【特集:がんと社会】
座談会:がん医療と患者を支える社会のあり方とは
2025/07/04
様々な課題解決のための活動
鈴木 すると、今度はその課題を解決していきたいと思うようになりました。
私は2008年5月に乳がんになった直前に保険承認された分子標的薬ハーセプチンのお蔭で助けてもらいました。7つの病院に行ったのですが、7つ中3つの病院ではまだ「うちでは治せません」ということでした。
そう考えると、ドラッグ・ラグとは、患者一人で見るとゼロか100かみたいな世界で、開発されて日本で保険承認されているレベルの薬が広く行き渡るだけでも、生存率が大分変わると思いました。そこをいかに速く全国に、皆で手を携えて治療を広げていくかが、より多くの命を救っていくことにつながります。
そこで、産・官・学・民・医などの人たちが立場を超えて集まって、がんに関する課題を解決することができたらいいなと思い、次に立ち上げたのがCancerXという、学会のような組織です。年に1回、大きなサミットを2019年から始めて、例えば「がん×社会」「がん×働く」といった課題を、医療者、当事者、企業など多様な人でディスカッションして解決できる方法を探っています。
また、乳房のエコー検査をAIと人の目でダブル読影できるようにする診断支援機器を開発・普及するSmart Opinionというベンチャー企業にも、チーフ・コミュニケーション・オフィサーとして参画しています。慶應の乳腺外科の林田哲教授と共同開発を進めてきたもので、まもなくローンチする予定です。
がんになると、治療はもちろん大切ですが、その後の人生をどう周りの人と関わりながら生きていくかということが同じくらい大切です。がんと共にいかに生きていくかというところを、いろいろな面から支えていくような活動をこれからもやっていきたいと思っています。
緩和ケア医の役割
秋山 それでは竹内さんお願いします。
竹内 私はもともと医学部ではなく慶應の理工学部を出て、その後、医学研究科の医科学修士課程でがんの研究をしていました。ちょうどヒトゲノム計画などの時代で、遺伝子の研究をしてがんを解き明かしたいと思っていました。
しかし、その後いろいろな曲折を経て、実際に患者さんを診たい、がんを治せるようになりたいと思い、島根医科大学に編入学で入りました。
そこを卒業して慶應で研修医をさせていただいたのですが、いろいろな患者さんとの出会いの中で、がんは治ればいいという問題ではないんだ、と気づかされました。緩和ケアでつらさを和らげることで、こんなに患者さんが笑顔になれるんだと思った経験がいくつかあり、緩和ケアを専門にしたい、まずは心のケアを専門に学びたいと精神・神経科に転科しました。
当時、緩和ケアを専門に学べる場もほとんどなく、「緩和ケア」という言葉がようやく出てきた頃です。まだ「緩和ケア=終末期ケア」みたいな時代でしたが、ちょうど文部科学省の主導でがんプロフェッショナル養成プランが始まり、私はその1期生として、緩和ケアを専門に学ぶ機会に恵まれました。
そのようにまだ緩和ケアが一般的になじみがない時代だったところから、厚労省や学会、そして患者さんの力に後押しされ、ようやく緩和ケアが広がってきたと思います。慶應では以前から緩和ケアを行っていましたが、組織としての緩和ケアセンターはまだ新しく、ようやく12年がたったところです。日々、課題を感じながらやっています。
やはり課題として思うのは緩和ケアの専門家が不足していることです。慶應はそれでも緩和ケア医がかなり多いほうで4人の医師がおり、しかも4人全員が緩和ケアの指導医資格をもっています。でも、全国的に見るとまだまだ緩和ケア医は不足していて、緩和ケアを受けたくても、相談できる部署がないということがあります。まだまだ施設格差、地域格差があり、東京は多い方だと思いますが、それでも病院により格差があり、専門家が足りていない状況です。ですので、専門家ではない医療者が基本的な緩和ケアができるような教育をしていくことも、大学にいる私達の役割だと思っており、今日も学生に講義してきたところです。
また、私が課題として取り組んでいるのが、治療後の患者さんのフォローの問題です。がんは、鈴木さんがお話ししてくださったように、治療が終わったから終わりではなく、また病気が再発するかもしれないというご不安の中で、社会に戻っていく過程の患者さんのサポートも大切だと思いますが、それができる病院、医療機関はまだ少ない現状があります。
私の外来では、治療が終わっても患者さんのご希望があれば受診できる仕組みにしていて、1年に1回来るだけでも大丈夫とお伝えしています。
もう1つの関心は、ご家族のケアで、家族外来というのをやっています。鈴木さんのお母様と妹さんが鈴木さんのご病気がわかった時に仕事を辞められたという話を伺って、グッときたのですが、患者さんを支えているご家族のケアも大事だと思っています。ですが、それができる場所がまだまだ少ないのが現状です。
慶應病院では、がん患者さんの子どもをサポートするチームを2014年から立ち上げ、親の病気を子どもに伝えるサポートや、そして子ども自身のサポートを行っています。例えばお子さんが病院内を探検できるようなイベントをしたりしています。どんなところでお父さん、お母さんが治療しているかを実際に見て知るだけでも、お子さんにとっては安心につながる場合もあります。
それから、最近AYA世代のがん患者さんのサポートについて一般にもとても注目されていますが、それができている医療機関もまだ少ない状況です。特に思春期の子が集まれるようなところは少ないです。患者さんであっても、患者さんのお子さんであっても、いろいろな思いをぶつけたりする場も必要だと思います。特に思春期はただでさえ難しい問題を抱えている年代で、自分あるいは家族が病気という状況で我慢していることも多いと思いますので、思春期世代の方のサポートもすごく大事だと思っています。
秋山 緩和ケアというのは、一般の人にイメージしにくいところもあると思います。緩和ケアの専門家が足りないというのは、身体の痛みを取る専門家が足りないということなのか、もっと広い意味での苦痛を和らげる専門家がいないということなのでしょうか。
竹内 体のケア、心のケア、いずれも含めて緩和ケアを専門にしている医療者が足りていないのが現状かなと思います。当然がん拠点病院では緩和ケアの外来はありますが、拠点病院以外では、緩和ケアを専従にしている医師がいる病院は少ないと思います。
緩和ケア医療学会の専門医はまだ500人ぐらいしかいません。専門医でなければ緩和ケア医でないという意味ではないですが、緩和ケアをやっている医療者自体が少ないのです。
秋山 方向性としては、がんの治療にかかわるすべての医師が、ある程度の緩和ケアができるようになるのがよいということでしょうか。
竹内 そうです。基本的な緩和ケアをすべての医療者ができないと、今の専門家が不足している状況では、当然ながら早期からの緩和ケアは実現できません。そういう意味での医療者への教育は大事だと思っています。
2025年7月号
【特集:がんと社会】
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