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【特集:がんと社会】
矢ヶ崎 香:がんと共に生きる患者の生活を支える──がん看護の視点から

2025/07/07

  • 矢ヶ崎 香(やがさき かおり)

    慶應義塾大学看護医療学部教授

1.がんとがん対策の動向

がんは、1981(昭和56)年以降、日本の死亡原因の第1位を占めている。近年ではがん罹患率が上昇し、約2人に1人が、生涯のうちにがんにかかると推計されている。多様ながん対策が推進されているものの、がんは依然として人々の生命及び健康にとって重大な問題である。本稿ではがん対策およびがんと共に社会で生きる患者、家族を支える看護やチーム医療について述べたい。

日本のがん対策に関する大きな変革は、平成18年6月23日(法律第98号)のがん対策基本法の成立が挙げられる。がん対策においてがん患者(がん患者だった者も含む)がその状況に応じて必要な支援を総合的に受けられるようにすることが課題とされ、がん対策の一層の充実を図るため、がん対策に関し、基本理念を定め、国、地方公共団体、医療保険者、国民、医師等及び事業主の責務を明らかにし、並びにがん対策の推進に関する計画の策定やがん対策の基本となる事項が定められた。

がん予防、早期発見、そしてがん患者・家族がどこでもだれでも地域格差がないがん医療を受けられるよう、がん医療の均てん化の実現が目標とされ、多様ながん対策の計画が策定され、がん関連の研究、教育、実践が加速度的に変化を遂げてきた。併せてがんに関わる創薬や医療の急速な発展は、がん患者が治療を受けながら社会生活を営むことの可能性を広げている。がんと共に生きる患者の社会生活を支えることが重要課題である。

2.がんプロフェッショナル養成プラン事業と本学大学院の特色

がん対策基本計画の基盤整備の一つとして、「人材育成の強化」の推進が掲げられ、2007年より文部科学省補助事業がんプロフェッショナル養成プランがスタートした。これは、将来のがん医療の高度化に対応できる医療人の養成を目的に、医学系研究科を設置する全国76の国公立私立大学と関係する医療機関で、優れた教育プログラムを開発、実践し、それを大学間で連携・提供している事業である。これまで、5年ごとに第1期―第3期のプロジェクトが推進された。現在は、第4期(2023年度より)次世代のがんプロフェッショナル養成プランにより、がん医療の現場で顕在化している課題に対応する人材を育成している。また、大学院教育以外にも取り組みが広がり研究者の養成や地域連携に関わる幅広い人材を養成し、同時に医療者本位の事業ではなく、患者・市民参画型のがん医療の発展を大切にしている。

本学大学院は医学研究科、健康マネジメント研究科(看護学専攻)、薬学研究科の3研究科(医、看、薬)が協働し、第1期から第4期に至るまで「がんプロ事業」に採択され、高度がん医療を先導する専門家を養成するための多様なコースを開講、推進してきた。各研究科で専門性の高い実践、教育、研究の実施および連携、協働を推進できる点は本学の強みといえる。

健康マネジメント研究科看護学専攻では、修士課程、後期博士課程を通して、高度がん医療を先導する看護の実践者、教育者、研究者を養成している。修士課程では、専門看護師教育課程コースを設置し、がん看護だけでなく、精神看護、遺伝看護、老年看護といった多様な分野の専門看護師を養成している。

専門看護師とは、大学院修士課程で特定の専門看護分野に関する高度な知識や技術を修得し、修了後に専門看護師認定審査に合格した者で、卓越した看護実践能力を有することを認められた者をいう。複雑で解決困難な看護問題を持つ個人、家族及び集団に対して水準の高い看護ケアを効率よく提供することが期待されている。中でもがん看護専門看護師は、がん患者の全人的な苦痛を理解し、患者やその家族に対してQOL(生活の質)の視点に立った水準の高い看護を提供するという役割をもつ。しかし、日本にはがん看護専門看護師の認定資格を有する看護師は1,133名(2024年12月)と依然として多いとはいえない。がん医療の均てん化という観点からも益々、専門看護師の人材養成の強化を果たしていきたい。

3.がん患者の全人的苦痛の理解とチーム医療の推進

がん対策が強化されてきたものの、がん患者の視点に立つと多様な課題が山積していないだろうか。個々の患者や家族のニーズは満たされているだろうか。自分の治療やケアに納得し、安心し、満足しているだろうか。

