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【特集:がんと社会】
座談会:がん医療と患者を支える社会のあり方とは

2025/07/04

相談支援センターのあり方

村本 相談支援という話が出ましたが、やはり患者にとって医療機関の中では相談支援センターが非常に大きな役割を持っていると思うのです。実際、国立がん研究センターでやっている患者体験調査などを見ても、相談支援センターを使った人は、非常に役に立ったと回答する率が高いです。

ただ、残念なのは、直近2回の患者体験調査を見ても、相談支援センターの認知率や利用率があまり高いとは言えない。今、拠点病院の指定要件の中でも、相談支援センターに誰でも一度は必ず通う体制を整備するという要件がありますが、マストではなくて望ましい要件なので、これがマスト要件になれば変わってくるのかもしれません。

一方で、相談支援センターにいる皆さんも本当に忙しく、非常に大変な状況だというお話を聞いているので、そのあたりをどう両立させて、持続性のある体制を作っていくのか。このあたりが患者・家族にとって、持続性のある医療体制という部分で、お金に加え、人の面でも重要になってきている1つの側面かなと思っています。

秋山 今日も慶應病院の相談支援センターには大勢の人がいらしていた、とソーシャルワーカーの方に聞きました。

竹内 当院はがん専門の病院ではないので、ソーシャルワーカーはがんの患者さんだけの相談を受けているわけではないですし、本当に忙しいのが現状です。

がん拠点病院の要件の中に、誰もが相談支援センターに一度は、という文言が盛り込まれたのは、すごくいいことだと思う一方、内情を知っていると、それだけの相談を誰が受けるのだろうかと。緩和ケア医が足りないのと同様、相談員の数もまだまだです。

鈴木 そこはやはり、連携すること、つながることがキーワードになるのではないかと思います。がん相談支援センターも、慶應みたいに人がいっぱい来るところもあれば、全然来なくてどうしましょう、とマギーズに相談にくる人もいらっしゃる。

集中してしまうところと、十分に使われていないところがあるので、必要な人が必要なサポートにたどり着ける仕組みを網の目のように作っていけたらいいですね。病院の中も外も、支えたいと思っている人たちが力を合わせることで、大分改善できるのではないかなと思っています。

竹内 患者さんも、相談をしたい方と、今はそっとしておいてほしいというフェーズの方も恐らくいると思うので、一律で考えるのはすごく難しいのかなと思っています。

秋山 やはり情報アクセスの問題に戻ってくるところもありますね。

鈴木 何もわからない状態でがんになって、私も「あのとき知っていれば」と思ったことは多くありました。

秋山 地域にはがん患者サロンやNPOのような、患者さんが利用できる資源があります。近年「社会的処方」という言葉もありますが、病院の方がそうした資源を把握して、「こういう場もありますよ」とつなぐことができるといいですね。

私も鶴岡の公共図書館の一角で「からだ館」という場を運営しています。もともと、がんの情報探しを手伝う場として始めたのですが、悩みを抱える人がそこに来てスタッフと話をすることで気持ちが整理され、特に何か情報提供をしなくても、納得して帰っていかれる方がいらっしゃいます。医療機関以外にも、地域の中の資源をうまく活用できるといいと思います。

高額医療をどう考えるか

秋山 先ほど鈴木さんが分子標的薬で助かったとお話されてましたが、さらに最近は、免疫チェックポイント阻害薬のように、副作用が少ないのに、よく効くと言われる薬が出てきました。

ただ、非常に高額であることから、国民皆保険の日本の保険財政から考えるとなかなか悩ましいと議論が起きていますね。そのあたりについて古元さんいかがでしょうか。

古元 医療費が伸びている大きな要素は、高齢化というよりも、先進的な医療の進化・普及だと言われています。かつては、保険財政が厳しいので、そういった高額医療については民間保険を活用し、公的保険から外すという論調もありました。ただし、最近はそういった声はなりを潜めているようです。私自身も高度な医療こそ公的保険でカバーすべきであると考えています。

ただし、注意すべき点もあります。最近、ロボットを用いた手術や、粒子線治療といった先進的な医療が加速度的に普及していますが、あらゆる疾患に対してこうした治療技術が優れているわけではありません。患者さんが受けるメリットに応じて診療報酬上の評価を決めることが大切になります。

すなわち、ロボットを使ったほうが治療成績が良好で患者さんのメリットが大きい場合は高い診療報酬で評価をする。ただし、そうでなければ、仮にロボット使った場合でも診療報酬上は通常の手術と同じ評価にする。医療保険制度をこれからも維持していくためには、こうした科学的根拠に基づいた政策のチューニングが大切だと思います。

