【特集:戦争を語り継ぐ】
座談会:戦後80年を経て何を、どう伝えていくか
2025/08/05
「戦争体験者がいなくなる」ということ
安藤 やがて戦争体験者がいなくなる、と我々はずっと聞かされてきましたが、この「戦争体験者がいなくなる」ということをどのように受け止め、その後のことを考えていらっしゃいますか。一方で戦争体験者がいることの意味は何なのか、いなくなると何が失われるのか、それに対して僕らは何をしなければいけないのでしょうか。
奥村 遺構という観点で言うと、人がいなくなるとモノが意味づけられなくなってしまうと思います。先ほど小学生時代の話をしましたが、そこにある碑が何を意味するのか、背景を知る人がいないとわからないこともあります。昨年の戦争遺跡の取材でも、仙台にある巨大な防空壕で、記録があるのに場所がわからなかったものを、たまたま展示会に来た戦争体験者の話を頼りに特定したケースがありました。
モノの重要性を理解したり、新しいモノを見つけたりする上でも、「人がいる」ことが大事だと感じています。
安藤 そういうことは確かにありますね。一方、記録された、つまり「情報」になっているものは、体験者が語る証言、記憶とどう違うのでしょうか。
清水 この戦後80年間というのは、情報テクノロジーが劇的に多様化し、さまざまなメディアに戦争が記録されてきた時代です。文字や写真、映像がものすごく大量に残されています。
さっき話した語り部のおじいさんも、自身の死を見越して生前から講演映像をDVDに焼いて後世に伝えようとしていました。亡くなった現在も、戸張礼記という名前で検索すれば講演動画などを見ることができます。
対面での個人の生の語りのみに頼らず、情報媒体に記録し複製し伝える技術を発達させてきた中で、全てを見尽くせないくらい、たくさんの歴史に私たちは囲まれている、という見方も、逆にできるかと。それを発掘し活用する可能性に開かれる一方で、記録が残されてきたプロセスを批判的に吟味することも一層大事になってきます。概して体験は情報になると、きれいに編集され、抜け落ちる要素は多い。
とはいえ証言に立ち返ればよいという簡単な話でもない。戦場に行った方の聞き取りが難しくなった時代に、目の前にいる人の声だけを聞くと、戦争当時子どもだったような特定の世代に偏ってしまうわけです。
その偏りは、もう限界まできていて、アーカイブの活用が不可欠な状況をどう考えるか。そして、何も語らず書かずに世を去った大勢の存在にもどう向き合うか。私たちは問われています。
そのあたり、平山さんはどう考えられますか。
平山 白井ゼミで当時、アンケートを7000名以上の塾員の方に送って、それが返ってきた時、議論になったことの一つは、「戦没者は回答できない」ということでした。
様々な体験をされた方の話を伺うのですが、ご本人たちも後ろめたさみたいなものもありながら、語ってはくださる。その意味で、「語り」はそもそも偏っているということがあります。そして、戦場体験者はどんどん先に亡くなっていき、空襲の記憶はないけれど、おんぶされて逃げていたという方の話だけを聞くような段階になり、今、いよいよゼロになりつつあるという。
語り継ぐ対象としてのAI?
