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【特集:エンタメビジネスの未来】
座談会:最前線から考える日本のエンタメの可能性

2024/04/05

中国のクリエイターとの付き合い方

三原 中国の作家や漫画家といった才能はどうやって見つけてくるのですか。

吉田 広州天聞角川の設立の際に、「現地オリジナルを作りましょう!」と言ったら「いや、そもそも漫画家を指導できる編集者がいないんです」という話になって、最初は編集部を作り、編集者を育てるところから始めました。

その当時、中国には日本的なやり方で作家さんに寄り添う編集者はほぼいない状態だったため、現地の大卒の若い子を採用してゼロから日本の漫画編集の方法を教えて、漫画編集部を作り、そこから中国市場向けの漫画雑誌を発行していました。当時のやり方は、ある意味泥くさい感じで、作家を探して育成して、作品を練って作っていくという感じでやっていましたね。

三原 中国のクリエイターさんと日本のクリエイターさんとでマインドが違うなと思ったことはありますか。

吉田 中国に限りませんが、その産業がその地域にそもそもない場合は、当たり前ですけど違いがあります。日本でクリエイターが育つのは、物語作りが好きなのはもちろんですが、きちんと仕事になってお金が儲かるからですよね。そもそもその地域に映画やアニメ、漫画などが産業として成立していない場合もあるわけです。

三原 中国のクリエイターさんの方が編集者との付き合い方にあまり慣れていなかったりするのでしょうか。

吉田 それもあります。日本式の漫画編集者のやり方は、日本以外でやろうとしても、地域によってはそこまで上手くいかない場合もあると思います。一部の会社さん、例えば韓国や台湾では似たような形でスタジオ形式にしているところもありますが、世界的にはそこまで多くないと思います。

ウェブトゥーンへの挑戦

三原 なるほど。安部さんの会社は、ウェブトゥーンもやられているんですよね。

安部 そうですね。アーチはウェブトゥーンなど新しいものに対してもフットワークよく挑戦しています。

今、アニメは製作費が、いろいろな要因で上がってきており、特にその中でもオリジナルの企画を成立させることがとても難しい状況になってきていると思います。

そこでオリジナルIPを開発していく中で、まずウェブトゥーンで世に出してみるのもいいのではないか、という考えもあるのではと思います。ウェブトゥーン作品原作のアニメ化も増えています。

三原 ウェブトゥーンは、いわゆる伝統的な漫画の作り方というよりは、いろいろなやり方が今実験的に行われているみたいな感じなのでしょうか。

安部 各社さん、いろいろ試みていらっしゃるのだと思います。もともと“横読みの漫画(単行本など従来の形式/専用ビューアーなどを使い横にページをめくっていく漫画)”を作られていた編集プロダクションの会社さんもいらっしゃったり、私たちみたいにアニメ業界から出てくるところもたくさんあります。

ウェブトゥーンはコマ数も非常に多く、毎週更新でフルカラーがベースです。日本の横漫画ですと、伝統的に1人の作家が、アシスタントさんに入ってもらうこともありつつも全ての工程に携わって描く作り方が多いのではないかと思うのですが、ウェブトゥーンの場合、初めから分業制で、細かく工程が分かれているのが特徴的だと思います。

そういったところもアニメと親和性が高いのではないかと思っており、参入して試行錯誤しているところです。

作家性を賞レースに接続する

三原 山田さんが現在身を置いていらっしゃる実写映画の世界というのは、ある意味で非常に伝統的で、特に監督との向き合い方がとても大事であるように思います。他方で『ゴジラ-1.0』では新しい取り組みも多くされていますね。

山田 監督や、いわゆる作家の方が作りたいものはたくさんあると思うのですが、それだけではどうしてもビジネスにならないわけです。だから、そもそも強い原作、それが売れているという前段がないと、日本の映画界でオリジナルで映画を作ることはかなり難しくて、ほとんど企画が通らない。

そこがまず大前提となる非常に難しい世界ですが、じゃあどういうコンセプトだったらヒットするのかという時、プロデュースサイドが、少なくともプログラムピクチャ―的なヒット可能性の高いジャンル群をきちんと歴史的に分析しておく必要があると思います。作家性のある監督がやりたいことと、ある程度以上の商業的ポテンシャルのあるジャンル性を上手く融合させることが必要です。

それをきちんとやれるかどうかで、まず国内で作れるかというハードルを超えられる。でもその先に世界にどうやって打ってでればいいのか、というところで言えば大きく2つの軸があります。1つはアート寄りでも、賞レースにノミネートされることによって商業性を担保しリクープできる可能性を追求するという方向性。もう1つは日本ならではの強力なIPを実写作品として日本のリソースで世界的な強度で創造するエンターテインメントど真ん中の方向性です。そのどちらかですが、後者はゴジラが奇跡的に成し遂げてしまいましたが、本来は無理ゲーです。

なぜなら製作費の規模が10倍から20倍ぐらい違う。日本のエンターテインメント作品のハイバジェットと呼ばれているものが、ハリウッドのそれの10分の1とか20分の1なので、その時点で勝ちようがないというところがまずあるのです。日本作品が世界でヒットすることから逆算して、製作費をたくさんかけられる自信をつけていって、少しずつそのギャップを埋めていかないといけないのですが。

一方、アート寄りのほうは、是枝裕和監督や濱口竜介監督の作品など、ある程度低予算でも、カンヌ映画祭とかベネチア映画祭とか、世界的にプレゼンスのあるところで賞が取れるということがわかっていますので可能性がある。

これは作家性と、今の賞レースの中で、ベネチア向きの題材は何かとか、カンヌの過去の傾向から、こういう題材が今までなかったので狙えるのではないかということをどう接続させていけるか。もちろんそこに大前提として作家として現代の世界に必要な物語とは何かという切実な問いがなければなりません。

かなりの教養と情報量と見立てのセンスが問われますが、そこはプロデューサーと監督が幅広い視座で考える必要があると思います。

三原 そういった議論は監督と直でされるのでしょうか。「賞のために映画を作っているわけではない」といった反発はありましたか。

山田 そうですね。そこは難しいのですが、作品性を追求するという意味合いでかなりディスカッションします。是枝監督とも、賞を取るためという話し方は一切しませんでした。そういうことではなく、『怪物』がどうすればこのテーマをより深く掘り下げられるか、黒澤明が作った『羅生門』とは違った表現としての多角的な視点の物語にどうやったらこの物語を深めることができるのか、といったことを何度も議論して生み出していきました。

また、特にヨーロッパは三大映画祭をはじめ各種の映画祭に、必ず仕切るディレクターがいて、最終的にどれをチョイスするかは、そのディレクターの影響力が大きい。だから理想はある程度そのディレクターから作家性を認知されている必要がある。非公式にそのディレクターたちとのコミュニケーションができると、結果的にある種のクリエイティブ・ロビー活動みたいなこととなり、実は世界中で作家性のある監督は大なり小なりそういうコミュニケーションを行っている。日本はまだそういうところに疎く、実は大きな差につながっているのではというのが自分の1つの仮説です。

三原 そういったロビー活動はプロデューサーの仕事になるのですか。

山田 プロデューサーであり、配給会社のトップとか、コミュニケーションが取れている人ですね。誰がやってもいいんですが、そこの世界映画村の住人になる必要がある。そうしないと認知してもらえないですから。

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