近年、がん医療、創薬の開発は進み、かつ副作用症状を緩和する方法も開発され、患者はがん治療を受けながら、がんと共に社会で生きることが可能になった。しかし、新たな治療薬や治療法が適用されることで患者は治療効果を得ると共に新たな副作用、後遺症を体験し、それらは日常生活の支障やQOL低下の要因になりうる。これらの多様な身体症状から派生して、仕事や家庭の問題、経済的問題、対人関係など、生き方、人生にも影響する。例えば、「がん薬物療法を受けた後から手足のしびれが残っていて、力が入らないし、いつ仕事に復職するか迷う」「いつ病状が悪化するかわからないから、責任が重い仕事は難しい」など、社会的な観点からの課題を抱えていたり、がん治療の薬の副作用で生じた皮膚障害(色素沈着、ざ瘡様皮疹、手足症候群など)を周囲の人から「皮膚病」と捉えられ、偏見、誤解を受けることもあると聴く。その積み重ねは自尊心が揺らぐ体験でもある。

また、大腸がんの治療のために人工肛門の造設、喉頭や咽頭がんなど声帯周囲の切除による失声といった機能の変化や喪失および後遺症と共に生活を営むこともある。つまりがん治療が終了すれば、苦痛や負担が解決するわけでなく、がんを体験した人々は社会において多様な課題に直面し、対処していることを理解したい。

これらの多面的、全人的な苦痛を和らげるための支援が看護師の重要な役割である。がん患者の生活や人生も包括的にとらえ、がんを持ちながらもQOLを向上させるために、看護師は個別的なケアを提供する。またその中でも複雑で難題を有する状況には、がん看護専門看護師がより高度な実践を展開し、解決の糸口を見出し、改善につなげることが期待される。

加えて、がん患者の多様な苦痛に対し、医師のみあるいは看護師のみといった一つの専門職で解決するには限界がある。多職種(看護師、医師、薬剤師、栄養士、理学療法士、社会福祉士など)と協働、連携することで各専門家の専門性を生かし、複雑な課題を解決するためにチームで機能することが有益である。近年では、「チーム医療」という用語は浸透し、一部の診療報酬には指定された専門職の人材を配置することも加算条件とされている。がん医療でいえば、緩和ケアチームや疼痛緩和チーム、栄養サポートチーム、地域連携・退院支援チームなど、施設によって名称は異なるが多職種で構成される多様なチームが施設内で横断的に活動している。がん看護専門看護師はそれらのチームにおいて、中立的な立場で患者の意向や価値観を考慮し、患者と多職種との間や、多職種間をつなぐ調整役、あるいは時にリーダーを担い、多職種協働の円滑なケア提供に貢献している。

4.がんと共に生きることを支える社会へ

積極的な治療を終えて、フォローアップの期間になると、外来通院の回数は減少し、患者は医療者との接点が少なくなる。がんの不安、療養のこと、仕事、学校、生活上の困りごとなど、患者、家族がだれに相談したらよいのか迷い、孤立することがないよう、近年では、全国の「がん診療連携拠点病院」や「小児がん拠点病院」「地域がん診療病院」にはがん相談支援センターが設置されている。名称は施設によって異なるが、いつでもだれでも診断や治療の状況にかかわらず、がんに関するさまざまなことを相談することが可能である。療養生活や社会復帰など生活全般にわたって疑問や不安を相談できる継続的な支援の場や機会が設けられている。また、外来にはストーマケアやがん疼痛ケアといった看護専門外来の設置や来院する患者に対する看護相談を実施する施設も増えている。さらに、がん専門病院にはだれでも相談できるよう電話相談の窓口も設置されている。

がんと共に生きる人にとって直面する課題は個々に異なる。看護師は患者の視点に立ち、解決に一歩でも近づけるような支援を提供しようと努めている。がんと共に社会生活を送る人々が、孤立せずに、社会のサポート制度を存分に活用し、簡便に適切な情報へアクセスできるよう、今後も整備、改善に努めなければならない。

加えて、がん患者が社会生活を安心して送れるように、がんの罹患を問わず、普段から子供から高齢者まで年代に応じてがんや治療、副作用などの基本的な知識を教育、啓蒙することで、がん患者は周囲の人々、社会から理解が得られ、支援も受けやすくなるだろう。また、自分ががんに罹患した場合でも、ある程度の知識をもつことで対処行動のレパートリーが増えているかもしれない。

がんは個人の問題にとどまらず、社会全体の課題といえる。がん医療の質を向上させるためには、先述したような医療人の育成が不可欠である。多職種が各専門的な知識と技術を修得し、自己研鑽を続け、質の高い医療を提供することで、がん患者の人生の可能性を広げ、より豊かにすることが可能になるだろう。患者、家族が安心して暮らせる社会への発展を目指していきたい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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