平山 一方、データベースとの関係で言えば、私が所属する工科大学はデータサイエンスや情報工学を取り入れたカリキュラムになっているのですが、ホットなワードは「生成AI」です。
オーラルなどの研究をやっていると、アジア・太平洋戦争に関する語りの全てを生成AIに入れてしまうとどういうことになっていくのか、と考えます。語り継ぐ先、または記憶・記録として残し、蓄積していく先が、そこまで進歩している段階なのではとも思っています。
そうなると、研究者が持つ「専門知」というものが、ある種の禁欲的な立場から「解放」されるかもしれませんし、これまで誰にも聞いてもらえなかった話が入ってくる可能性もあります。語りの全部を我々が読めないことはもう決定的だと思いますので、そういったものをどのようにつなげていくかは考えたほうがよいかとも思います。
安藤 確かに膨大な情報を分析し、そこから何らかのパターンなり傾向を導き出そうとする時、人間が読める分量には限界がありますので、AIを使っていくことがこれからどうしても必要になると思います。
また、清水さんの話ですが、体験者の話を聞かなければ戦争がわからないということになると、特攻隊の人たちの日記をはじめ、戦中から記録されてきた膨大な数の記憶や証言などに逆に目が向かなくなってしまうかも知れません。これは福間良明さんなども指摘されていることですね。一方で、AIを使わなくても、大川さんが佐藤冨五郎さんの日記に深くはまっていったように、一つひとつの言葉から広げていくこともできると思うのですね。
平山 体験談を聞いてどう思ったかという、語られた側の感想や、語った人に対する批判、展示されたものへの感想なども全部集めてしまうのがAIではないかと思っています。日本語での語りに限定する必要もありません。
先日、NHKで、ヒトラーの妻となった、エヴァのプライベート映像をAIを使って分析するというドキュメンタリーが放送されました。顔認証で誰が映っているかを暴くことが一つの力点だったのですが、もう一つは無声映像なので、ドイツの聾啞者の方に読唇術で何を会話しているかを起こしてもらうことにあるのです。
そういった人たちの「スキル」を使って、日本でもAIで無声の映像で何をしゃべっているかを「語り」として起こしていく研究が進んでいて、そういうものも含めて、語り、ナラティブが、より広く集まってくる段階を迎えているのかなと思っています。それらが立場を超えて皆集まってくる、予定調和的ではないデータベースのようなイメージをAIに抱いています。
直筆の文字が喚起するもの
大川 体験者がいなくなってしまうから、生成AIで無数の語りを集め、最大公約数の語りに基づいた「戦争体験」を継承しようという試みには疑問を抱いてしまいます。個別具体的な、その人がその場にいたからこそ起こり得る体験が「語り」であって、ワンクリックで、瞬時にAIが具体例をまとめてわかりやすく伝えてくれる語りには、言い淀んだり、言葉を詰まらせたり、聴く相手やその日のコンディションによって語りが変わり得ることが体験者の語りにはあることを想像することが難しいのではないでしょうか。AIにはあくまで参考としての注釈を注意深くつけること、また受け取る側のメディアリテラシーも求められます。
そう危惧する一方で、矛盾していると思いますが、私が最初にマーシャル諸島を知ったきっかけは、グーグルの検索エンジンでした。ちょうど検索エンジンが出てきた頃で、核兵器の「核」と、環境問題の「環境」と、「開発」という言葉を入れて検索してみたらマーシャル諸島のスタディツアーが出てきたからなんです。
情報・技術の発展の恩恵を受けつつも、自分では意識して検索することがなかった「戦争」が、マーシャルを訪れたことで、どんどん私の中に入り込んできました。戦争というものを考えなければ、核のことも、環境のことも、地域の開発のことも考えられない。一つ一つ、出会ったものに対峙して反応していくうちに、戦争のことから勉強しなくてはと思いました。
私の場合は日本の外に出て、戦争について知りたいと考えるようになりましたが、いつどのタイミングで関心のスイッチが入るかは、人それぞれだと思います。便利さと引き換えに、人びとの関心の方向や情報の選択が技術によりコントロールされ、無意識のうちに新たな分断や戦争を生みかねない方向に働く作用も強く感じます。テクノロジーの使い方には、今後ますます慎重にならなければと思っています。
佐藤冨五郎さんの日記は、直筆で書かれていることがすごく重要です。携帯やパソコンなどを使って綴られていたら、これほどくりかえし読むことはなかったと思います。
日記が終わる――死期が近づくにつれ、どんどん筆致が乱れていく。最後の最後まで冨五郎さんは本当に細かく文字を書くのですが、その筆跡をなぞることは、「きっと真面目で几帳面な性格だったのかな」と、視覚的に訴えかけてくるものから冨五郎さんという人物像を想像することでもありました。会ったことのない、戦争も知らない私たち非体験者に、直筆の文字で書かれた日記は、たくさんのことを教えてくれます。
戦争を語り継ごうとする時、テクノロジーがいくら発達しても、デジタルの情報では伝わりきらない人の温もりや手触りが感じられるアナログな物に立ち返ることに、変わりはないのではないでしょうか。
安藤 日記に真摯に向き合い、自分自身をぶつけるという大川さんの姿勢は、戦争を語っていく実践にとってとても大切なことだと思います。清水さんが提唱されている「歴史への謙虚さ」にもつながっていく気がしますね。
2025年8月号
【特集:戦争を語り継ぐ】
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