あと、医薬品の費用対効果評価という仕組みが導入されていますが、これも譲れない仕組みだと思います。

秋山 諸外国には年齢によって受けられる治療に線を引くような考え方もあるようですが、日本ではあまりなじまないでしょうか。

古元 なじまないと思います。ただし、これからの医療提供者には「病気」をみるのではなく、患者さんの「生活」をみるという視点がさらに大切になります。85歳以上の方の約6割が要介護状態であり、認知症高齢者や独居の高齢者も増加します。

「私は医療提供者」という固い鎧をいったん脱いで、治療の後にも続く「生活」にも思いを馳せながら、治療方針を決めていくことが大切です。

竹内 一律で年齢でということは、日本になじまないと思いますし、難しいと思いますが、医療費の問題だけでなく、治療の選択、差し控えというのは、どんな年齢の方であってもこれから考えていかないといけないのかなとは、思います。

ACP(アドバンス・ケア・プランニング)という考え方が普及してきています。私たち医者は医学教育で治すことを中心に習ってきているのですが、治すことだけを考えるのではなく、一人一人の価値観を大切にしていくことが大切かなと思います。

秋山 自分の価値観や生活の中で何を優先するのか、という患者さんの声を、もっと聞きながら決めるということですね。

竹内 例えばこの人はこれ以上は透析は望んでいないといっても、やれば延命できるとわかっている中で医療の差し控えをするのは、倫理的に我々もすごく苦しい部分です。法整備をするのがいいのかわかりませんが、日本全体でそういったことを普段から考えられるような社会になっていくといいなと思います。

早期からの緩和ケアを

鈴木 先ほど緩和ケアのお話を聞いていて、竹内さんのような先生にあの時出会えていればと思いました。私は当時、今日寝たら明日もうこの世に起きられないのではないかと思って眠れなくて、怖くて仕方がありませんでした。緩和ケアは人生の最終段階の痛みを取るためにあるというイメージがあり、早期にがんがわかった段階から受けられるものだという認知がまだまだ足りないと思います。

村本 緩和ケアを考えた時、2つほど、思うことがあります。1つは、もちろん終末期における緩和ケアは重要ですが、おっしゃったように、緩和ケアが終末期と結びつけられ過ぎることによって、本来は診断時からの緩和ケアと言っているはずなのが、なかなか定着しないという問題があるのかと思います。

「緩和ケアを受けたい」と言うと、「いやいや、まだそんな時期じゃないでしょう」みたいな会話が交わされていたりするような気がします。

鈴木 私も治療当時は緩和ケア=終末期のイメージを持っていました。

村本 診断を受けた時、身体的な痛みがある人もいれば、ない人もいますが、やはり精神的なショックは誰でも少なからずありますよね。だからやはり、診断時からの緩和ケアの重要性を明確に伝えてほしいというのが1つです。

一方で、終末期と言うと、もう何もできないと思われがちですが、終末期の定義を結果的に亡くなる半年ぐらい前からとするならば、その時期は普通に働いたりすることもできるのです。私の会社の先輩も結果的には亡くなる1カ月前ぐらいまで、元気に会社に来ていました。ですから、緩和ケアと共に、終末期であっても自分らしく生きられるということも、ぜひ多くの人に知ってもらいたいと思います。

竹内 何もできないのではなくて、症状を緩和する医療ができるということを、もっと知ってもらいたいですね。

古元 診断がついた時からの緩和ケアというのは、国は相当昔から言っているつもりではあるのですが、まだ現場は緩和ケアと言うと終末期というイメージが根強いのでしょうか。

竹内 医療者の中のスティグマみたいなものは、私が緩和ケアに足を踏み入れた時とはだいぶ違います。でも、ここまで来るのにはやはり時間がかかりました。「まだ治療しているんだから緩和ケアにかからなくていい」と言う先生もいました。

また、「すごく痛いから、専門の先生に診てもらいましょう」と主治医の先生から紹介があって病棟に会いに行くと、患者さんから「緩和ケアはまだ」と言われることがあります。丁寧に説明をして、「最期だから来たんじゃないですよ」とお話しするのですけれども、まだまだ、早期からの緩和ケアは難しい面もある。

また、早期からの緩和ケアは、緩和ケアを専門にやっている人だけがやるわけではありません。主治医とのやりとりの中で解決できることもあると思うので、そこの誤解というか、言葉が一人歩きしないといいなと思っています。

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