言ってくるのかということを、やはり相手の立場から考えないといけない。「10年前のことを言われていない」というのはどういうことなのか。やはり平和だったからでしょうということを含めて、自覚がないのもよくない。

歴史知識の中身やSNS的な感情とは別に、若い世代の意見を支えている「感受性」や「無意識」に、自分がもっと気づく必要があると実感させられています。

安藤 そうした意見を拒絶したり排除したりしないことが、これから戦争を語り継いでいくことの課題になると思っています。学術的に間違っているとか、偏っている、表層的だなどと、頭ごなしに否定してしまうと、そこで対話は切れてしまう。

偏っているという点では誰もが偏っているので、異なる方向の偏り同士が対話で結びつくことで、だんだん極端な偏りが修正されてくるのではないかと思います。

平山 おっしゃるとおり、互いの偏りは気づきをもたらしますから。頭ごなしに否定したり、学問的見地からだけでイエス、ノーを言っては駄目ですよね。

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